スピッツアルバム研究7「ハチミツ」

こんにちは。

桃亀改めandです。

 

スピッツのアルバムを聞いた感想を

個人的な解釈を含めて

つらつら書いています。

 

前回「空の飛び方」を聞いて書いたものは

こちらから。

https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/09/06/180544

 

今回は6thアルバム

ハチミツ」を聞いていきたいと思います。

 

「空の飛び方」がそこそこヒットし、

知名度も上がってきた

というタイミングで、

1995年4月にリリースしたシングル

ロビンソン」がついに大ヒット。

 

初のミリオンセラーを

達成をする一方で、

スピッツは変わらず

アルバム制作をしていました。

 

本人たちは

あまり気付いていないけど、

ヒットした曲と

ほぼ同時期に作られた曲が

詰まっているので、

そらもうアルバムとしても

傑作間違いなしですよね。

 

さっそく聞いていきましょう。

 

 

ハチミツ

1995年9月20日release
f:id:peachdraw18:20190910082706j:image

 

収録曲

  1. ハチミツ
  2. 涙がキラリ☆
  3. 歩き出せ、クローバー
  4. ルナルナ
  5. 愛のことば
  6. トンガリ'95
  7. あじさい通り
  8. ロビンソン
  9. Y
  10. グラスホッパー
  11. 君と暮らせたら

 

 

1.ハチミツ

https://youtu.be/6J1sPwGCH5w

 

タイトルナンバー。

 

MVがただの

草野マサムネのPVと化してるけど

可愛いのでOK。

 

ポップでもありロックでもあり…な

綺麗で可愛くカッコいい

絶妙なところを突くイントロが

ワクワクさせる曲。

 

歌詞を見ていきましょう。

 

「一人空しくビスケットの

しけってる日々を経て」

「出会った君が初めての

心さらけ出せる」

 

一人で空しい、

飽き飽きとする平凡な日々を、

ビスケットが湿気っている と

表現するあたりに

可愛らしさと同時に

テーマに沿った言葉選びのセンスの良さを

感じます。

 

そんな日々を経て現在、

初めて素直な心を

さらけ出せる相手に出会えます。

 

そんな君こと「素敵な恋人」は

「ハチミツ」を「溶かしてゆく」。

 

ここでの「ハチミツ」とは

僕の心そのものの事を

表現しているのでは

と思います。

 

素敵な恋人に

心が溶かされていく感覚を覚える

僕は、

「こごえる仔犬を暖めて」いきます。

 

唐突の仔犬ですが、

私的には、

いつもならあまり見向きもしない

捨て犬にも、

恋人ができて

心が溶かされるくらい暖まっている

今なら

その暖かさを

分けてあげられるというくらい

気持ちに余裕が出来ている

という意味での

登場だと解釈しました。

 

「懐かしい遊びが甦るのは

灯りの場所まで綱渡りしたから」

 

「懐かしい遊び」 は

初めて恋をした感覚の喩えで、

その記憶が甦っているのは、

きっと「灯りの場所」

…今の状態(恋人がいて幸せな状態)に

辿り着くまでに

「綱渡り」に喩えられるほど

不安定な駆け引きがあったのではと

考えられます。

 

この幸せな状態になるまでに

苦労したからこそ、

初めて心から愛せる相手に出会えたと

喜びを持って伝えている様子が

窺えます。

 

「ガラクタばかり

ピーコートのポケットにしのばせて」

「意地っ張りシャイな女の子

僕をにらみつける」

 

ピーコートのポケットにしのばせている

「ガラクタ」に

意地っ張りでシャイな女の子は

にらみつけてきます。

 

ツンデレなのかガチの嫌悪感なのかは

定かではありませんが、

「ガラクタ」とは

恋人の君が喜びそうだと

選んだ物たちだと考えられます。

 

中には恋人同士が使う

ちょっとエッチなオモチャなんかも

含まれてたり…

 

だけど素直に喜んではくれない彼女を

「おかしな恋人」と言いますが、

そんな彼女に

「ハチミツ」…心が溶かされていくのです。

 

「喋々結びをほどくように」、

固く結ばれていたこれまでの心を

恋人によって

ゆっくり溶かされていく様子が窺えます。

 

「珍しい宝石が拾えないなら

二人のかけらで間に合わせてしまえ」

 

これ凄くいい一言だなと

キュンとしたんですが。

 

珍しくて価値のあるものは

与えられないかもしれないけれど、

二人それぞれが持っている愛の形を

組み合わせて、

どこにもない、

二人だけに価値が分かる愛を

育んでいこうという

メッセージのように

感じられました。

 

初めて心から愛し合える恋人に

出会えた喜びを

可愛らしく彩っているような曲です。

 

ちなみに、

漫画の「ハチミツとクローバー」って

あるじゃないですか。

 

このタイトルは、

作者の羽海野チカさんが

たまたまCDショップで

このアルバムと

スガシカオさんの「クローバー」

というアルバムが

並んで置いてあったから、

という由来があるそうです。

 

そこからか、

ハチミツとクローバー」が

実写映画化された際、

スガシカオさんは

挿入歌の嵐の曲(アオゾラペダル)の

作詞作曲を担当し、

スピッツは主題歌(魔法のコトバ)を

担当しました。

 

また、

このアルバムの収録曲や

他多くのスピッツの楽曲を

アニメ版の挿入歌に使用されるなど、

影響を大きく与えたそうです。

 

アルバム全体のテーマだけでなく

少女漫画のテーマにもなってしまうような

不思議な可愛らしさの

象徴的な曲になっています。

 

 

2.涙がキラリ☆

https://youtu.be/hGsNLE45uWE

 

12thシングル。

 

タイトルに☆が着いているのは、

メンバーが度々

「クリスマスより七夕の方がいいぞ」

七夕を盛り上げようとしていたため

だそうです。

 

ちなみにこのシングルの発売日は

平成7年7月7日という

ラクル。

盛り上がりましたかね、七夕。

 

七夕盛り上げソングと謳うほどに、

歌詞の雰囲気もまさに

日本の夏を感じるものになっています。

見ていきましょう。

 

「目覚めてすぐのコウモリが

飛びはじめる夕暮れに

バレないように連れ出すから

カギはあけておいてよ」

 

コウモリは主に

夜に行動する生き物です。

 

夜に行動するため目覚めるのは夕暮れ。

夜が静かに近づいている様子を

描いています。

 

そんな夜が近づいている頃、

君を、

君が気づかない内に連れ出すから、

カギを開けたまま待っていてと言います。

 

ここでのカギは、

家のというより

心の、という感じがします。

心の準備だけはしておけよ、

という感じ。

 

ただし、

連れ出す事は同意を求めないけれど。

無理矢理にでも連れ出そうとしています。

 

