スピッツアルバム研究11「花鳥風月」

こんにちは。

桃亀改めandです。

 

スピッツのアルバムを聞いて

個人的な解釈も含めた感想文を

ダラダラ書いています。

 

また随分間が開いてしまいました。

なんと今日、3/25は

スピッツのデビュー記念日です。

29周年。おめでとうございます。

 

つまり最初のアルバム研究から

1年が経過してしまいました。

1年かけてもまだ半分もいっていない…

頑張ります。

 

初回、デビューアルバム「スピッツ」を

聞いて書いたものはこちらから。

https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/03/25/100001

 

そして前回、

99ep」を聞いて書いた感想文は

こちらから。

https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/11/19/083004

 

 

今回は、

これまでのシングルのカップリング(B面)

と新曲、

さらにインディーズ時代の曲を収録した

スペシャルアルバム、

「花鳥風月」を聞いていこうと思います。

 

タイトル通り、

全体的に和風テイストのデザインの

ジャケットやブックレットが

個人的にはツボですが、

この「花鳥風月」というタイトルは、

スピッツの曲には花も鳥も風も月も

よく登場するという由来がある

というのも納得して

とても良いです。

ちなみに仮タイトルは「裏街道」。

 

リリースされた1999年前後は、

人気アーティストの

ベスト盤ブームだった事から、

天邪鬼スピッツ

だったらこっちは日の目を見ない

B面曲や未発表の曲たちに光を当てよう

と考え、

このアルバムを発表しました。

 

このアルバムがリリースされた

当時のインタビューでは、

メンバーは

スピッツのベスト盤は

解散するまで出さない」 とまで

宣言してしまいます。

 

このあと、

この発言がスピッツ最大の事件に

繋がる事になるとはまだ誰も知らず…

 

その話は一旦置いといて、

さっそく聞いていきたいと思います。

 

1999年3月25日release

花鳥風月


f:id:peachdraw18:20191119164744j:image

 

収録曲

  1. 流れ星
  2. 愛のしるし
  3. スピカ
  4. 旅人
  5. 俺のすべて
  6. 猫になりたい
  7. 心の底から
  8. マーメイド
  9. コスモス
  10. 野生のチューリップ
  11. 鳥になって
  12. おっぱい
  13. トゲトゲの木

 

 

1.流れ星

https://youtu.be/ES_nVKx9ZIk

 

原曲は、

作詞作曲を担当する

ボーカルの草野さんが

高校生の頃に作った曲で、

インディーズ時代から

ライブでは披露されてきましたが、

そのままスピッツがリリース

するのではなく、

辺見えみりさんへの楽曲提供として

リリースされました。

 

なので今回収録されたものは、

セルフカバーという名目になるようです。

 

後に20thシングルとして

スピッツもリリースする事になります。

ちなみに、

スピッツにとってはこれが最後の

8㎝ CDとしてのリリースになります。

 

さっそく聞いていきます。

 

ゆったりとしたメロディが、

暗くて広い宇宙を浮かんでいるような

イメージを抱きます。

 

MVでは、

実際に草野さんが宇宙服を着てて

なかなかシュール…()な

映像になってます。

 

それでは歌詞を見ていきます。

 

僕にしか見えない

地図を拡げて独りで見てた

目を上げた時にはもう

太陽は沈んでいた

造りかけの大きな街は

七色のケムリの中

解らない君の言葉

包み紙から取り出している

流れ星流れ星 すぐに消えちゃう君が好きで

流れ星流れ星 本当の神様が

同じ顔で僕の窓辺に現れても

 

ストレートな愛を抱いた歌かと思いきや、

どこか孤独で、毒のある世界観が

広がる歌のように感じます。

 

「僕にしか見えない地図を

拡げて独りで見てた」、は

自分の中で浮かべていた妄想、

子供の頃から抱いていた夢や理想

のようなものを

イメージしました。

 

改めてそれを独りで見て、

ふと目線を上げた先の空は、

太陽が沈んで夜を迎えていました。

 

自分だけの気持ちで記した地図の

造りかけの大きな街は、

美しくも不思議で、

はっきりとは浮かばないように

七色のケムリに包まれています。

 

“君”から託された、

包み紙にくるまれた「解らない言葉」を

思い出して、

ケムリに包まれた造りかけの街の夜を

迎えています。

 

つまり、抱いていた自分の理想が

君、相手に伝わらず、

相手から放たれた言葉もまた

自分には理解が出来ない、

お互いに気持ちがすれ違っている状況である

事が読み取れます。

 

それでも曇った心で見上げた夜空は

美しくて、

すぐに自分の元から離れて

消えてしまいそうな儚い君と

流れ星を重ね合わせて、

改めて相手への気持ちを想う、

という描写に繋がっていきます。

 

「本当の神様」は

どこかでは理解している、理性のようなもの

をイメージしました。

 

離れていく君にまだ想いを抱く

夢見がちな自分に、

自分のもうひとつの心理、理性が

傍に現れて諭したとしても、

流れ星のような儚い君への想いは

変わらないだろう、と思うのです。

 

 

君の心の中に棲む

ムカデにかみつかれた日

ひからびかけていた僕の

明日が見えた気がした

誰かを憎んでたことも

何かに怯えてたことも

全部かすんじゃうくらいの

静かな夜に浮かんでいたい

流れ星流れ星 すぐに消えちゃう君が好きで

流れ星流れ星 本当の神様が

同じ顔で僕の窓辺に現れても

 

1番よりも半音上がり、

それだけでも前半より前向きというか

世界観がガラッと変わった印象です。

 

包み紙にくるまれた君の言葉を

取り出してみると、

その言葉はまるで

毒を持つムカデのような

威力を持っていました。

 

噛み付かれた瞬間、

抱いていた夢の世界、

実は干からびそうな世界に

明日が見えたような気を感じます。

 

取り出す前は「解らない」言葉だった

それは、

実は自分にとって革命的な、

思い込んでいた固定概念や夢の世界を

一新させるものだったのです。

 

自分の世界に閉じ籠っていた頃は

正体の分からない、

ただ漠然とした存在を

憎んだり怯えていた事もあり、

君に対しても

素直になれなかったりしたのでしょう。

 

そんな君が、

自分の概念を変えてくれる言葉を

贈ってくれた事で、

これまで持っていたもの全てが

霞んでしまうような

気がしたのです。

 

そんな霞んだ世界で、

流れ星のように儚くて美しい君と

また共に浮かんでいたいと思っています。

 

離れて消えてしまってもまだ、

僕にとっては君は

大切な存在であることは

変わらないようです。

 

理性である「本当の神様」がまた現れても、

君への想いは変わらず、

ある意味前向きに

君と向き合えるはずだと、

今度は確信を持っているようです。

 

ファンタジーの世界観に毒を盛る

曲の作り方は、

初期から現在まで変わらない

スタイルですね。

 

 

2.愛のしるし

https://youtu.be/7awhzclrBMc

 

こちらは、

1998年にPUFFに提供された楽曲の

セルフカバーになります。

 

PUFF版が割とヒットしたので、

そっちの方が知ってるという方も

いるかもしれません。

 

PUFF「愛のしるし

https://youtu.be/i0wWgX9Xg8I

 

スピッツ版ではバンドアレンジで

スピッツらしさを出しますが、

MVではメンバーたちが

サラリーマン、医者、警察官、学生など

様々なコスプレをするなど

遊び心もあるカバーになっています。

 

そんなスピッツによってカバーされた

この曲も

さっそく聞いていきます。

 

ベースのイントロから始まり、

リズムは原曲とさほど変わらないものの、

ポップで弾むようなリズムが続きます。

 

軽快さはあるけれどそこまで激しくなく、

丁寧にベース、ドラム、ギターと

入ってくるところに、

バンドアレンジだからこその

こだわりを感じられます。

 

歌詞は、

元々女性が歌う事を想定され、

後に自分達(男性)が歌うという事もあり、

男性目線でも女性目線でも

解釈可能になっています。

 

しかし、

歌う人が違うとこうも感じ方が違うのか…

と驚愕します。

 

なんとなく、

PUFFが歌うと

毒もあるけどキュートな雰囲気、

スピッツが歌うと

色気も感じる妖しい雰囲気に。。

 

そんな歌詞を見ていきます。

 

ヤワなハートがしびれる

ここちよい針のシゲキ

理由もないのに輝く

それだけが愛のしるし

いつかあなたにはすべて打ち明けよう

少し強くなるために壊れたボートで一人

漕いで行く

夢の中でもわかる

めくるめく夜の不思議

 

「ヤワなハートがしびれる

心地よい針のシゲキ」は、

第一印象としては、

弱った人の心に漬け込む、

麻薬の注射針のイメージでした。

 

もしくは、純粋に

恋する相手に出会った瞬間、

といった感じでしょうか。

ビビビッと来た、みたいな。

 

純粋に恋の歌とすれば、

相手に対してビビビッと来たという

直感的な感情がある、

それだけでも愛のしるしとして

認定される、となります。

 

今まで他人には

あまり見せてこなかった秘密も

いつかはちゃんと相手に伝えるから、

その勇気を持つ強さを身につけるため、

今は片想いの最中で

一人で進んでみようと思っている、

といった感じでしょうか。

 

