学習塾

こんにちは。

抜け出せない気持ちなら桜が咲くたび現れる

桃亀です。

三日月ロックその3いいよね。

 

以前書いた

チャレンジ(進研ゼミ)の記事が

意外といろんな方から反響をいただいて

ビックリしたのと、

この時期になんとなく思い出したので

その続きというか、

その記事の最後の方に

いずれ書くと言っていた

その後に通った学習塾での話を

したいと思います。

 

チャレンジの記事はこちらから

https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/02/13/233033

 

私は中学1年の夏くらいまで

惰性で進研ゼミを続けてたものの、

ほとんどサボっていたのが親にバレて

退会しました。

 

その後しばらくは

特に何もせず学校の授業だけで

なんとかしていました。

実際その頃まではなんとかなってたので

別に自分は

このままでもいいんじゃないかと

考えていましたが、

さすがにずっとこのままで

ついていけるのかと

心配した母。

 

ウチ別に

家族の誰も頭良くないどころか

むしろバk…な一家なので、

娘がこんな呑気にしてたら

マズイとでも思ったのでしょうか。

塾でも入る?と勧められたのが

中1の冬くらいだったと記憶しています。

 

私は極度の人見知りなので、

本当は塾とか

たくさんの人が通っている場所に行くのは

めちゃくちゃ嫌だったのですが、

なぜかその時は

塾に行く事自体は

妥協して同意しました。

 

しかし、やっぱりそこは妥協したので

いくつか条件を出しました。

お前が見つけないのに

何偉そうに条件とか出してやがんだ

って感じですね。

 

その条件とは、

  • 途中から入ったと噂されるのが嫌なので学校の知り合いがいないor少ない塾。
  • 大勢の生徒がいる授業スタイルが苦手なので、個人指導or少人数指導の塾。

 

当時は少人数指導という概念が

私の中であまりなかったので

なかなか見つけられなくて

親が諦めてくれないかなと

若干期待してたとこあるとは思います。

 

しかし母は

どこで見つけたのか、

条件とほぼ一致する学習塾を

見つけてきました。

 

場所は隣町、

基本的に教師1人に対して

受け持つのが1~2人、

個人で経営している学習塾でした。

 

とりあえず見学というか

1回お話をしに行って、

入校する手続きみたいのを

母としてる時に、

たまたま唾を飲み込んでいたら

舌打ちしたと勘違いされた、

という記憶しかありませんが、

なんやかんやでその塾に

通う事になりました。

 

先生は、1人で塾を経営していました。

当時30歳手前くらいだったと思います。

正直先生という感じがしなくて、

明るくて優しい近所のお兄ちゃん

みたいな印象でした。

なんとなく

加藤シゲアキ田辺誠一の間みたいな

雰囲気で(分かりづらい)、

細くて、

小柄ではないけど

そんなに威圧感はないので、

どことなく安心できる感じの人でした。

 

しかも、いざ通ってみると

塾が用意したテキストを印刷した

プリントを数枚解いたり、

学校で出された宿題を教えてもらったり

という感じで、

なんかゆる~く勉強する

といった環境でした。

 

クラスメートで他の塾に通っていた人たちは

皆、

学校の宿題だけでなく

塾の宿題もしなくてはいけないと

大変そうでしたが、

塾からのこれといった宿題は

特にありませんでした。

 

しかも先生最高なので、

何に対しても

基本的にめちゃくちゃ褒めてくれます。

 

例えば少し時間が空いたので

自主勉とかしていたら

普通に「おっ偉いねぇ」

とか言ってくれます。

私はまぁ単純で

褒められて伸びるタイプなので、

意外とちょっとの事でも褒めてくれるのは

糧になるモンです。

 

えっそんな塾最高じゃん!!