「君の記憶の片隅に居座ることを

今決めたから」

 

もしも離れてしまっても、

君の記憶の片隅に、

ずっと残っていられるような存在になると

誓います。

 

「弱気なままのまなざしで

夜が明けるまで見つめているよ」

 

無理矢理君を連れ出したり、

君の記憶に居座る、など

結構強気な決意が多いですが、

まなざしはまだまだ弱気なまま。

 

連れ出した夜が明けるまで、

強気な決意と弱気なまなざしをもって

ずっと君を見つめているよと

呼び掛けます。

 

「同じ涙がキラリ 俺が天使だったなら」

「星を待っている二人 切なさにキュッとなる」

 

七夕を盛り上げる曲、という事で

連れ出した夜は

きっと七夕の夜だったのでしょう。

 

けれど七夕って

あんまり晴れてる時

ないですよね。

 

願いを叶える星を待つものの、

雨が降ってしまっている。

その雨と叶わぬ願いに涙する様子が

重なります。

 

「俺が天使だったなら」、

星も見せてあげたいし、

夢も叶えてあげたい。

けれどそれも叶わない。

そんな「切なさにキュッとなる」。

 

聞いてるこっちも

その切なさにキュッとなります。

 

「心と心をつないでる かすかな光」

 

同じ心境に二人涙し、

その涙がキラリと輝く、

まさにその輝きこそが

二人の心を繋ぐ

微かな光であると言います。

 

切ないけれど確かに二人の繋がりを

感じている七夕の夜の様子が

描かれています。

 

「浴衣の袖のあたりから漂う夏の景色」

 

スピッツ

というか草野さんは本当に

部分的に色気を切り取る

天才なんではないかと思います。

 

浴衣の袖の、

布で覆われている肌の部分の

僅かに見えるその感じが

まさに夏の景色だと表現します。

 

浴衣、だけでも夏らしさは感じますが、

さらにその浴衣の袖から見える肌に

夏を感じると詠うのはマジの詩人。

同時に日本らしさや色気も感じられます。

 

「浮かんで消えるガイコツが鳴らすよ

恋のリズム」

 

浴衣の袖から見える肌に

ガイコツ…骨も感じ、

その骨の部分が

恋のリズムを鳴らしています。

 

さっきから色気のオンパレード。大渋滞。

 

「映し出された思い出は

みな幻に変わってくのに」

「何も知らないこの惑星(ほし)は

世界を乗せてまわっているよ」

 

七夕の夜に

浴衣の袖から感じた恋心とか、

そんな思い出はいつか

幻となってしまうけれど、

今はそんな事は知らなくて、

ただあるがままの状態に浸っている様子が

描かれています。

 

星を待っている夜と対称的に、

星…宇宙目線になっているところも

ポイントです。

 

星を待っている二人は

その思い出が

幻になってしまう事など知らずに

今の状態に浸っていますが、

そんな二人や世界を乗せて、

惑星はいつものように回っていると

宇宙目線では言います。

 

何も知らない呑気さが

逆に幸せを感じる、という意味

なのかもしれません。

 

「本当はちょっと触りたい

南風やってこい」

「二度と戻らないこの時を焼きつける」

 

浴衣の袖から見える肌に、

本当はちょっと触りたい

と感じているけれど

それも叶わず、

南風に紛れて

ちょっと触れたりしないだろうかと

期待します。

 

そんなもどかしい恋の季節

もう二度と戻らないけれど、

今この瞬間を焼き付けようと決心します。

 

いろんな夢を乗せて

星を待つものの、

現れない切なさにキュッとなり

共に涙しますが、

その輝きも思い出の一瞬として刻み込み、

二人を繋ぐ微かな光だと信じ

夜が明けるまで共にいようと誓っています。

 

日本人的な感性で

夏の一夜を見事に表現している

歌詞を、

ゴリゴリのギターロックで

お送りするのが

またスピッツらしいギャップがあって

とても良いです。

 

「ロビンソン」が大ヒット中な時期に

リリースされ、

こちらもミリオン手前の

約98万枚を売り上げる

ヒットとなりました。

 

 

3.歩き出せ、クローバー

 

クローバーは幸せの象徴です。

 

このアルバムが発売された

1995年は、

阪神淡路大震災地下鉄サリン事件など

悲しいニュースが多くあり、

国民が沈んでいた時期に重なります。

 

そんな中、

少しでも小さな幸せを

感じてもらおうと、

「幸せ」をテーマにした曲を

制作しました。

 

綺麗だけどどこか素朴さも感じる

ギターのイントロが、

可愛らしさと小さな幸せを感じるものに

なっている気がします。

 

歌詞を見ていきます。

 

「未知のページ 塗りかえられるストーリー

風に向かい」

「歩き出せ 若くて青いクローバー

裸足のままで」

 

風に向かって、

未知のページ…まだ見ぬ未来を

自分で塗り替えていき、

初々しい幸せそのままに

歩き出せ、という

前向きなメッセージから始まります。

 

「過ぎた恋のイメージに近いマーク

指で描き」

「流れ出す 自由で激しいメロディ

一人きりで」

「戦闘機よりもあからさまな

君の声 優しいエナジー

 

過去の恋を思い出して

それに近い形をなぞっていく中で

出会ったのは、

戦闘機よりもあからさまに

強いエナジー(エネルギー)になる

君の声でした。

 

それを一人、

自由なメロディが流れ出している、

どこにだっていけるし何にだってなれる

という強い気持ちで

噛み締めていきます。

 

「歩き出せクローバー 止まらないクローバー」

「熱い投げキッス 受け止める空」

 

強い気持ちを持って、

未知のページを

自分の自由なストーリーに

塗り替えるため、

歩き出します。

 

優しくて強い力を持つ声の君に、

熱い投げキッスを送り、

雄大な空はそれを受け止めます。

 

もしかしたら、

強い気持ちを持たせてくれる声の君が

空にいる、

という意味なのかもしれません。

 

空の向こう…

ただ遠い場所にいるのか、

天国にいるのか。。

 

「泣きながら笑い出し「嬉しい!」と

何度も叫び」

「寝ころがって眺めた君のカード

胸にあてる」

入道雲から伝えている

そのままで優しいエナジー

 

君の残してくれたカード

(君が写ってる写真か何かのイメージ)

が見つかり、

君自身がいなくて寂しい気持ちと、

君が残してくれたものから

君を感じられる

という喜びで、

泣きながら笑い出し、

「嬉しい!」と何度も叫びます。

 

そんな君のカードを

寝ころがって眺め、胸にあてます。

 

熱い投げキッスを受け止めた

空にある入道雲が伝えているのは、

君がいない状態でも響く、

君から貰う優しいエナジーでした。

 

やはり君自身は

空の向こうにいる、という解釈で

いけそうですね。

 