一方で、

違法なクスリ的な意味でのシゲキだと

解釈すると、

おそらく恋人に勧められて試したクスリは

自分にとっては刺激的で、

微かに残る注射の後は、

勧めてきた恋人とお揃いで、

形として愛のしるしが生まれた

という感じになります。

 

いつかちゃんと本当の気持ち、

本当は止めたいという思いを

打ち明けたいと思いつつ、

でもまだ言い出せる勇気がないから、

その強さを身につけるために

一人でもがき続けます。

 

恋人に愛という言葉で口封じされて

言われるがまま、

ひっそりとした夜に

夢を見るような世界、

クスリで見る幻想に連れていかれている

ような描写になります。

 

個人的な考えとしては、

前者が男性目線、つまりスピッツ版、

後者が女性目線、つまりPUFF版、

というイメージです。

 

 

ただの思い出と風が囁いても

嬉し泣きの宝物

何でもありそうな国でただひとつ

ヤワなハートがしびれる

ここちよい針のシゲキ

理由もなく輝く

それだけが愛のしるし

それだけが愛のしるし

それだけで愛のしるし

 

こちらでも二通りの解釈を

してみたいと思います。

 

純粋な男性目線の恋の歌、とすると。

 

直感的に恋に落ちた相手と

触れあっていく中で、

相手から贈られた

ちょっとしたアクションでも、

自分にとっては

嬉し泣きするほどの宝物のような輝きを

しています。

 

吹く風、つまり周りの声は

そんなのはただの思い出の一つで、

いつかは忘れてしまうものだと指摘しても、

恋する自分からしたら

永遠に忘れられない大切なものとして

ずっと大切に心に留めていたいと思います。

 

形としての美しいものなんか

ありふれている、

なんでもありそうなこの国で、

自分にとってはただひとつ、

君に贈られた言葉や仕種が

一番美しく輝く存在で、

気弱な自分の心をつき動かす刺激であり、

それこそが愛のしるしだと

思っているのです。

 

一方で、恋人に流されてクスリに手をつけた

女性目線で解釈すると。

 

一度きりだよ、ただの思い出づくりだよと

甘い言葉で囁かれ試したクスリは、

今では自分にとって

欠かせない存在となってしまい、

嬉し泣きするような狂った思考で

それを求めてしまう自分がいる、

という描写になります。

 

他に救いになりそうなものなんて、

なんでもあるこの国には

たくさんありそうなのに、

その中でわざわざただこれひとつを

選択してしまったのには、

やはり救いになるだけではなく、

恋人と自分を繋ぐものという意識が

強いからではないかと

錯覚するのです。

 

ただこれだけが

今、恋人と自分を繋ぐ

愛のしるし」だと

思い込んでしまうことで、

なかなか抜け出せずに狂っていく

様を感じられました。

 

男性目線だと、奥手な男性の

純粋な片想いの歌、

女性目線だと、ヤベェ恋人関係の歌

という風に解釈できる、

歌い手による印象付けも

曲の意味を左右するのだと感じられる、

不思議で魅力的な曲になっています。

 

 

3.スピカ

https://youtu.be/skTm1_kwR8w

 

19thシングルとして、「楓」

(アルバム、フェイクファー収録

https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/11/15/130731

との両A面でリリースされていました。

 

その前に両A面シングルとして

リリースされていた「謝々!」

(アルバム、フェイクファー収録)同様、

「ですます」の丁寧語が使われている歌詞が

特徴的です。

 

楓同様ファンの間では人気曲となっている

この曲も、

さっそく聞いていきます。

 

ギターの歪んだ音から始まるイントロは、

激しくはないものの

しっかりとバンドの音が鳴り響き、

何かが始まりそうなワクワク感も

感じられます。

 

続く歌詞を見ていきます。

 

この坂道もそろそろピークで

バカらしい嘘も消え去りそうです

やがて来る大好きな季節を思い描いてたら

ちょうどいい頃に素敵なコードで

物凄い高さに届きそうです

言葉より触れ合い求めて

突き進む君へ

粉のように飛び出す

せつないときめきです

今だけは逃げないで

君を見つめてよう

やたらマジメな夜

なぜだか泣きそうになる

幸せは途切れながらも続くのです

 

この曲は、フェイクファーの収録時、

1997年に作られたという事を考慮すると、

1997年は、

ちょうどスピッツというバンドが

結成されて10年目を迎えています。

 

なので、

パッと見は素敵な恋の歌のようにも

感じられますが、

実はスピッツというバンドに対しての

気持ちも

込められているのではないかとも

考えられます。

 

そう考えると、最初の一文

「この坂道もそろそろピークで

バカらしい嘘も消え去りそうです」は、

当時大ヒットを起こして

その後続く状態もそろそろピークかな、と

客観的に自分達を捉えているようにも

感じられます。

 

そして、

「やがて来る大好きな季節」は、

本人たちが望んでいた、

そこそこ売れて

でもヒットしずきない、騒がれない

時期が近づいている、という意味に

なります。

 

そんな、

そろそろやってくるであろう

「ちょうどいい頃」、

また生み出される「素敵なコード」で、

ピークに差し掛かっている坂道の

「ものすごい高さ」に届きそうになります。

おそらくもう落ち着いただろって頃に

また話題になった、

♪楓 とかの事だと思います

(楓はシングルとしては

この曲と同時リリースなので別の曲かも)。

 

「言葉より触れ合い求めて突き進む君」は、

触れ合い=ライブ というイメージで、

ライブに足を運んでくれるファンの事を

指しているのでは、と解釈しました。

 

言葉=シングルやアルバムとして出す曲 も

大事で、

CDを買って聞いてくれるだけでも

いいけれど、

やっぱりライブ活動をメインに

行なってきたバンドなので、

ライブに足を運んでくれるファンが

一番大事で、

そんなファンの一人である君、

つまり聞いている私たち一人一人に対して

送る、決意の曲である

という意思を感じました。

 

「粉のように飛び出すせつないときめき」は

ライブでステージ側から見た観客、

わっと盛り上がる様を

「粉のようにぶわっと飛び出す」様子と

重ね合わせて、

嬉しいような、でも

あくまでバンドとしての自分を

求めているのであって…

そう考えるとちょっと切なくなるような

複雑な“ときめき”、

ライブ中の心境を表現していると

解釈しました。

 

現実を振り返ると何者でもない自分が

ステージに立って、

多くのお客さんに見てもらってる、

自分の曲で盛り上がってくれている。

 

そのギャップから、

今は逃げないで、観客一人一人を

見つめてようと決心します。

 

いつまでもこの状態が続くとは限らない、と

どこか客観的に、冷静に、

やたらマジメになってしまう考えに

泣きたくなる日々を過ごしながらも、

けれどこの「幸せは」、

「途切れながらも続くのです」。

 

それは、

バンドを結成して10年で見てきた景色や

過ごしてきた日々を振り返り、

良くない事や辛い事もあったけど、

こうして多くの人に喜んでもらえる

景色を見る度に

幸せを感じる事が出来ると

確信に変わった事。

 

だからこそ、

こうしてはっきりと、

「幸せは途切れながらも続くのです」と

聞いてくれてる一人一人にも

共有できるように、

触れ合いを求めて突き進む君にも、

あえて「言葉」で伝えるのです。

 

 

はぐれ猿でも調子がいいなら

変わらず明日も笑えそうです

ふり向けば優しさに飢えた

優しげな時代で

夢のはじまりまだ少し甘い味です

割れものは手に持って運べばいいでしょう

古い星の光 僕たちを照らします

世界中何も無かった

それ以外は

 

「はぐれ猿」はまさに

自分たちの事を指していると解釈しました。

 

どこにもないバンドを目指して、

実際、他にはない独自のスタイルで立つ

スピッツというバンドになり、

そうした自分達を自虐的に はぐれ者だと

した上で、

そんな自分達でも「調子がいい」

=多くの人に受け入れてもらえている 時は

嬉しくて、

「変わらず明日も笑えそう」だと

実感します。

 

今までの道のりを振り返ると、

生きている時代は、

災害や事件など様々な事が起きて

人々は「優しさに飢えた」状態にあるけれど

実は自分達を受け入れてくれるような

「優しげな時代」であったと

思い出すのです。

 

新曲を聞いてくれてライブを見てくれる、

そんな「夢の始まり」はまだ、

「少し甘い味」がするような

そんな幸せを噛み締めながら、

「割れもの」=時代の流れによって

離れていくかもしれないファン

を、大切に守りながら、丁寧に

「手に持って運べばいいでしょう」。

 

タイトルである“スピカ”は

新星として存在しているようですが、

ここでは「古い星の光」が

「僕たちを照らします」。

 

照らす「古い星の光」は、

古くから歴史のあるロックという音楽、

自分たちがこうして見てもらえる媒体

そのものを指していると解釈します。

 

ロックという表現方法でしか

自分を見てもらえる媒体はないと

控えめに思いつつも、

それが確実であるという確信も含めて、

そこに頼ってこれからもやっていこうという

決意を感じました。

 

 

南へ向かう風流れる雲に

心の切れはしを託したならば

彼方へ…

 