って思うじゃないですか。

 

めちゃくちゃ楽しかったです。

 

通っていた約2年間、

塾に行きたくないと思った事は

一度もありませんでした。

 

そしてそのまま成績も伸びれば

より最高……

だったんですがね。。

 

勉強に対して全然厳しくなくて、

スゴく甘やかしてくれる環境。

私は全力で甘えたので、

成績自体は

まぁみるみる落ちてく落ちてく(笑)。

 

でもいくら酷い点数を取ろうが先生は

出来たところを褒めてくれて、

出来なかったところも

惜しかったね~とか

途中まではいいじゃんとか

よくそんなに褒める点見つけられるなと

感心するくらい褒めてくれます。

 

益々図に乗ります。

 

さすがに中学3年の夏くらいに

受験を意識するようになり

ちゃんとやるようになりましたが。

 

というよりも、

その辺でようやく

お金を払って教えてもらっているんだから

それなりの結果を残さないと

申し訳ないという気持ちが芽生えて、

やっとやる気になった

というのが正確かもしれません。

気づくのが遅い。

 

後に先生に

よくそんなに褒めてくれますよね

と言ったら、

 

「だって怒られてばっかりいたら

やる気起きないじゃん。

自分のとこ(塾)くらいは

褒めてあげようと思うんだ」

と言ってました。

 

おい聞いたか教育関係者。

見習ってくれ。←

 

と言うのも

以前聞いた話ですが、

先生自体が昔

少し心が弱かったのか、

幼稚園~小学校低学年あたりまでは

あまり通えていなかったそうです。

詳しい原因は覚えていないそうですが。

 

学生時代のバイトの延長で

学習塾の先生として

今日までやってきてると言いますが、

私は、

先生、塾に

出会えて、通えて良かったと

心から感じています。

 

きっと学校だけじゃ

出会えなかった大人だと思っています。

 

どうしてもしょうがないのかも

しれませんが、

今結構学校の先生で揉めてる事件とか

聞くじゃないですか。

学校だけだとどうしても

そういった典型的な型にはめこむような

ある意味真面目で曲がる事を許さない大人

にしか出会えなかったかもしれません。

 

しかしここの塾の先生は、

一度は一般の会社に就職したのに

上から支配されるのが

嫌だという理由だけで、

個人で学習塾経営しちゃうような

ある意味めちゃくちゃな大人でした。

 

だけどいつでも私みたいな

ちょっと心が弱い生徒にも

寄り添ってくれて、

いつまでも学生みたいな楽しいノリで、

優しい声と

めちゃくちゃ褒めまくる術で

安心できる環境を提供してくれました。

 

後にも先にも

こんな大人になりたいと

心から思った人は

先生以外にいないかもしれません。

 

そんな訳で、

塾自体は中学を卒業したと同時に

卒業という形で辞めましたが、

今でも定期的にお会いして

お話させて頂いています。

 

高校生の頃

軽くいじめられた時も、

親より先に先生に相談した

記憶があります。

相談というかまぁ軽くこんな事があって…

みたいな感じに。

 

その時も、

私自身は何か手出したりしてないんでしょ?

と笑わせてくれた後に、

真面目に

 

「じゃあ悪くないじゃん、そいつら暇だね」

 

と言ってくれました。

 

どうしても

いじめられる私が悪い主義

になってしまっていたので、

その一言で随分救われました。

 

今でも先生の声や言葉に

救われてばっかです。

 

最近行きすぎて

数回に一回は遠回しに断られてます。

嫌なら嫌とハッキリ言ってくれれば

控えるので。。ね。

 

 

塾の話というよりも

先生の話になってしまいましたが、

チャレンジを辞めた後は

こんな感じに

素敵な大人に出会えていましたよ

という自慢です。←

 

チャレンジの記事でも書きましたが、

ちゃんとやれる人は

チャレンジだろうが塾だろうが

学校の授業だけだろうが、

ちゃんといい成績取れて

そこそこの学校行けてると思いますよ。

 

いい大人に出会ったからって

甘えると結局

こんな感じになっちゃうからね、

という忠告も込めて(無理矢理)。

 

ただ、学校の勉強だけじゃなくて

どこでも教えてくれないような

出会いというのも

大切にしていただきたいですね。

どこ目線やねん。

 

以上、

ひらめきで踊り狂う猿のレベルな

桃亀でした。

 

とりあえずスピッツの三日月ロックその3は

いいぞ。