間奏のギターソロが

なんだか切なくて、でも優しいのが

また響きます。

 

「だんだん解ってきたのさ

見えない場所で作られた波に

削りとられていく命が

 

混沌の色に憧れ 完全に違う形で

消えかけた獣の道を歩いて行く」

 

見えない場所で作られた波…は

知らず知らずの内に増えていった

自分を否定するもの、

敵意のようなものの喩えでしょう。

 

そんなものに命が削られていく感覚を

覚えますが、

混沌の色…まとまりのない色に憧れ、

それとは完全に違う形を作りつつ、

消えかけた獣の道を歩いて行きます。

 

憧れには程遠いし、

これから進む道も

消えかけていて困難な道だけれど、

君の声をエナジーにして

前を向いて歩いて行く、という

強い気持ちを持っています。

 

君の声というエネルギーで

新たな幸せのため

進んでいこうとする

前向きな気持ちの曲でした。

 

まさに、

不安な当時の社会に

新たな幸せを作っていこうと

呼び掛けているような曲です。

 

 

4.ルナルナ

 

ノリの良いリズムでワクワクするイントロ。

 

ルナルナ」とは

手塚治虫さんの漫画

ブラックジャック」に登場する

白い子どものライオンのキャラクターから

取っているそうですが、

特に意味はないようです。

 

でもルナルナ って響きも

口ずさみやすくて、でも可愛い感じがして

いいですね。

 

歌詞を見ていきましょう。

 

「忘れられない小さな痛み

孤独の力で泳ぎきり」

「かすみの向こうに

すぐに消えそうな白い花」

 

過去に出来た小さな痛みを

引きずりながらも、

かすみの先に見えた

すぐに消えそうな白い花を見つけ、

孤独の力で辿り着きます。

 

「忘れられない小さな痛み」とは、

おそらく失恋で出来た

痛みだと思われます。

 

忘れられないけれど

痛みとして残っている、

そんな孤独の日々に

白い花…新たな恋 に出会って、

孤独感をかえって力に変えて

ついに辿り着いた、

という事だと解釈しました。

 

「思い疲れて最後はここで

何も知らない蜂になれる」

 

白い花を見つけ

辿り着いた時には、

これまでの孤独に疲れ果てて、

その白い花を疑う事なく堪能する

蜂になれるといいます。

 

花の蜜を吸う蜂…という意味で

白い花、新たな恋を

思う存分堪能している

という喩えになっています。

 

「瞳のアナーキー ねじれ出す時 君がいる」

 

アナーキーとは、

無秩序で何の制限もない状態の事。

 

その意味を踏まえると、

これまで何の制限もなく

逆に迷っていた自分の瞳の、

目線が定まり

その先には君がいた、

という状況になります。

 

まさに運命の恋に出会ったかのように

目の前の霞みが晴れてはっとしたような

様子が描かれています。

 

「二人で絡まって夢からこぼれても

まだ飛べるよ」

「新しいときめきを丸ごと盗むまで

ルナルナ」

 

晴れて結ばれた二人が

絡まって、夢からこぼれても

まだ飛んでいられるといいます。

 

〈二人で絡まって夢からこぼれる〉と

いう表現に、なんとも言えない

色気…というか

エロを感じます。

 

おそらくまぁ

結ばれて幸せな夜を過ごし、

明けてこの夜が夢であったとしても

君に辿り着いた喜びは醒めない、という

事だと思います。

 

そんな君と

新しいときめきを見つけ、

丸ごと盗むまで

ずっとこの幸せを噛み締めていこうという

気持ちが伝わります。

 

ここでの「ルナルナ」は

響きが良いというだけで

特に意味はないと言っていますが、

なんとなく

歌詞の雰囲気からすると、

幸せな夜を過ごしている

そのウキウキした気持ちの

擬音のようなものだと

考えられます。

 

「羊の夜をビールで洗う

冷たい壁にもたれてるよ」

 

「羊の夜」は、

眠れない時によく

羊を数える

なんて事がありますが、

まさにそれから、

「眠れない夜」を表現しているもの

だと思われます。

 

一人寂しく冷たい壁にもたれながら、

そんな夜をビールを飲んで洗い流します。

 

「ちゃかしてるスプーキー

みだらで甘い悪の歌」

 

スプーキーとは、

奇妙な〉という意味があります。

 

一人寂しい夜を越えて

夢中になれる存在に出会えた、

君との恋は

奇妙で淫らで甘い

悪の歌である、との表現をします。

 

恋=悪影響 みたいな解釈が

スピッツ結構ありますね。

 

「このまま止めないで ざわめき避けないで

ほら眩しい」

「不思議な出来事は君へと続いてる

ルナルナ」

 

幸せな時はいつでも眩しくて、

慣れないと心がざわざわしますが

そんな時を避けないで、

このままずっと続いてほしいと願います。

 

そんな不思議な出来事は、

君によって生まれているという

確信で、

不思議なざわめきを

君にも感じてほしいという

想いでしょうか。

 

二人絡まって夢からこぼれても、

この幸せな時間やその感覚が

ずっと続けばいいと願う

そんな夜を過ごしています。

 

 

5.愛のことば

https://youtu.be/adI0F9wWZ_8

 

MVまで制作して

シングル候補として挙げていましたが、

結局スピッツらしくない

という事でアルバム収録になった曲。

 

このMVが撮影された場所は

私が通っていた学校の近くで、

個人的には

最も近い聖地巡礼と呼んでます。

調べれば出てくると思うんで是非。

 

この曲の歌詞の世界観が

個人的に凄く好みなんで

さっそく見ていきましょう。

 

「限りある未来を搾り取る日々から

抜け出そうと誘った君の目に映る海」

 

なんとなく、

この歌詞の世界観が

戦時中のようなイメージを抱きました。

 

周りが毎日争っていて

毎日誰かが死んでいく。

そしていずれは自分達も…という

不安な日々を過ごしていて、

未来が搾り取られていく恐怖から

抜け出そうと君が誘います。

 

そんな君の目には、

自由で壮大な海が見えているようです。

 

「くだらない話で安らげる僕らは

その愚かさこそが何よりの宝もの」

 

それでも実際抜け出せる訳ではなく。

だけど

そんな現実逃避のような

くだらない話で心が安らげる、

その愚かな状態に幸せを感じ、

その時間を宝物だと思っています。

 

「昔あった国の映画で

一度見たような道を行く

生ぬるい風に吹かれて」

 

戦時中のイメージのまま行くと、

そんな愚かで幸せな時間も

いつか終わってしまい、

君とは離れたところへ

行かなくてはいけなくなります。

徴兵的なイメージです。

 

その徴兵的なものにいざなってみると、

昔、一度何かの映画で見たような

現実感のない道を行く事になります。

おそらくいろんな人の死体が

転がっているような道。

 