「南へ向かう風」は、

時代の流れ、流行を指していると

解釈します。

 

雲はここに留まってくれない人々を指し、

流行に流されて離れていく人々にも、

自分たちの「心の切れはし」

=自分たちの気持ち、想いなどを

託して、彼方へ旅立つ人々を送ります。

 

 

粉のように飛び出す

せつないときめきです

今だけは逃げないで

君を見つめてよう

やたらマジメな夜

なぜだか泣きそうになる

幸せは途切れながらも続くのです

続くのです

 

そうして、

離れていく人々を惜しみながらも

今残ってくれて変わらず応援してくれる

ファンから今は逃げないで、

振り返るとやたらマジメになって

泣けてくる夜にも、

それでも確信を持って

「幸せは途切れながらも続くのです」

というメッセージを伝えるために、

歌い続けるのです。

 

結成から10年で、

自分たちの役割を見つけたスピッツは、

新しい星、スピカを見つめて

自分たちが感じてきた想いを

ファン一人一人と共有できるように

これからも活動を続けていくよと

宣言している曲であると

感じました。

 

 

4.旅人

 

14枚目シングル「渚」のカップリング曲。

 

イントロからワクワクするような

ドラムのリズムに、

ロディアスで丁寧な

ギターの音が合わさり、

うねるような低音のベースが

アクセントとなり、

そして象徴的な、伸びやかな高音の歌声。

 

その全てが詰まった、

この時期(1996年)らしく、そして

スピッツらしい一曲だと思います。

 

旅好きを公言する草野さんらしい

「旅立つ人」のイメージの

少し寂しげだけどワクワク感も持って

前に進んで行くという雰囲気を感じられる

歌詞を見ていきます。

 

 

旅人になるなら今なんだ

冷たい夕陽に照らされてのびる影

 

 

いきなり「冷たい夕陽」、「影」という

少し後向きな言葉が並びます。

 

この後に出てくる経緯を辿っていくための

状況説明にもなりながら、

後向きな言葉で表現される心情から

脱するために、

「旅人になるなら今なんだ」という

決心をした、

という現在に辿り着きます。

 

 

やっぱりダメだよ 目を覚ましても

あの瞳

まっ赤なクレパス 塗りつぶしてく

無理矢理に

君を抱きしめて 鼻スリ合わせた

稲妻の季節 甘いランデブー

バッサリ切られて なんでそーなの俺だけが

頭ハジけて雲のベッドでフテ寝して

意地悪に賭けたありあまる魂

飛び過ぎた後の若いカンガルー

旅人になるなら今なんだ

いかつい勇気が粉々になる前に

ありがちな覚悟は嘘だった

冷たい夕陽に照らされてのびる影

 

 

サビ前までは片仮名を使用しながら

言葉遊び、韻を踏み、

決意までの経緯を辿っているように

感じられます。

 

忘れたはずの記憶、「あの瞳」は

目を覚ましてもやっぱり残っていて、

より寂しさを感じてしまう日々が

続いているようです。

 

その忘れたはずの記憶、というのは

君を抱き締めて、鼻をスリ合わせたような

刺激的な「稲妻の季節」、

「甘いランデブー(デート)」。

 

「あの瞳」は君のものであって、

見つめてきた瞳が脳裏に残って

消えない状態である、

つまり君は現在近くにいない、

別れてしまってる状態にあります。

 

寝起きの悪い頭で

無理矢理記憶を消すために

「真っ赤なクレパス」で「塗りつぶしてく」。

 

グシャグシャと力任せに塗っている

イメージで、その行動もまた、

孤独感を漂わせている気がします。

 

そんな事をしながら

「なんでそーなの、俺だけが」

「バッサリ切られて」、と

後悔というよりも理不尽だと怒るような、

自分に対してなのか、

はたまた過去を振り返って、

自分をすぐに捨てるような人たちに対して

なのか、イライラを募らせていきます。

 

そんなイライラで「頭ハジけて」、

「雲のベッド」=現実逃避の場所 で

フテ寝しながら振り返った時に、

そういう人を選んできたのは自分で、

あえて「意地悪に賭けた」のも

自分であると思い出します。

 

ありあまる魂で飛びすぎた、

若気の至り的なものは

「若いカンガルー」と例えて、

そんな自分を客観的に捉える事で

少し落ち着いたのか、

そこでようやく、

この状況から脱するために、

今、旅人になる事を決心していくのです。

 

「いかつい勇気が粉々になる前に」。

 

旅人になる、変わるんだという気持ち、

その勇気は確実なものではなく、

少しの事で揺らいで粉々になって

なくしてしまうかもしれない

ものであるため、

だからこそ、決意した、その今すぐに

旅立つ事にしたのです。

 

「ありがちな覚悟は嘘だった」と、

これまで意地悪に賭けてきた、

自分で責任を持って選んできたその覚悟は

嘘であって、

本当はもういちいち傷付きたくないし、

捨てられたくない、

そんな気持ちに気付いた頃、

旅立つ旅人を冷たい夕陽が照らし、

影を伸ばしていきます。

 

「冷たい夕陽」や「のびる影」は、

まだ脆い勇気を持って

旅立つ旅人、自分に対する皮肉のようなもの

でもあると感じられました。

 

 

ぐったり疲れた

だからどうしたこのままじゃ

ひっそり死ぬまで空を食ってくだけの道

ハリボテの中を のぞき見た時に

いらだちのテコが全てを変える

旅人になるなら今なんだ

いかつい勇気が粉々になる前に

ありがちな覚悟は嘘だった

冷たい夕陽に照らされてのびる影

 

 

いざ少しの勇気を持って旅に出た旅人は、

すぐには変わる事が出来なくて、

いろんな冒険を繰り返して、結局

「ぐったり疲れた」状態になります。

 

でも、「だからどーした」、

「このままじゃ、

ひっそり死ぬまで空を食ってくだけの日々」

だぞ、と

若干冷静に、自分を奮い立たせます。

 

「空を食ってく」=妄想 という

イメージから、

この旅の中で安定したものを求めないと、

もう死ぬまで妄想だけで

終わってしまうのではないか、という

焦りも含めた奮い立たせ方であると

感じられます。

 

そんないらだちを持って

「ハリボテの中をのぞき見た時に」、

その持っている苛立ちのパワーがテコとなり

「全てを変える」事になります。

 

ハリボテ、期待していないものを

あえて手にしてみたら、

自分の今の状況や性格とうまくマッチして

歯車が動き出し、

今が全て変わるような感覚を覚えます。

 

つまり、

ここで運命の人に出会えた、

その瞬間を切り取った表現がされている

という事になります。

 

そういう事もあると

証明できた事によって、

持ってたありがちな覚悟は

嘘だったとしても、今度は大きな声で、

「旅人になるなら今なんだ」と

言えるのです。

 

夕陽はまだ冷ややかに

影を伸ばしてきますが、

最後のは後向きなイメージよりも、

そのマイナスな感情が

後ろから迫ってきていても

今は振り返らず、

見つけた運命の人と共に

新たな旅立ちをする、という

前向きな意味で捉える事ができます。

 

そう解釈すると、

ロディアスに美しく流れるような

ギターの音は、

歌詞に含まれる後ろ向きな感情、

うねるベースの音は旅立つ力強さ、

ドラムは前向きに旅に進めるような、

旅のイメージ、と

音でも歌詞の世界観を広げていると

感じられ、

メンバーが草野さんの作る曲に対して

リスペクトしながら

世界観を一緒に作り上げているんだと

改めて感じられ、

そういった意味でも

とても「スピッツらしい」が詰まった

一曲だと思います。

 

 

5.俺のすべて

 

11枚目シングル「ロビンソン」の

カップリング曲。

単純に考えると

一番売れた曲のカップリング曲なので

一番有名なはず。

そうでもないのか…?

 

レコーディング当時は、

メンバーは「ロビンソン」は地味だから

売れない、

こちらをA面(メイン)に出そうと

考えていたそうです。

 

これまでの曲では、

主語が「僕」が多かったスピッツ

「俺」と言った事が斬新で

盛り上がったようです。

 

もしこの曲がA面だったら、

現在のスピッツとは違った運命を

辿っていたかもしれません。

 

そんな、ある意味運命的なこの曲も

さっそく聞いていきたいと思います。

 

 

燃えるようなアバンチュール

うすい胸を焦がす

これが俺のすべて

 

 

アバンチュールとは、

冒険的な恋、火遊びといった

意味があります。

 

つまり、燃えるような、熱い火遊び的な

恋をして、

薄い自分の胸を焦がすようにしている、

それが「俺のすべて」であると

言い切って歌い出します。

 

薄い胸=熱い恋をするのには

似合わないような、

軟弱そうな見た目でだけど、

強がってを出している、

他人から見たらちょっとダサいと

思えてしまうようなその姿を

あえてさらけ出して、

これが「俺のすべて」だ、と

言っているように感じられます。

 

 

歩き疲れて

へたりこんだら崖っぷち

微笑むように白い野菊が咲いていた

心のひだに はさんだものは

隠さなくてもいいと

河のまん中 光る魚が

おどけるようにはじけてる

燃えるようなアバンチュール

うすい胸を焦がす

そして今日も沈む

夕日を背にうけて

 

 

ライブではギターを弾きながら歌う

ボーカルの草野さんが、

珍しくギターを置いて

タンバリンを鳴らしながら歌うのが

この曲の特徴です。

 

アクション的な意味でも楽しいし

こちらも熱くなるほど盛り上がります。

 

歌詞に戻ります。

 

軟弱そうな見た目で、

今でいう陰キャ的な男性を想定します。

 

人づきあいや諸々の、

普段の生活に疲れて、そこで

へたりこんでしまったら

また周りにバカにされるのではないか、

また崖っぷちに立たされて

蹴落とされるのではないかといった

漠然とした不安を抱いていると、

そこに微笑むように白い野菊が

咲いていたのを見つけます。

 

「白い野菊」は

後に熱い恋に落ちる人、

恋人であると思います。

 

その恋人の前では、

気負いすぎて疲れてしまうほどに、

普段の生活では隠してきた

「心のひだにはさんだもの」を

「隠さなくてもいい」と、

全てを晒け出せるという

信頼を寄せます。

 

全てを曝け出したら、

「河のまん中」

= 自分の中で中心となるもの、

今現在でいうところでは、

恋をする事に重きを置いた脳内を

表現したとイメージ、で

「光る魚」

= 自分の中でただひとつ光り輝くもの、

脳内で発信されるひとつの感情、が

「おどけるようにはじけてる」状態に

なります。

 

信頼する恋人に対し、

自分の全てを曝け出して、

自分の守ってきた理性なども

想像しなかったほどに、

その人に向ける恋心が

自分の中心となって、

その感情に逆らわずに

まっすぐと突き進んでいく、という

勢いがある状態です。

 

そしてそんな

「燃えるようなアバンチュール」で

「うすい胸を焦がす」自分は、

「今日も沈む夕陽を背にうけて」

誇らしくこの場に立っています。

 

普段は情けない姿をしているが、

恋人に絶対的な信頼を寄せて

抱いた恋心に従って

熱い恋をしている自分、それが

「俺のすべて」だと、

今胸を張ってここに宣言しているのです。

 

 

俺の前世はたぶん詐欺師かまじない師

たぐりよせれば

どいつも似たような顔ばかり

でかいパズルのあちらこちらに

描きこまれたルール

消えかけたキズ かきむしるほど

おろかな恋に溺れたら

燃えるようなアバンチュール

足の指もさわぐ

真夏よりも暑く淡い夢の中で

 

情けない姿をしながら

燃えるような熱い恋をしている自分は、

いわゆるギャップ的なものの

降り幅が凄くあり、

それを客観的に見て

自虐的に、「俺の前世は

たぶん詐欺師かまじない師」だ と

苦笑いしながら振り返っています。

 

熱い恋をして強気になっている状態で、

漠然とした不安を抱いていた頃に

恐れていた、周りの人たちは

実は「たぐりよせれば

どいつも似たような顔ばかり」だと

気づきます。

 

似たような顔ばかりの人たちは、

でかいパズルのピースのようなもの、とまで

思えるようになったものの、

そのパズルのあちらこちらに

描き込まれたルールに

また翻弄されていきます。

 

ここでいう「パズル」とは、

世間一般の常識や仲間内でのやり方、

自分が属している世界を表現していて、

人々はそのでかいパズルのピースだと

思えても、

重なったひとつのパズル

= 属する世界 には、

こうしなければいけない、といった

暗黙のルールが描き込まれている、

という解釈をしました。

 

それを再び目にすると、

強気になれた気がしていても

やはり怖気づいて、

消えかけていたキズをかきむしるような

感覚になっていきます。

 

そこで、

信頼を置く恋人の存在を思い出し、

自分はあえて、

属する世界の暗黙のルールを無視した、

「愚かな恋に溺れ」ていくのです。

 

そして今日も、

「足の指もさわぐ」ような、

「真夏よりも暑い」、愚かな恋で

淡い夢の中へ落ちていきます。

 

自分の全てを捧げるように

熱い恋に溺れるのには、

暗黙のルールが存在する世界から

逃げるためでもあるのかもしれません。

 

 

何も知らないおまえと

ふれてるだけのキスをする

それだけで話は終わる

溶けて流れてく

 

 

そんな「俺」の現実逃避のため、だとかは

何も知らない「おまえ」。

恋人は、自分と恋に落ちている人が

自分以外の人の前では

とても弱い存在である事など知らないで、

純粋に好きでいてくれている。

 

だからこそ、「俺」は

ふれてるだけのキスをして、

それだけで充分熱い恋に

「おまえ」と落ちていき、

心を溶かして

二人で恋に流されていくのです。

 

いやー、えっちだ!←

 

このあと

しばらく間奏が続き、

盛り上がりが最高潮になる頃

一旦全ての演奏が止まり、

数秒の静寂が訪れます。

 

こうした音による焦らしテクで

こちらの気持ちもウズウズします。

 

そしてまた歌が始まり、

抑えられた興奮が爆発するように

盛り上がるのがたまんないですね。

 

 

燃えるようなアバンチュール

うすい胸を焦がす

そして今日も沈む

夕日を背にうけて

山のようなジャンクフーズ

石の部屋で眠る

残りものさぐる

これが俺のすべて

 

立場の弱い現実から逃避するように

似合わない姿で

燃えるような熱い恋をして、

それを誇らしく胸を張って宣言しています。

 

また、自分が逃避している世界の者が好む、「山のようなジャンクフーズ」に

すぐに飛び付くことなく

一旦冷たくて硬い「石の部屋」で眠り、

皆が去った後に

その山のようなジャンクフーズの中から

「残りものさぐる」ような、

控え目と貪欲の間のような

複雑な心を持ち続けている自分も

そこにはいます。

 

そんな心を持ちながら

「おまえ」と「淡い夢」を見続けている、

それが「俺のすべて」だと、

はっきり言い切るのです。

 

普段 歌詞では「俺」を使わない

スピッツの楽曲で、

あえて一人称が「俺」の曲は、

実は限りなく草野さんそのものに近いの

ではないのかな、と感じられます。

 

 

6.猫になりたい

 

9枚目シングル「青い車」の

カップリング曲。

 

こちらも直前まで

A面で出そうとしていたらしく、

シングルのジャケットも

それを想定して

猫がモチーフのオブジェが

デザインされています。

 

切ないメロディに

「猫になりたい」という

大胆なタイトルなどが人気で、

ファンの間でも

不動の人気を誇っています。

 

さっそく聞いていきます。

 

どこか寂しげで、

でも暗い夜にポッとひとつ

小さな光を灯しているようにも

感じられるバンドサウンドが続き、

それが歌詞にもリンクしています。

 

そんな歌詞を見ていきます。

 

 

灯りを消したまま話を続けたら

ガラスの向こう側で星がひとつ消えた

からまわりしながら通りを駆け抜けて

砕けるその時は君の名前だけ呼ぶよ

広すぎる霊園のそばの

このアパートは薄ぐもり

暖かい幻を見てた

猫になりたい 君の腕の中

寂しい夜が終わるまでここにいたいよ

猫になりたい 言葉ははかない

消えないようにキズつけてあげるよ

 

暗くて寂しい夜の情景が、

音からも歌詞からも伝わってきます。

 

部屋の灯りも消したまま、

寂しくて電話とかしながら

ふと窓の外を見ると、

さっきまでは見えていた

ひとつの小さな星さえも消えてしまい。

 

寂しさを紛らせようとした結果、

より寂しくなってしまった

という心情が、

情景描写で見事に描かれています。

 

そんな「からまわり」=電話の先の君 と

すれ違い、

心にスキマが出来た状態で

それでも「通りを駆け抜けて」いきます。

 

どうもすれ違ってばかりだけど、

まだ別れとまではいっていない、

限りなくそれに近い状態でもがいている、

というイメージです。

 

「広すぎる霊園の側のこのアパート」も

妙に寂しさを感じられる場所です。

 

実際に本当にアパートの近くに

霊園があるのか、

それとも何かを「広すぎる霊園」と

例えているのかは

定かではありません。

が、個人的には後者だと解釈しています。

 

一人で灯りもつけないでいる時に、

どうもこの空間だけが

世界から切り取られているような

感覚になる事があります。

 

おそらくそういった、

日常から切り離されていて

自分だけが浮いているような、

周りは死者を祀る「広すぎる霊園」の

ようなものに囲まれていて、

生きているのか死んでいるのかも

分からなくなるほど、

孤独で寂しい状態である、と

解釈しました。

 

そんな切り取られた空間の頭上は、

微かに見えていた星も消えてしまった

「薄ぐもり」。

光のない夜の中で、

寂しさを紛らせるためにした電話

(話を続ける行為)。

そこでひとつ、「暖かい幻」を見ます。

 

それは「猫になりたい」。

 

猫になって、

この寂しい夜が終わるまで

「君の腕の中」にいたい、という

妄想でした。

 

素直に甘えられて、

ずっと君のそばにいられる存在になれば、

自分も相手も

寂しさを感じる事なく

幸せに過ごせるのにな、と

寂しい夜に一人で考えます。

 

理想と現実が真逆なのが、

より寂しさに拍車をかけている

気もします。

 