死を間近に感じて

現実みを帯びている中で、

 

「今 煙の中で溶け合いながら

探しつづける愛のことば」

「傷つくこともなめあうことも

包みこまれる愛のことば」

 

命を懸けて戦う中で、

幸せな未来を夢見た君の

「愛のことば」を探します。

 

銃や爆弾の煙が覆うような世界でも、

そんな世界に傷つき、傷をなめあう日々も

全て包みこまれて

愚かに幸せだと錯覚させてくれるような

そんな君の愛のことばを

探しています。

 

「優しい空の色

いつも通り彼らの 青い血に染まった

なんとなく薄い空」

 

「彼らの青い血」は

おそらく若くして亡くなった人々の

様子の喩えだと思われます。

 

そんな彼らを想って、

優しいけれどどこか薄い

寂しい空が続いています。

 

「焦げくさい街の光が

ペットボトルで砕け散る

違う命が揺れている」

 

相変わらず

煙たくて焦げくさい臭いが広がる街で、

また今日も

激しく衝撃的な光によって

砕け散らされ、

次の違う命を揺らします。

 

「ペットボトルで砕け散る」という一言に

はっとさせられるのは

私だけでしょうか。

 

ペットボトルは

爆弾か何かの喩えだと思いますが、

そんなちゃちな見た目のものによって

命がまた奪われる、

その映像を浮かべるだけで、

はっとするというかゾッとするというか…

 

「今煙の中で溶け合いながら

探しつづける愛のことば」

「もうこれ以上進めなくても

探しつづける愛のことば」

 

次死ぬのは自分かもしれない。

 

煙が覆う街で、

もう限界だと自覚してもなお、

僅かな幸せを与えてくれた君に贈る

愛のことばを探し続けます。

 

「雲間からこぼれ落ちてく神様達が見える」

 

心の糸が切れるほど強く抱きしめたなら」

 

煙がかった街にもいつか光が差す。

 

「雲間からこぼれ落ちてく神様達」は

争いの終わり、希望の光のようなもの

だと思います。

 

また再び

幸せを与えてくれた君といられる

という喜びから、

その神様のような光の粒を

心の糸が切れるほど、強く抱き締めます。

 

最後の

「昔あった国の映画で

一度見たような道を行く」のは、

同じ歌詞ですが違う意味で、

こちらは

終戦し、僅かな希望を持って行く、

その帰路の様子だと感じられました。

 

生ぬるい風に吹かれて、

争いの爪痕が残った街で

帰りを待っている君へ贈る、

愛のことばを

相変わらず探しています。

 

「溶け合いながら……」

 

この余韻が

絶望的なところから見つけた希望のようで

たまらないです。

 

私は戦時中のイメージで解釈しましたが、

現代に置き換えても、

必死で生きてる中で

絶望的な状況に陥っていても

そこから抜け出そうと誘ってくれる

君へ贈る愛のことばを

探している、という

解釈ができますね。

 

生と死の中で見つける愛という

世界観が本当に好きですね。

(個人的な感想)

 

 

6.トンガリ'95

 

バンド名のスピッツspitz)は

ドイツ語で

尖っている

という意味があります。

 

サビでは

「とがっている」を

連呼するこの曲は、

'95、このアルバムがリリースされている

1995年当時の、

アルバム目線では

現在のスピッツそのものを

表現した曲だと

思われます。

 

スピッツそのものの表現として

全体的に盛り上がるロックテイストです。

 

ライブでも

とても盛り上がる曲になっています。

 

後述しますが、

ライブバージョンでは

ラストの崎山さんのドラムソロが

圧巻です。

 

さて、歌詞を見ていきましょう。

 

「プラスチックのカバーをはずしたその後で

短い夢を見てるおかしなフライデー」

 

フライデー、金曜日

つまり週末です。

明日からの休みに何をしようかな、

みたいな

ちょっとワクワクする感じですね。

 

「プラスチックのカバー」は

サラリーマンでいうならスーツのような、

平日身に付けているものだったりの

イメージです。

 

それを外す、脱いだ後に見る

「短い夢」こそが

週末を想って休日の楽しみ方を

想像している、という描写のように

感じられました。

 

「冴えわたる夜空にいきなり現れて

青い猫目のビームで突き刺すような」

 

「君は今誰よりも

とがっている とがっている

とがっている とがっている」

 

週末の過ごし方を考えていて

眠れない夜を過ごしていると、

突然君が現れます。

 

青い猫目のような目から

ビームのように突き刺す視線を感じます。

 

週末の予定が決まってない自分に対して

キリッとした目つきの君は、

予定なんてひとつに決まってるだろ!

言わんばかりの興奮を

持っているように感じられました。

 

先述の通り、この曲は

ライブで盛り上がる曲ながら、

当時のスピッツそのものを表現している

という解釈でいくと、

「君」は

スピッツの曲を聞いてくれている人、

つまりファンと置き換え、

スピッツの曲で盛り上がる

君こそが

「今誰よりも とがっている」と

言っているようにも感じられます。

 

自分達のおかしな曲で盛り上がる

君に対して、

普通の生活や仕事で疲れきった

身体や目を脱ぎ捨てて、

ノリノリになっている、

そんな様子にイカしてるね!(死語?)

みたいな感じで

「とがっている」という表現

だとも感じられました。

 

「死ぬほど寂しくて扉をたたいても

繰り返されるテープの音は消えず」

「散らかった世界は少しずつ渇いてく

壊れかけのサイボーグを磨きながら」

 

次は自身の目線。

 

楽しい週末を迎える前の平日、

いつも通り、

たぶんやりたくもない仕事をしていて

くたびれている日常で、

何か刺激的な事が起きないだろうかと

扉を叩いてみますが変わらず、

いつも通り、

繰り返されるテープもそのまま。

現状が変わらない、

退屈な日常感があります。

 

そんな気持ちも部屋も散らかった世界が

少しずつ渇いていく実感を覚えます。

 

壊れかけのサイボーグは

スピッツ自身の目線でいくと

ギターなどの楽器を連想します。

 

実社会でも、

例えば趣味を楽しめる道具を持って、

自分を変える決心をしている

という雰囲気を感じられます。

 

ある意味武器を持って、

「俺は今誰よりもとがっている…」。

 

冴えない日常を飛び出して、週末には

皆から注目される存在になっている

という、

ギャップのようなものを感じました。

 

君も俺も、

「とがっている」は

輝いている、の喩えだと解釈しました。

 

つまり、

タイトルの「トンガリ'95」は、

ファンもスピッツ自身も

スピッツの音楽によって

皆輝いている、という状態を

表しているのではないのかな、と

思いました。

 