「猫になりたい」と口に出してみても、

灯りも灯さないで一人でいる部屋で

こだまして、

一人寂しい自分に返ってくるだけ。

叶わない気持ちを口にしても

「言葉ははかない」と感じるのみ。

 

だから、別々になっても

それぞれを感じられるように、

寂しくならないように、

「消えないようにキズつけてあげるよ」と

言ってみるのです。

 

 

目を閉じて浮かべた

密やかな逃げ場所は

シチリアの浜辺の絵ハガキとよく似てた

砂ぼこりにまみれて歩く

街は季節を嫌ってる

つくられた安らぎを捨てて

猫になりたい 君の腕の中

寂しい夜が終わるまでここにいたいよ

猫になりたい 言葉ははかない

消えないようにキズつけてあげるよ

 

「目を閉じて浮かべた密やかな逃げ場所」は

まさに、うまくいかない、

すれ違ったままの状態から

逃避するために浮かべる

妄想の世界です。

 

そこは、「シチリアの浜辺の絵ハガキ

よく似ていた」世界。

静かで落ち着いた楽園、

安定して幸せな世界を

表現したものだと思われます。

 

そんな妄想の世界に対して、

現実では、

「砂ぼこりにまみれて歩く」自分を、

「街は嫌っている」。

 

うまくいかず空回りしている自分の

今の状態、「季節」を、

街 = 周りの人々や現実世界の皆が

指を指してバカにするような

惨めな気持ちを背負い続けています。

 

そんな中で

愛しているはずの君からも逃げ続けて、

一人でいる事が「作られた安らぎ」

だとしたら、

さすがに癒えるどころか

潰れてしまいそうになります。

 

だけど妙なプライドが邪魔をして、

今更君にいきなり甘える事も出来ない。

 

だから、

プライドも含まれたこの「作られた安らぎ」

を全部捨てて、

猫になってずっと君のそばにいたい、と

妄想の中だけで言ってみるのです。

 

だけどそれは

あくまで妄想の中だけで

完結してしまっていて、

実際に寂しさを取り除けた訳ではないので、

猫にはなれないけれど

猫がひっかくように、

痛みの中に愛しさも感じるような、

消えないキズをつけていきます。

 

 

猫になりたい 君の腕の中

寂しい夜が終わるまでここにいたいよ

猫になりたい 言葉ははかない

消えないようにキズつけてあげるよ

 

皮肉なもので、

自分を傷付けてきた人というのは

憎しみの対象として

記憶からなかなか消えないものです。

 

ここでの消えないようなキズは、

視覚的な傷あとだけではなく、

憎しみの対象として

君の記憶から自分が消えないように

君自身の心を傷つける、という意味合いも

込められているのかもしれません。

 

寂しさから空回って、

あえて残酷な方法で

君の側にいたいと考えつつも、

実行する勇気が持てないままの

弱い自分を例えて、

「猫」という一見可愛らしいもので

誤魔化しているようにも感じられます。

 

歌っているバンドはスピッツ(犬)なのに

曲名は「猫になりたい」というのも

皮肉が効いてていいですね。

 

 

7.心の底から

 

6枚目シングル「裸のままで」の

カップリング曲。

 

この当時はとにかく売れたい一心で、

ヒットしていた曲を参考に

売れ線な曲を作る事を

目標としていた時期に作られました。

なので歌詞もストレート。

 

ただ、「裸のままで」同様、

いきなりこれまでの方向性とは違う

曲が来た事でメンバーも困惑し、

ライブでは1回しか披露していない上に

ファンの反応もそんなに良くなかった、

という

何とも可哀想な曲になってしまいました。

 

そんな曲たちに光を当てるための

このアルバムです。

少しでも救われてたらいいですね。

さっそく聞いていきましょう。

 

口笛と共にポップなリズムとメロディが、

なんか陽気で、

「裸のままで」や、

アルバム「Crispy!」の雰囲気を

彷彿とさせます。

 

トランペットや

チャリチャリした賑やかな音の中にも

地に足をつけて進むような

ベースの音がしっかりあることで、

J-POPになりすぎない、

ロックバンドの音楽である事が

感じられます。

 

それでも歌詞や

全体的な曲の雰囲気としては、

迷走してる(?)、

ある意味スピッツらしくない言葉が

並んでいます。

さっそく見ていきましょう。

 

いつもより無邪気に腕ふり風を切り

ひと握りくらいの疲れをバネにして

すすめ!まだまだ

明日をあきらめないで

きっとどこかで窓を開けて待ってる

心の底から愛してる

今でも奇跡を信じてる

天使のパワーで悪魔のパワーで

取り戻せありふれたストーリー

 

売れ線狙った

明るい感じを目指しつつも、

どこか後向きというか

ネガティブな要素を感じられるのが

スピッツスタイル。

 

基本的にはあまり深く読まなくても、

歌詞の通りだと思うのですが、

「いつもより無邪気に腕ふり風を切り」、「ひと握りくらいの疲れをバネにして

すすめ!」など、

どこか本当は疲れや不安などを感じながら、

それを糧にするというよりも

そんなものは今は存在してないと

無理やり思い込んで

前向きに進んでいるように

見せかけているのではないか?と

感じてしまう要素が

散りばめられています。

 

「明日をあきらめないで」

「きっとどこかで窓を開けて待ってる」

と、

疲れや不安を抱えている自分に、

他人が投げ掛けた、

ある意味無責任な言葉たち。

 

それらを今は

自分の中で響かせながら、

「心の底から愛してる」、

「今でも奇跡を信じてる」、と

絶望の世界

無責任に投げ掛けてみてるように

感じてしまいます。

 

「天使のパワー」や

「悪魔のパワー」といった、

現実には存在していないけれど

そんな現実離れした力は、

無責任に投げ掛けられた言葉たちと

同じようなもので、

そんな力もなさそうなものを

今は信じてみて、

せめて「ありふれたストーリー」を

「取り戻す」ために

前に進んでいこうとしています。

 

どうしても無理してる背景を知ってしまうと

特に深い意味がないとしても

深読みしてしまいますね。

たぶんもっと純粋に聞いていい曲のはず。。

 

 

陽の光まぶたに受けて真赤な海で

金縛りみたいにごろごろもがいてる

とばせ!魂を高い柵の向こうまで

白い小さな花になるいつかは

心の底から愛してる

世界の終わりがもう見える

銀河のシャワーをバベルのタワーで

吸い込め涙のグローリー」

 

 

後半からなんというか、

本性表してきたな、という感じが

するんですが。

 

「真赤な海」=血の海 的なものを

真っ先に思い浮かべました。

 

前半で向けられた、

ある意味無責任な、一見したら前向きな

言葉たちに背中を押されて

進んだ方向が、

一般的に想像していたところに

行ってくれないのが

初期のスピッツあるあるです。

 

「陽の光をまぶたに受けて」、

清々しい気持ちを迎えながら

「金縛りみたいにごろごろもがいてる」。

抗えない硬直に

少し抗ってみているようなイメージです。

 

ここから、

何となく死の雰囲気を漂わせている予感と、

それは自分自身に向けられている

のではないかと考えられます。

 

背中を押されて向かった先は

死の世界だったのです。

 

「とばせ!魂を高い柵の向こうまで」と

高い柵=生死の境目、

今いる生の向こう側、つまり死の世界に

自分の魂を勢いよく飛ばしています。

 

「白い小さな花」=死者 の

全てから解放されて

美しい姿を現したもの、

に「いつかはなる」と

そこを目指して

生死の高い柵を越えようとします。

 

自分自身が

「心の底から愛してる」ものは、

死の世界や死者として

美しい姿になる事

だったのかもしれません。

 

そうした「世界の終わり」が

もう目の前に現れて、

それは自分にとっては救いになるような、

「銀河のシャワー」を浴びているような

感覚なのです。

 

「バベルのタワー」=バベルの塔

旧約聖書の「創世記」中に登場する

巨大な塔)は、

実現不可能な、天に届く塔を

建設しようとして、

崩れてしまったといわれる事にちなんで、

空想的で実現不可能な計画を

比喩的に表現する際に使われる

言葉ともされています。

 

そんな、死に向かうような

ある意味空想的な世界で

「銀河のシャワー」を浴びて

吸い込むのは「涙のグローリー」。

 

グローリーとは、

英語で「栄光」を意味します。

 

悲しいような、情けないような、

けれどこれが自分自身であると、

その称号を勝ち取ったかのように

むしろ誇らしくいられて、

前向きに死の世界に向かっていっている

ようです。

 

そして、

ギターソロのパートが間奏に存在して、

歌詞や曲はどうしてもJ-POPというか、

ポップな曲を目指しつつも少し主張しようとしてる感があります。

 

 

「すすめ!まだまだ

明日をあきらめないで

きっとどこかで窓を開けて待ってる

心の底から愛してる

今でも奇跡を信じてる

天使のパワーで悪魔のパワーで

取り戻せありふれたストーリー

 

そして、

前半では他人から無責任に投げ掛けられた

前向きな言葉たちを

あえて響かせて自分も無理やり

前を向かせられている、と

解釈したフレーズを、

死の世界へ向かうための糧とした

経緯を辿ってから再び聞くと、

より皮肉的に響いてしまいます。

 

純粋な明るいものを求めても、

やっぱり毒を効かせてくるあたりが

スピッツだなぁと感じられる一曲です。

 

 

8.マーメイド

 

4枚目シングル「惑星のかけら」の

カップリング曲。

 

アルバム「惑星のかけら」

https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/08/06/142203)に収録するのを、

これか「波のり」かで迷っていて、

結局収録されないという事で

カップリング曲となりました。

 

「惑星のかけら」というアルバムは、

どこか重めのロックを前面に出していて

素直ではない感じのテーマだったので、

この曲の素直な感じが

合わなかったといいます。

 

そんなこの曲もさっそく聞いていきます。

 

イントロからポップで爽やかな印象を

与えます。

言われると「波のり」の雰囲気に

ちょっと似てるかも?

 

ところどころに歪んだギターや

着実なベースが

刻むように響くのが

アクセントとなっています。

 

歌詞を見ていきます。

 

 

どうもありがとうミス・マーメイド

甘い日々を

カラカラだった魂に水かけて

不死身のパワーを僕に注ぎ込んだ

はぐれたボートの上

優しくなった世界の真ん中で

君の胸に耳あてて聴いた音

生まれた意味を見つけたよひとつだけ

潮風に吹かれて

サマービーチ・お魚・白い雲

素敵な想い出ずっと忘れないよ

いつまでも

 

ひと夏の思い出を歌ったような歌詞です。

 

アルバム「惑星のかけら」では

死による生命の巡りや神秘などが

語られる曲が多いという印象でしたが、

こちらも、ひと夏の恋の中で

生命力を感じる事ができます。

 

この頃のスピッツの歌詞には

「母性」がテーマになっているものが

結構ある気がします。

 

「僕」とひと夏の恋をした

「ミス・マーメイド」は、

僕自身にも生きる勇気を与え、

そして次に生まれる命にも

力を与えたように感じられます。

 

 

どうもありがとうミス・マーメイド

愛の日々を

短く暑い夏の蜃気楼

すくすく育てばいつかは食べられる

ぼやけたフルーツの夢

サマービーチ・お魚・白い雲

素敵な想い出ずっと忘れないよ

いつまでも

 

 

「すくすく育てばいつかは食べられる

ぼやけたフルーツの夢」、

この「フルーツ」こそが、

僕とミス・マーメイドの間に出来た

新たな命であると考えられます。

 

今はまだ

ぼやけた夢のような存在だけど、

ひと夏の恋の間で育んだ

「愛の日々」のように

この命も愛していき、

すくすく育てば

いつかは食べられる立派な実となるだろう

という意味が込められてると

思います。

 

エロというより

その先の生命力を強く感じる、

「タイムトラベラー」

(アルバム「Crispy!」収録)的な曲だ

という解釈をしました。

 

 

サマービーチ・お魚・白い雲

素敵な想い出ずっと忘れないよ

いつまでも

ずっとずっといつまでも

 

 

ひと夏の恋で生まれた愛情、

そして生命力をずっと忘れずに、

次に繋げていくという曲だと

感じられました。

 

これはあんまりひねくれずに

捉えていい曲なのではないでしょうか。

 

草野さんの甘いけれど儚い感じの若い声が

真夏の倦怠感を漂わせていて

より南国の雰囲気を醸しています。

 

 

9.コスモス

 

5枚目シングル「日なたの窓に憧れて」の

カップリング曲。

 

この曲は何と1回もライブで

披露されていないという

もっと可哀想な曲。

 

確かに、どこか暗めで

ライブ映えもあまりしなさそうですが…

 

オーケストラアレンジのミニアルバム

「オーロラになれなかった人のために」

https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/03/28/113001)の

延長のような雰囲気ではあるものの、

楽器での表現の方法や

歌詞に悩んでいた時期で、

その苦悩が垣間見える曲となっています。

 

さっそく聞いていきましょう。

 

寂しげでボワンと静かに響くイントロで、

ところどころにシンバルの

カーンとした音が挟まれている事で

より静けさ(シンバルを大きく感じられる)

を表現していると思います。

 

そして語るように歌い出す

歌詞を見ていきます。

 

 

「鮮やかなさよなら 永遠のさよなら

追い求めたモチーフはどこ

幻にも会えず それでも探していた

今日までの砂漠

約束の海までボロボロのスポーツカー

ひとりで行くクロールの午後

君の冷たい手を暖めたあの日から

手に入れた浮力

ささやく光浴びて立つ

君を見た秋の日

さびしげな真昼の月と西風に

揺れて咲くコスモス

二度と帰れない

 

世界観には関係ないですが、

当時レコーディング時に

歌詞をホワイトボードに書いていたら、

エンジニアの方が

「モチーフ」の「フ」を

平仮名の「つ」と読み間違えた

というエピソードがあり、

それ以降「モチーつ」が

脳裏に浮かぶようになってしまって

純粋に聞けなくなりました。

草野さん丸字だからね。

 

それは置いといて、

秋の別れの季節感を感じられる

歌詞となっています。

 

別れ、というのは

「永遠のさよなら」とあるように、

単純な関係性の解消というよりも

死別をイメージしました。

 

「追い求めたモチーフ」や、

会えなかった「幻」は

死の世界へ行ってしまい、

離れ離れになった魂を指していると

思われます。

 

「約束の海」は

そこが最後の場所であり、

別れを迎えている現在、秋から

遡ると、

海という場所が最後だとすると

死別したのは夏の終わりであると

イメージできます。

 

死別した魂を想い、

自分もその「約束の海」を目指し、

生前は輝かしいものであったが

亡くした今はボロボロになってしまった

「スポーツカー」で辿り着き、

ひとりその海を「クロール」で

泳いで向かいます。

 

海や川など、

水が別れの曲に登場すると

どうしても三途の川的な、

死の世界へ渡っていくためのもの

というイメージが強くなります。

この曲でもおそらくそういう事でしょう。

 

先に行ってしまった魂の

生前最後の記憶として、

「冷たい手を暖めたあの日」があり、

そこから既にその時点で

生きている感覚ではなかったと、

失った現在思い出し、

あの頃から自分も

どこか生きてる感覚を失って、

逆に手に入れたのは、

軽々と死の世界へ向かえるような

「浮力」でした。

 

残された世界で再び辿り着いた

別れた海では、

まだ夏の名残を残した陽の光が

キラキラと水面に反射して

輝く午後を迎えていた。

 

そんな「ささやかな光」を浴びながら

今まっすぐと立って見つめ、

その海に「君を見た」と

亡くなった魂を想います。

 

陽の光に対して、

空に浮かぶのは真っ白な「真昼の月」。

秋を感じる西風に吹かれ、

微かに揺れるのは

儚げな「コスモス」の花。

 

秋の日に

亡き君の魂を純粋に思い、

自分も向かっていった先で残されたのが

秋を感じる寂しげな風と

静かに揺れるコスモスの花であった

という、

静寂の中で

波の音だけがこだましているような、

そんな余韻を感じられます。

 

 

鮮やかなさよなら 永遠のさよなら

追い求めたモチーフはどこ

幻にも会えず それでも探していた

今日までの砂漠

あの日のままの秋の空

君が生きていたなら

かすかな真昼の月と西風に

揺れて咲くコスモス

二度と帰れない

 

 

「君が生きていたなら」、

鮮やかに咲くコスモスや

少し寂しげな秋の風を

共に感じられたのに、と

少し残念がりながらも、

君を求めて探し続けて、

自分もそちらへ向かう決心をした

という結論を迎えている描写のように

感じられます。

 

 

鮮やかなさよなら 永遠のさよなら

追い求めたモチーフはどこ

幻にも会えず それでも探していた

今日までの砂漠

 

 

君を失って、

自分の心からは潤いがなくなって

砂漠状態になってしまい、

心の潤いを満たすためにも

たくさんの水分がある海を

君と再び再会するための場所として

選んだ。

 

もしかしたら、

先に行ってしまった「君」も、

あなたといても心が潤わない

というメッセージを伝えるために

海を死の場所として

選んだのかもしれません。

 

二人が消えてしまった世界で

寂しげな秋を迎えた、という

後味の悪い余韻が残されたような感じを

ボワンとした演奏で

表現しているようにも

思えてしまいます。

 

 

10.野生のチューリップ

 

こちらは、「流れ星」同様に

元々インディーズ時代から

ライブで披露されていたものの、

アルバムには収録されず、

一度 歌手の遊佐未森さんに

楽曲提供という形で世に出されました。

(20枚目のシングルとして

1995年にリリース)

 

ただし、この時に

歌詞に出てくる「サカリ」が

女性が歌うのにどうなんだ、

という事で

そこの部分だけ変更されたといいます。

 

今回は、

アルバム「名前をつけてやる」の頃に

レコーディングされた

スピッツバージョンを

8年越しにリミックスしたものを

収録しました。

 

さっそく聞いていきましょう。

 

イントロからアップテンポで、

アコギの早弾きのリズムと

それに合わせてメロディーのギター、

うねる存在感を放つベース、

そしてしっかりとリズムを刻むドラムが

それぞれしっかりと奏でられていて

楽しいです。

 