最初のギターソロのフレーズから始まり、

尖ったベース、

ライブでは終盤のドラムソロ。

そして伸び伸びしたボーカル。

 

曲そのものにおいても、

スピッツのバンド力が存分に発揮され

まさにスピッツが輝いている曲です。

 

余談ですが、

私はスピッツの中でも

ドラムの崎山さんが

演奏も人柄もとても好きなのですが、

この曲の終盤のドラムソロが

本当に圧巻でいつも息を飲んでいます。

 

崎山さんは、普段

とにかく優しくてほわほわしてて

いつも後ろでニコニコしてる、

天使のような存在なのですが、

(ヲタク発動)

ドラムソロの高速演奏では

優しい目がキリッとして、

千手観音かのように

手元が見えない、

まさに高速、でもしっかりキレがある

素晴らしい演奏を見せてくれるところに

ギャップを感じます。

みんな崎山さんをすこれ。

 

というわけで、

スピッツそのものの魅力や存在を

表現したかのような曲です。

またライブで聞いて盛り上がりたい。

 

 

7.あじさい通り

 

スピッツの代表的雨ソング。

 

全体的にエフェクトがかかった声や音は、

まさにちょっとどんよりしていて

湿っぽい梅雨の時期に

聞きたくなります。

 

そしてこのアルバムの

CM曲として使われた曲でもあります。

タイトルナンバーがあるのに

なぜこの曲を推されたのか…

いい曲ですけど。

 

歌詞を見ていきます。

 

「雨降り続くよ あじさい通りを

カサささずに上向いて走ってく

全部ごちゃ混ぜにする水しぶき」

 

あじさいがまさに梅雨時期を

イメージさせます。

 

そんな雨が降り続くあじさい通りを、

傘をささずに水しぶきをあげて

走っていきます。

 

「上向いて」や

「全部ごちゃ混ぜにする」

などから、

わざと傘をささずに

雨を浴びながら走っているようにも

感じられます。

 

「いつも笑われてるさえない毎日」

「でもあの娘だけは光の粒を

ちょっとわけてくれた 明日の窓で」

 

いつも人に笑われて、

いじられたりもして

冴えないなぁと情けなくなる毎日を

送っている自分に、

あの娘は「光の粒」を

ちょっとわけてくれます。

 

光は希望みたいなイメージで、

あの娘は味方してくれた

という希望なのだと思われます。

希望の光の「粒」という事で、

冴えない毎日から救ってくれる

きっかけを与えてくれた、

という感じになります。

 

「だからこの雨あがれあの娘の頬を照らせ

ほら涙の数など忘れて」

 

わざと傘をささずに浴びていた雨と、

希望を与えてくれた彼女の頬を伝う涙を

重ね、

これまでの冴えない毎日を

ごちゃ混ぜにされるような感覚になります。

「この雨あがれ」は

涙を流すあの娘に対しての

泣かないで、の意だと思われます。

 

「変わらぬ時の流れ

はみ出すために切り裂いて

今を手に入れる」

 

あの娘の涙に気がついて、

これまでの毎日が

ごちゃ混ぜにされたような

感覚になっても、

これまでと時の流れは変わらない。

だけどそんな変わらない時の流れから

はみ出すために、

冴えないと情けなくなる日々を切り裂いて、

自分自身を変えて、

新たな今を手に入れると誓います。

 

あの娘によって希望を与えられ、

あの娘の涙によって

現状を変えようと思ったようです。

 

「愛と言うよりずっとまじめなジョークで

もっと軽々と渡って行けたなら

嘘 重ねた記憶を巻き戻す」

 

あの娘に対して

ただ簡単に愛の言葉を伝えるより、

真面目なジョークで

この状況を軽々と渡って行けたならなぁと

想像して悩みます。

 

真面目なジョークは、

分かりやすい言葉ではなく、

拒否されてもジョークだよと

誤魔化せるような、

それでいて自分的には

結構真面目な言葉

という解釈です。

 

嘘重ねた記憶を巻き戻すのは、

あの娘が好き故についた嘘の言葉を

記憶から巻き戻して、

また一から

嘘ではない、真面目なジョークで

あの娘とうまくやっていきたいと

改めて感じるためだと思われます。

 

「だって信じることは間抜けなゲームと

何度言い聞かせたか迷いの中で

ただ重い扉押し続けてた」

 

好き故についた嘘を

信じる事自体が間抜けなゲームだと

愛とジョークの間で揺れる迷いの中で

言い聞かせていました。

 

自分自身も嘘をついていて、

あの娘の言葉も

本当は嘘やジョークかもしれないと

言い聞かせていますが、

それでも

自分の現状を変えてくれる

きっかけになったため、

これまでの冴えない毎日から

抜け出すために

迷いの出口、重い扉を

押し続けます。

 

「だからこの雨あがれあの娘の頬を照らせ

ほら 寄せ集めた花抱えて」

 

重い扉を開けて変わろうとする最中、

きっかけを与えてくれたあの娘に贈るため

立派な花束は用意できなくても、

寄せ集めた花を抱えていきます。

 

立派な花束よりも

もしかしたら

愛情を感じる部分かもしれません。

 

「名も無い街で一人 初めて夢を探すのさ

今を手に入れる」

 

重い扉を押し開けた先の、

まだ名もない新たな街で一人、

今度はあの娘にも

泣き止んでもらうため

初めて夢を探します。

 

誰かのために自分が変わり、

誰かのために何かしようという気持ちが

初めてという意味だと解釈しました。

 

あの娘の涙と降り続く雨を重ね、

雨があがるように祈って、

晴れた時にはきっと

あの娘と一緒になる、

そんな今を手に入れるために

それまでは傘をささずに雨を浴びて

すべて受け止めようと思っているような

そんなイメージでした。

 

タイトルの「あじさい通り」は

序盤の方に一回しか登場していませんが、

全体を表すタイトルとしては、

地味で冴えない毎日と

どんよりした梅雨時期を重ね、

そんな中でひとつだけ

希望として輝く

美しい花と、

希望の光の粒をわけてくれたあの娘

と重ねているものだと感じられます。

 

つまりあじさいは

イコールあの娘、という

解釈です。

 

自分を変えるきっかけになった

あの娘に捧げる

決意の歌、という

意味でのあのタイトルだと

私は感じられました。

 

 

8.ロビンソン

 

https://youtu.be/51CH3dPaWXc

 

三大ヒット曲の1曲にして、

スピッツ初のミリオンヒット、

現在でも売上不動の第1位の名曲です。

 

そして最近、

なんと90年代にリリースされた

邦楽では初の

YouTube再生回数1億回を突破した、

もはや日本を代表する曲でもあります。

 