歌詞を見ていきます。

 

 

「夜空にいつもの星が見えない

ポケットに破れた地図をつめ込んで

僕の目はどこへ行く

君のにおいがする

真夜中の風に乗って

野生のチューリップ探しに」

 

「夜空にいつもの星が見えない」、

そんな些細なきっかけで、

「ポケットに破れた地図をつめ込んで」、

旅に出る決意をします。

 

違和感や不満を抱え、

そこから脱するため、

またそれらを抱えた自分を

救ってくれる何かを求めて

夜な夜な旅立つ姿を描いています。

 

「破れた地図」は

正確な道しるべとはならないため、

「僕の目」はキョロキョロと迷い、

自分自身でもどこへ向かっているのか

分からない状態で、

ただ「君のにおいがする」方向へ

釣られてフラフラと、

「真夜中の風に乗って」、

救ってくれるものである

「野生のチューリップ」を

探しに行っています。

 

「君のにおいがする」、

「野生のチューリップ」は、

「真夜中の風に乗って」香りを放ち、

迷える僕を誘っているようにも

感じられます。

 

僕が探していたのは、

僕自身を誘惑しようとする、

「僕」を求めてくれる存在

なのかもしれません。

 

 

「スズメのざわめきかためた木々も

野良猫サカリの頃の歌声も

粉々に砕かれてここには何もない

真夜中の風に乗って

野生のチューリップ探しに」

 

「スズメのざわめき」や

「野良猫サカリの頃」は、

どうも動物の本能的な、

性欲に駆られている状態を連想します。

 

これまで守ってきた理性とかが

「粉々に砕かれて」、

これまでの自分はこの旅に出た時点で

「何もない」状態になっています。

 

その動物的な本能に従って、

「真夜中の風に乗って」香る

「野生のチューリップ」を求めて

歩き続けていくのです。

 

 

「いますぐ行くよまわっているよ

いますぐ行くよ壊れた時計の力で」

 

 

誘惑する「野生のチューリップ」の元へ、

「壊れた時計の力」、

時を刻まない、つまり永遠に、

今すぐ行きたい、行くから待っていてと

本能のままに、

後先考えずに進んでいく様子が、

少しボワンとした音で

表現されています。

 

 

「夜空にいつもの星が見えない

ポケットに破れた地図をつめ込んで

さよならさよなら…」

 

 

違和感を持った今の場所から旅立ち、

本能に従って

僕を求めてくれる存在の元へ行くから、

と、

元の世界へはもう戻らないという

意思を突きつけて

皮肉的に「さよなら」と

言い残しているようにも

感じられました。

 

動物的な本能を感じられる、

自分自身も「野生」となり

獣のように性欲に従順な姿は、

確かに女性が歌うには

ちょっと抵抗あるかもしれませんね。

スピッツが歌えば違和感を感じない

という不思議…

 

 

11.鳥になって

 

インディーズ時代の代表曲。

 

結成してすぐに作られ、

当時ライブでは

必ず披露されていたといいます。

 

そしてスピッツが初めて

ソノシート

(薄いレコードのようなもの。

比較的安価のため

当時アマチュアのアーティストが

よく出していた)で

リリースした曲になります。

 

「鳥になる」というキーワードは

インディーズ時代に

よく使われていたもので、

「鳥になっちゃう日」など

当時の自身のライブイベントなどでも

登場してきます。

 

今回は、3枚目シングル

魔女旅に出る」の

カップリング曲として

レコーディングしたものが

収録されています。

 

さっそく聞いていきましょう。

 

まだパンクの名残があるような

荒削り感もある

ギターのイントロメロディに、

当時武器のように掲げていた

アコギのリズムが軽快で、

若さ故の自由さをも感じさせます。

 

歌詞を見ていきます。

 

 

今鳥になって鳥になって

君は鳥になって

鳥になって鳥になって

僕を連れて行って

僕を連れて行って

あぁいつまで君の身体にしがみついたまま

きっと明日は僕らは空になる

こんなこともあるだろう

このまま僕は喋りつづけてる

 

 

ここでの「鳥」は

理性とか感情とか、そういった制止力から

全て開放されたもの、というイメージです。

 

「僕」がなるのではなく

あくまで相手にそういう状態に

なってもらって、

「僕を連れていって」ほしいと

願っています。

 

「いつまで君の身体にしがみついたまま」、

と今のところ君任せにして

甘えている状態の「僕」は、

情けないなと感じつつも開放的になり、

「きっと明日は僕らは空になる」と

全てから解き放たれた

絶頂の気持ち良さを感じています。

 

状況的にいうと、

性行為で、本当は男である自分が

優位に立たなければいけないはずなのに、

結局相手に甘えてばかりで、

情けないと思いつつも

気持ち良くなってしまってる

といった感じでしょうか。

 

「こんなこともあるだろう」と

自分から攻められない事に対しての

言い訳のような呟きをしながら、

「このまま僕は喋り続けてる」と

その状況のままこの行為を続けていると

振り返っています。

 

 

こんな僕にだって僕にだって

誇れるものがある

モグラになってモグラになって

ここにしのびこんで

あぁ覚悟ができないままで

僕は生きている

黒いヘドロの団子の上に棲む

笑い話じゃないね

このまま僕は喋りつづけてる

 

相手に甘えてばかりで

情けないと感じている

「僕にだって誇れるものがある」と

豪語してみます。

 

相手にいつもリードされてばかりだけど、

本当は自分だって優位に立てるほどの

テクやモノは持っていると主張してみて、

モグラになって僕にしのびこんで」

来てほしいと願ってみます。

 

モグラ」=奥の方まで

深く深く入ってくるもの、

つまり「誇れるもの」を持つ「僕」の

「ここにしのびこんで」くれれば

きっと自分が優位に立って

君を気持ち良くさせられるだろうと

思っています。

 

だけどやっぱり、

直接言い出せるような

「覚悟が出来ないままで」、

今夜も「僕は生きている」。

 

自分からリードして

相手を気持ち良くさせたいのに

どうしてもうまくいかない、

そんな悶々とした思いで

「黒いヘドロの団子の上に棲む」。

 

「ヘドロ」とは、

河川や沼や池、海などの底に沈殿した

泥の事で、

「ヘドロの団子」=泥団子という事に

なりますが、

こんな悶々とした思いを抱きながらも

それを主張できない、

野生の獣のようだと自虐した

例えだと思います。

 

真剣に悩んでいていて

「笑い話じゃない」のに、

やっぱり覆せなくて、

今夜も相手に甘えて行為を続けるのです。

 

パンクで尖ったバンドを目指して、

荒削りの演奏に合わせながら歌う内容は

どこか陰キャ側というか

情けない男の性事情である、

というスタイルは

昔も今も

そんなに変わらないのかもしれません。

 

以前、とある動画サイトで、

この曲が作られた1989年頃の

インディーズ時代のライブ映像と

近年(2012年頃)の

この曲をライブで披露した際の映像を

比較したものを見つけて

見てみたのですが、

全員絶妙にダサイ格好で、

特に草野さんは髪をかきむしりながらも

必死に歌っていた

インディーズ時代から

近年のものを見ると、

本当に同じバンド!?と驚くほど

演奏も歌も、そしてスタイルも

洗練されたものになっていて、

そのギャップが凄かった記憶があります。

 

そうした現在と比較しても、

若さや荒削り感、そして全力さも

感じられる、

インディーズ時代のスピッツ

象徴する一曲です。

 

 

12.おっぱい

 

デビュー直前のインディーズ時代、

スピッツは6曲入りのミニアルバム

ヒバリのこころ」を出します。

そこに収録されたもの。

 

そのアルバムが中古市場で

高騰した事により

今回収録する事となりました。

 

「おっぱい」というタイトルから

スピッツの珍曲として

今でもたまに取り上げられたり

ネタにされたり(?)していますが、

曲自体はふざけたものではないんです。

 

スピッツはむしろ

本当にエロをイメージするものは

あえて遠回しに表現する事が多いため、

いっそはっきり言った方が

いやらしくなく健康的なイメージになる

という謎の現象が起きがち。

 

そんな不思議なこの曲も

さっそく聞いていきましょう。

 

イントロは、

ギターの綺麗なフレーズを

丁寧にドラムが追いかけ、

続くアコギやベースが奏でる、

ゆったりした

甘くて優しい雰囲気があります。

 

音からは大きな安心感のようなものを

感じられます。

 

そして問題の歌詞を見ていきましょう。

 

 

やっとひとつわかりあえた

そんな気がしていた

急ぎ過ぎても仕方ないし

ずっと続けたいな

痛みのない時間が来て

涙をなめあった

僕は君の身体じゅうに

泥をぬりたくった

泥をぬりたくった

君のおっぱいは世界一

君のおっぱいは世界一

もうこれ以上の生きることの

喜びなんか要らない

あしたもここで君と会えたらいいな

 

 

まぁタイトルからも

想像ついたと思いますが、

やはり性をテーマにしているようです。

 

けれど「鳥になって」のような

野性的で荒々しい性欲、いうよりは

落ち着いて母性を求めているような、

安心感を求めた性を

表現していると感じられます。

 