でも実はこれもまた特殊な売れ方で、

一応バラエティのエンディングとして

タイアップはつきましたが、

全国ネットの有名なバラエティという

訳でもなく、

ましてや曲自体も

売れ線を狙っていた訳でもなく、

シンプル・イズ・ベストな

スピッツの曲で、

別にキャッチーという

訳ではありません。

 

けれど、

発売から初登場9位にランクインし、

長期間に渡りオリコンチャート入りを続け、

1995年の年間チャートでも

4位という記録を残します。

 

1995年の邦楽がクオリティ高すぎたから

ロビンソンで4位ですけど、

実質のトップです←

 

そんな、

現在も不動の名曲を

さっそく聞いていきましょう。

 

もうね、歌詞も音もすべて、

この曲においては

これ以外の正解がないのではないか、

というくらい

スキがないように感じるんです。

 

ギターのテツヤさんの

繊細なアルペジオのイントロから始まり、

全ての音、全ての呼吸が

この曲には必要で、

ひとつでも欠けたら

全く違うものになってしまうし、

これ以上も必要ないと

言い切れてしまう

そんなメロディです。

 

このロビンソンという曲においては、

一音でも違ったら、一言でも違ったら

世界観が壊れてしまうような、

そんな繊細さも感じる唯一無二な曲です。

 

とにかく

スピッツの曲、

もしかしたら世界のどの曲よりも

繊細な世界観を持つこの曲の

歌詞を見ていきます。

 

「新しい季節は なぜかせつない日々で

河原の道を自転車で 走る君を追いかけた」

 

「新しい季節」は、

春のイメージでした。

 

春を迎える頃は、

出会いと別れの季節なので、

桜が咲いて散るように

切ない日々が続きます。

 

そんな日々に、

河原を走る君を追いかけます。

 

「自転車で走る君を」「追いかけた」のか、

「走る君を」「自転車で追いかけた」のか

論争はたまに浮上しますが置いといて。

 

ここでは、

河原=三途の川 のイメージで、

三途の川の河原を走る君は

おそらく死に向かっているという

感じです。

 

それを追いかける、

後追いの感じですかね。

 

「思い出のレコードと大げさなエピソードを

疲れた肩にぶらさげて

しかめつらまぶしそうに」

 

レコードというのが

またレトロチックでいいなと思うのですが。

 

少し盛ったような

エピソードの思い出と思い出の品を

疲れた肩にぶらさげて、

春の日差しに

しかめ面をして眩しそうにします。

 

疲れた肩は

三途の川を走る君、死に向かってる君が

いないこの世界に疲れている、

という意味だと解釈しました。

 

「同じセリフ同じ時思わず口にするような

ありふれたこの魔法でつくり上げたよ」

 

同じセリフを

同じタイミングで

口にするような、

ありふれたときめきを

魔法と喩え、

そんな奇跡のような

ありふれた幸せの中で

 

「誰も触れない二人だけの国」を

つくり上げたとあります。

 

スピッツの初期の世界観も

「君と僕、二人だけの世界で

周りには不幸に見えてても

自分たちは幸せ」

みたいな感じでした。

 

スピッツが最初から大事にしてた

二人だけの世界、という

世界観を表現した

究極の1曲だともいえます。

 

冒頭で、

三途の川の河原を走る君、

つまり死に向かってる君がいて、

僕はそれを追い掛けている

描写がありました。

 

君がいない世界に疲れて、

そんな君とありふれた幸せで

二人だけの国をつくり上げました。

 

つまり、死の世界で

二人は永遠に終わらない幸せな世界に

堕ちていった、という

解釈になります。

 

もう二度と、「君の手を離さぬように」。

 

「大きな力で空に浮かべたら

ルララ宇宙の風に乗る」

 

具体的な言葉ではないものの、

このタイミングで

ルララを入れたのもまた

絶妙で、

この曲にはなくてはならない音だと

感じられます。

 

二人一緒にいたら

大きなパワーとなり、

今まで肩にぶらさげていた

思い出の品やエピソード、

もしかしたら自分の命さえ

空に浮かべる事ができたら。

 

きっと幸せな宇宙、

君と二人だけの国の

風に乗って、

心地の良い時がやってくる

とあります。

 

二人の死をもって、

永遠に一緒にいられるという

狂気も感じながら、

どこか幸せな雰囲気を感じるのは、

まさにスピッツワールドです。

 

「片隅に捨てられて呼吸をやめない猫も

どこか似ている 抱き上げて

無理やりに頬よせるよ」

 

片隅に捨てられて呼吸をやめない猫、は

存在自体がこの世界に

必要とされていないながらにも、

死のうとはせずに

ただ生きているものの

喩えとして挙げられたもので、

その存在に

自分自身を照らし合わせ、

どこか似ている、と共感し、

その猫を抱き上げて

無理やりに頬をよせて

わざと可愛がります。

 

哀れな存在の猫を自分に置き換え、

そんな自分に対して

わざとらしく愛しているという様子に

また哀れさというか

切なさを感じます。

 

「いつもの交差点で見上げた丸い窓は

うす汚れてる ぎりぎりの三日月も

僕を見てた」

 

いつもの交差点、

つまり分岐点、

常に迫られる選択肢のような

ところの喩えだと感じます。

 

そこで見上げた

薄汚れた丸い窓に映る

三日月もまた

交差点で見上げている僕を

見ている気がしたのです。

 

三日月は、

なんとなく満月とは違い

欠けているもの、

心情を揺さぶるもの の

喩えだと感じられます。

 

そんな三日月が、

ただ存在してるだけで生きている僕に、

このまま惰性で生きていくか、

それとも大切な人もいる

死の世界へ行くのかの

分岐点で

問い掛けているような

描写のように感じられました。

 

その答えとして、

「待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳」

 

三途の川に向かって走る君を追い掛けて、

ついに川のほとりで

君を待ち伏せます。

 

一人で向かっている思っていた君は、

向かった先に

いるはずのない僕がいることに

驚きます。

 

「そして僕ら今ここで生まれ変わるよ」

 

自分が向かってた死の世界に

いるはずのない僕がいて、

僕が君を迎えて君に放った一言が

これだとすると

かなりゾッとします。

 

この死の世界で、

君と僕の二人だけの世界をつくり上げて、

一から変わっていくんだよ、と。

 

「誰も触れない二人だけの国

終わらない歌ばらまいて」

 

誰も触れない、二人だけの国で

永遠の幸せを誓うような、

そんな終わることのない歌を

ばらまきます。

 

やはり

不幸のようで自分たちだけは幸せ な

妙な空気感があり、

その違和感が絶妙です。

 

最後の抜けるような

「ルララ宇宙の風に乗る」が

心地の良い余韻を残します。

 

もう後戻りは出来ないという絶望感と

それでも二人で幸せなところへ

行ってしまっているという幸福感が

混ざりあった、

まさに究極のスピッツワールドが

繰り広げられています。

 

決してキャッチーではないものの、

美しくて心地の良い音と

選び抜かれた歌詞、

シンプル・イズ・ベストな

スピッツワールド、

その全てが揃った、

スピッツとしても

スピッツを象徴するこの曲が、

スピッツの中で

一番売り上げたというのも

何か不思議なようで。

 

スピッツというバンド自体が

世間に受け入れられたとも言える、

そんなスピッツを代表する曲です。

 

キャッチーではないと書きましたが、

実際私はこの曲を幼い頃に

ラジオから流れてきたのを

聞いた記憶があり、

そこから数年が経った頃に

ふと思い出し、

YouTubeで探して

この曲に辿り着いた事で

スピッツのファンになった

という経緯があるので、

私としてもこの曲には

特別な思い入れがあります。

 

私のように、

一度耳にしたら

どこかでずっと記憶していられる、

そんな不思議な曲でもあります。

 

当時も今も、

メンバーたちはこの曲が売れた事が

不思議で仕方がないようですが、

こうして聞いてみると、

世間がいろんな事件や災害に

疲れ切っていて

どこかに癒しを求めていた時代、

ふと流れてきて

その美しさと心地の良さが

耳に残っている

不思議な魅力があるこの曲があったら

そら売れるよな、と

個人的には思います。

 

いつの時代にも癒しを与え、

どの世代の心に残り続ける、

そんな名曲です。

 

 

9.Y

 

タイトルの「Y」は

その形から「分かれ道」を意味しています。

 

いきなり始まる歌と

アルペジオのゆったりしたメロディに

うっとりする曲です。

 

「小さな声で僕を呼ぶ闇へと手を伸ばす

静かで長い夜」

 

小さな声で僕を闇に呼ぶのは、

このあと登場する君だと思われます。

 

闇は、おそらく死の世界で、

少し油断していると

そちらへ行ってしまいそうな、

一人寂しく静かで長い夜を

過ごしています。

 

「慣らされていた置き去りの時から

這い上がり無邪気に微笑んだ

君に会うもう一度」

 

僕を闇、死の世界に呼ぶ君は

もうすでにそちらにいて、

そんな君に置き去りにされていた時も

随分と慣れてきた頃、

もう一度這い上がり、

無邪気に微笑んで

君に会おうとします。

 

前向きなようで少し悲しい描写です。

 

「強がるポーズがよく似てた二人は

弾き合いその後引き合った」

 

お互いに強がって、

はじめの頃は弾き合い、

反発して仲良くなかったようですが、

その後は引き合いました。

 

そんな思い出のある君が

今はいなくて、

 

「生まれた頃と変わらない心で触ったら

すべてが消えそうな君を見つめていた」

 

最初反発してた君と引き合う頃に

生まれた恋心、

それが生まれた頃と変わらない心で、

死の世界にいる、

一瞬ですべてが消えてしまいそうな

儚い君を見つめます。

 

ここまでは語るような歌声で、

よりその繊細さが表現されていますが、

ここから少し曲調が変わります。

 

「やがて君は鳥になる

ボロボロの約束 胸に抱いて」

 

「悲しいこともある

だけど夢は続く

目をふせないで」

 

「舞い降りる夜明け前」

 

死の世界へ行った君は

やがて鳥になり、大空を飛びます。

 

そんな壮大さを表現するような、

おおらかで穏やかな曲調に変化しました。

 

君が鳥になり、

いなくなってしまうことに

悲しさを感じながらも、

その事実に目を伏せないで、

逃げないで見つめていたら、

静かで長い夜が明ける頃

君が舞い降りてくるかもしれないという、

幻覚のような、

希望のある夢を見続けます。

 

寂しさから自分まで

君のいる死の世界へ

行ってしまいそうになるような

呼び掛けされますが、

そんな繊細な夜もやがて明け、

一人鳥になった君を想いながらも

今日を生きていく、という

悲しみを引きずりながらも

前向きに生きていく選択をした

様子が描かれます。

 

「風に揺れる麦

優しい日の思い出 かみしめながら」

「つぎはぎのミラージュ

大切な約束 胸に抱いて」

 

風に揺れる麦を君と見た日の

そんな優しい記憶を噛み締めながら、

つぎはぎのミラージュ(蜃気楼、幻覚)の

中で、

生前はこのまま

僕に生きていてほしいと願ったであろう

君との約束を胸に抱いて、

君のいなくなった世界で

今日も一人生きていこうとする

切ない決意が感じられます。

 

この「Y字の分かれ道」に立って、

選んだ道は、

君との思い出や約束を胸に抱きながら、

これからも生きていく、というものでした。

 

壮大な空に君がいて

その空の下、一人静かに決意し

今日も生きていくという心情を、

音の変化で表現されています。

 

 

10.グラスホッパー

 

グラスホッパーはバッタという意味です。

 

スピッツの歌詞には

生き物、特に虫が

よく登場します。

 

そして、2001年に社分化された

スピッツのマネージメント会社の名前にも

この曲の「グラスホッパー」が

付けられました。

 

そんな、今となっては

スピッツというバンドを支えるまでに

なった言葉をタイトルに付けた、

この曲を聞いていきます。

 

色んな音が鳴り響き、

賑やかでポップで、

アップテンポな曲調が

特徴的なイントロ。

 

どこか和風にも感じられるイントロです。

 

「柔らかな魂で混ぜあわせた秘密

裏通りを駆ける」

 

柔らかな魂、は

どこかふわふわとしていて

決意が定まっていないような状態のように

感じられます。

 

そんな魂を混ぜあわせた秘密とは、

曖昧な関係のまま

結ばれていく、その関係性の事だと

思われます。

一夜限りの関係な。

 

「ぶつかりすぎて ほら ひからびた唇」は

キスをたくさんして、

お互いの唇が乾いてしまっている状態。

それを「引き裂いてくダンボール」。

 

一夜限りのだと思っていたのに、

その曖昧でふわふわした気持ちが

切り裂かれてしまう出来事があったようです。

 

「本当なら死ぬまで恋も知らないで

力を抱えこんで潰れてたかもね」

 

やはり今までは

まともな恋というよりも遊びの恋で、

一晩で終わるような関係を

ずっと続けていたようです。

 

ところが今は、本当の恋をしてしまった。

 

振り返って、

今までのままだったら

もて余す力を抱えこんで

潰れてしまっていたかもしれないと

思い返します。

 

「こっそり二人 裸で跳ねる

明日はきっとアレに届いてる」

 

本気の恋をした二人は

裸で跳ねてアレに届きます。

 

まぁつまり体を重ね、

最高の絶頂を迎えているという様子です。

 

「バッチリ二人裸で跳ねる

明日はきっとアレに届いてる

輝く虫のように」

 