「やっとひとつわかりあえた

そんな気がしていた」、と

愛が結ばれた幸福感に満たされながら、

「急ぎすぎても仕方ないし

ずっと続けたいな」と

ゆっくりお互いの気持ちを確かめ合いながら

愛し合っている様子です。

 

愛が確実でない時は痛みも感じた

この行為の中で、

お互いの気持ちが通じあった今は

「痛みのない時間」を迎え、

お互い「涙をなめあった」りして

癒しを与えあったりしています。

 

そして

「僕は君の身体じゅうに

泥をぬりたくった」。

 

性行為=相手の身体を汚すもの、

という捉え方をし、

そうした行為をしていると

あえて生々しく表現しています。

 

そうした絶対的な安心感と愛を

感じられるものとして、

男の自分には存在しなくて、

でも生まれた時から人間が

母性として求めるもの、

それが「おっぱい」。

 

おっぱいなら誰のでもいい、

という訳でもなくて、

「僕」自身に

今、安心感と愛情を感じさせてくれる

「君のおっぱい」だからこそ

「世界一」だと讃えているのです。

 

君と感じる安心感と愛情、

それだけが今現在の

「生きることの喜び」で、

これ以上はいらないと、

最高潮の幸福感を感じています。

 

「明日もここで君と会えたらいいな」と

手放せない幸せを求めて願います。

 

 

甘い匂いでフワフワで

かすかに光っていた

誰の言葉も聞こえなくて

ひとり悩んでいた

ひとり悩んでいた

君のおっぱいは世界一

君のおっぱいは世界一

もうこれ以上の生きることの

喜びなんか要らない

あしたもここで君と会えたらいいな

 

「甘い匂いでフワフワで

かすかに光ってた」は

まさに幸福感や安心感、愛情を感じている「君のおっぱい」を

表現したものだと思われます。

 

そんな、自分の中で

絶対的な大きな存在となったもの

を前にして、

あまりに無我夢中になっている自分を

客観視した時に、

「誰の言葉も聞こえなくて」、

求めることを止められない自分に

「ひとり悩んでいた」日々を送ります。

 

だけど、

そんな悩みも吹っ飛ぶような存在もまた

「君のおっぱい」であって、

いろいろな悩みは置いといて、

今は目の前の「生きることの喜び」に

従って幸せを感じるのです。

 

この曲において「おっぱい」とは、

これ以上ない「生きることの喜び」で、

安心感や愛情の象徴として、

「僕」にとっては

絶対的に必要なものであるという

大きな存在感を放っています。

 

それだけ、自分にとって

愛する「君」自身が尊いもので

絶対的に必要なものとして

より大事にしている様子が窺えます。

 

「おっぱい」という

タイトルはインパクトのあるものですが、

曲自体は、それによる

安心感や幸福感を

全面に感じられるものとなっています。

 

 

13.トゲトゲの木

 

こちらも「おっぱい」同様、

インディーズアルバム「ヒバリのこころ」に

収録された曲。

 

こちらはライブでの演奏、というよりも

このインディーズアルバムのために

初めてちゃんと

レコーディングするための曲として

制作されました。

 

レコーディングをするにあたって

メンバー4人で

河口湖で合宿もしたという(笑)。

いや青春かよ。

 

そんなこの曲も聞いていきます。

 

イントロやメロディは、

少し音頭感もあるような

独特のリズムに、

カチャカチャといろんな楽器が

合わさりながらもどこか寂しげな雰囲気を

醸し出しています。

 

歌詞を見ていきます。

 

 

トゲトゲの木の上で

ほらプーリラピーリラ朝寝してる

ちょっとだけ目を開けて

つじつまあわせて

ハナムグリ僕はまだ

白い花びらにくるまってる

歩き出した心

くねくねでいいな

探していたものはもうここにあるよ

僕のこと嫌いだって言った君にも

すぐに分けてあげたいな

とどめのプレゼント

箱あけてみなよ

恐くなんかないよ

元気でね いつまでも

 

 

「トゲ」や尖ったもの は、

このあともスピッツの楽曲には

多く登場する

重要なモチーフのひとつとなっています。

 

その登場する「トゲ」は、

性的な意味合いでも

死の意味合いでも、

「傷つけるもの」としての

存在感を放っている場合が

多いと感じています。

 

「トゲトゲの木」は

周りを傷つける力のある

自分の武装のようなものを

イメージしました。

 

丸裸の状態の自分は

とても弱い存在だと知った上で、

周りを傷つける武装を身に付ければ

誰も近づかないし傷つけてこないだろう

という思い込みのものだと仮定します。

 

そんな最強の武器、「トゲトゲの木」の上で

呑気に「朝寝してる」ほど

余裕かましています。

 

だけどその下の世界には

やっぱり不安要素があって、

でも自分には最強の武器があるから、と

言い聞かせ、

「ちょっとだけ目を開けて

つじつまあわせて」いきます。

 

ハナムグリ」という

薔薇の花に潜り込み

栄養を吸う昆虫がいますが、

まさに今の「僕」がその状態で、

美しいトゲを持つものに甘えて、

自分自身が最強なのだと錯覚しながら

「白い花びらにくるまってる」日々を

過ごしています。

 

そうした中で「歩き出した心」は

安心と不安の間を「くねくね」していて、

でも今はそれで「いいな」と

思えてしまうのです。

 

それはやはり、

敵とみなした者を

簡単に傷つける事が出来るものを

持っているから。

 

「探していたものはもうここにあるよ」と

余裕の表情を見せながら、

まずは敵とみなした

「僕のこと嫌いだって言った君」に

それを振りかざします。

 

「すぐに分けてあげたいな

とどめのプレゼント」と

傷つけられた腹いせに、

残酷な形で、でも

敵に勝てている感覚に喜びを感じながら、

とどめを刺すために

あえて情けを掛けるように優しく

「箱あけてみなよ、恐くなんかないよ」と

促します。

 

その言葉自体も狂気じみてて

「恐くなんかないよ」に

嘘つけとツッコミたくなりますが。

 

箱を開けて贈られた

「トゲ」、「とどめのプレゼント」によって

敵である「君」に、

永遠の気持ちを込めて皮肉で

「元気でね、いつまでも」と

声を掛けます。

 

ここまで見ると、

弱小の「僕」が

傷つけてくる存在に反撃できるものを

見つけて振りかざしている、

そんな、なかなか狂気じみてる奴を

イメージできます。

 

 

トゲトゲの木トゲトゲの木

トゲトゲトゲトゲトゲの木

入道雲のタメ息がとどく前の

お日様苦笑いで

ちょうどいいね

洗濯物も乾きそうだね

だけど僕がまばたきを

したその瞬間に

もう目の前から

君は消えていた

元気でね いつまでも

元気でね いつまでも

 

全てを知る空の上の「入道雲」は「

タメ息」をし、

「お日様」は「苦笑い」を送るも、

それは自分には届かず、

むしろ前向きに捉え、

反撃を続けています。

 

「だけど僕がまばたきをしたその瞬間に

もう目の前から君は消えていた」と、

その無敵状態は

いつまでも続かなかったという描写が

出てきます。

 

もしかしたら、

始めから自分の妄想の中だけのもので

あって、夢から覚めたら

元の何もない弱い自分だけが

取り残されている、いう事だったのかも

しれません。

 

そして、

敵とみなして反撃で傷つけてきた事実だけが

残り、真偽が分からないまま、

自分の思い込みだけで

残酷な形で永遠を奪った「君」の姿を

目にし、

今度は後悔が押し寄せて、苦しい中で

哀悼の意を込めた

「元気でね、いつまでも」を

送ります。

 

目を覚ました場所でも

やっぱりヤバイ奴として

周りから恐れられ、

結局弱いままで

ひとりぼっちになってしまったといった

寂しさも漂わせています。

 

そうした、自虐的な毒を

楽曲内に放り込んでくるスタイルも、

昔から今現在まで変わらないようです。

 

この曲では、

若さ故の間違いを含んだ、

これ以上ない独特の狂気を

感じる事ができます。

 

 

【まとめ】

 

以上で

スペシャルアルバム「花鳥風月」を

聞き終わりました。

 

最新の曲から遡り形式で

最後にインディーズの曲を持ってくる、

という構成でしたが、

スピッツの変化がより

垣間見えたように感じます。

 

結成から10年が経過し、

改めてどんな10年だったかを振り返ると、

だいぶ音の方向性は

変化しているようですが、

歌詞の世界観など

根本的な考え方は

あまり変わらない事が分かります。

 

ある意味スピッツらしい、

変わらないスピッツが詰め込まれた

アルバムになっています。

 

99年当時よくリリースされていた

ベストアルバムへのアンチテーゼとして

このアルバムをリリースしましたが、

結局この年の12月、

レコード会社からの一方的な判断で

スピッツもベストアルバムを

リリースする事になります。

 

なので、

このアルバムとベストアルバムを以て

90年代のスピッツが終了。

 

その背景を見ると

なんとなく、

これで一区切りと感じられる

アルバムにもなっている気がします。

 

そんな、

ひとつの季節の終わりも感じられる、

けれどしっかりスピッツの全てが

詰め込まれたこのアルバムも

是非聞いてみてください。

 

以上、

桃亀改めandでした。