二人でしっかり体を重ね

絶頂に届く様子は、

輝きながら跳ねるバッタのようだと

喩えます。

 

バッタをそんなエロい目で見た事ないです。

 

「冷たくしてごめんね 抱き上げて愛撫する

貧乏神照らす」

 

昨晩までは

一晩の恋だと思っていたからか

行為後は冷たくしてしまっていましたが、

本気の恋になり、

再び体を重ねる事になった際には

謝って丁寧に愛撫するところから

始めます。

 

その様子は

これまでの遊びの恋にはなかった様子で、

貧乏神が照らしそうなくらい

違和感がありながらも

本気の恋を楽しんでいるようです。

 

「桃の香りがして幸せ過ぎる窓から

投げ捨てたハイヒール」

 

桃の香り、というのがまた

色っぽさを感じられます。

 

その色っぽさを感じる雰囲気に

溢れるほどの幸せを感じ、

窓からハイヒールを投げ捨てます。

これで相手の女性は

もう自分の元から離れないと

思ったのでしょうか。

 

少しの束縛性も感じながらも、

1番のダンボールとも

韻を踏んでいるところが

楽しいです。

 

「転がる石蹴飛ばして苦笑い

お茶を飲み悶々となった気持ちは

捨てないで」

 

これまでの

遊びの恋しかしてこなかった頃には

転がる石を蹴飛ばしても

何とも思わなかったのが、

些細な事でおかしく感じてしまうように。

 

その気持ちや、

お茶を飲むだけで悶々としてしまう、

本当の恋心は

ずっと捨てずに覚えておきたい

という気持ちになります。

 

「こっそり二人裸で跳ねる

明日はきっとアレに届いてる」

「バッチリ二人裸で跳ねる

明日はきっとアレに届いてる

疲れも知らずに」

 

そんな二人の本気の恋は、

遊びの頃は一度で疲れて次がなかったのに、

本気になると疲れも知らずに

何度も二人裸で跳ねます。

 

これまでと比べ物にならないくらいの

気持ちよさを知ってしまい、

幸せの絶頂を迎えている様子です。

 

輝く虫、グラスホッパー

マネージメント会社の名前に選んだのは

なぜなのかは分かりませんが、

なんだか勢いがあって幸せな様子は

窺えるので

そういった方向性を

目指したのでしょうか。。

 

 

11.君と暮らせたら

 

最後はとても穏やかで優しい曲です。

 

「ハチミツ」というアルバムは、

優しさや幸せが詰まった

可愛らしくて暖かいものでしたが、

最後も穏やかに締めていきます。

 

そんな幸せを感じられるメロディに乗る詞は

とてもシンプルに短く、

日々を君と暮らせたら…と想う、

という曲になっています。

 

「緑のトンネル抜けて

朝の光に洗われるような

わずかな微笑みさえも

残らずみんな分けあえるような

可愛い年月を君と暮らせたら」

 

緑のトンネル、

小さな悩みから生まれる闇 から抜けて、

朝の光に洗われるような感覚や、

わずかな微笑み、小さな幸せを

残らず全て分けあえるような、

そんな年月、

可愛い、愛しく思える日々を

君と暮らせたらと願います。

 

これで一番終わりです。シンプル。

 

「ジグザグこだましながら

声が遠くまで届いていきそうな

見上げれば雲の流れに

今いる場所を忘れちゃいそうな

寂しいあの街で君と暮らせたら」

 

まっすぐとまではいかなくて

ジグザグこだましながらでも、

声が遠くまで届いていきそうな世界で、

見上げた空にある雲に、

ふと今いる場所を忘れてしまいそうに

なるくらい、

ゆったりとした流れがある、

そんな、他には何もない寂しいあの街で、

君と暮らせたらと

また想います。

 

ここもまた、もしかしたら

君と僕の二人だけの世界

なのかもしれません。

 

どんな闇に陥ってしまっても朝の光のような爽やかで優しい暖かさがあって、

小さな幸せを分けあえるような、

それで二人の声が遠くにいても

届いてしまい、

時間がゆっくり過ぎていく

穏やかな日々。

 

まさに二人の関係としては

最高に幸せな状態で、

こんな関係の二人として暮らせたらと

願っているのです。

 

「十五の頃のスキだらけの僕に笑われて

今日も眠りの世界へとすべり落ちていく」

 

君と穏やかで幸せな日々を暮らせたらと

願ってはいるものの、

実際には叶っておらず、

自分が十五の頃、スキだらけの僕にさえ

笑われています。

 

そんな現実から逃げるように、

いつかと夢見て今日も一人

眠りの世界へと落ちていきます。

 

これまでの穏やかで暖かく、幸せな日々は

すべて幻想で、

最後の最後に

現実に引き戻される感覚も

なんだか冴えない感じがして、

決して幸せばかりではない

スピッツらしいなとも思ったり。

 

最後まで

スピッツがありのままにいる事を

表現しているようにも感じられました。

 

 

〈まとめ〉

 

以上で6thアルバム「ハチミツ」を

聞いていきました。

 

先述の通り、

とにかく疲れきった世間に送る、

優しくて暖かく、

可愛らしくもスピッツらしい毒も含まれた

曲が堪能できました。

 

曲の完成度が全てにおいて高く、

捨て曲なしとは

このことを言うんだなと

実感させられます。

いや、他であるとは言わないけど。。

 

歌詞カードをじっくり見ながら聞いても、

全ての曲で、

これ以上もこれ以下もない、

この言葉以外は当てはまらないのではと

感じるほど

完璧に選び抜かれていると

分かります。

 

そんな完璧なスピッツワールドは

是非色んな方に堪能して貰いたいので、

私は他人から

スピッツのおすすめアルバムを

聞かれたら

まずはこれを薦めます。

 

スピッツというバンドを知り、

魅力にハマるにはピッタリだと思います。

 

たぶんスピッツをよく知らなくても

楽しめるのでは、とも思っています。

 

結果的にオリジナルアルバムでは

これが最も完成度が高く、

最も売り上げたものになりました。

 

スピッツの魅力を存分に味わえる

このアルバムやシングルが

結果的に売れた事も

今となっては良かったのではないのかなと

思います。

 

例えばCrispy!のように

自身も無理をしているアルバムで

万が一ヒットしてしまっていたら、

現在の方向性とは

だいぶ違ったものになってしまっていると

思います。

 

スピッツ

スピッツらしいと感じられる曲たちで

ヒットしてくれて良かったです。

 

まぁ逆に

この可愛い癒し系イメージも

後に苦しくなってしまうのですが、

それはまたもう少し先の話。

 

とにかくスピッツの魅力が

シンプルに、でも充分に味わえるので

おすすめです。

是非聞いてみてください。

 

 

以上、

桃亀改めandでした。