随分お久しぶりです。桃亀(and)です。
前記事からなんと1年以上も空いてしまいました。
文章を書くのは好きなんですが、社会人になるとまとまった時間がなかなか取れなくてブログを書く余裕が生まれないですね...
今年は文章力も上げていきたいので忘れない程度にはブログも書いていきたい所存です。
なんかお題というか、書いてみてほしい話題があったら
Twitterとかにでもいいんでいただけたら嬉しいです。
ここ数日、上司の発熱から数日休みになった上に私自身も発熱など体調不良になってしまい、時間を持て余しているので、久々になんか書いてみようかなということで今これを書いているところなのですが...
いうほど書く話題もなかったので、今回は昔話でもしようと思います。
私の20数年の人生の中で一番良かった時期は中学2年の頃で、逆に一番悪かった時期は高校1年の頃だとはっきり答えられるほど、その2つの年が鮮明に記憶として残っているのですが、今回は良くない方の高校1年の頃の話をしていきます。
決して勉強が好きという訳でもなかった私は、高校受験にあまり熱心になれず、そこそこの高校を受験し入学しました。
それが全ての間違いの始まりだった訳ですが...
地元の隣の市(言っても自転車で30分ほどだったので遠くもない)の高校ということもあり同じ中学から通っている人も少なく、入学早々孤立しかけたところをたまたま同じ委員になった女の子と友達になった事でそれは避けられ、まぁなんとか普通に過ごせるかなといった感じで始まった高校生活。
第一の出来事は、その年の冬に起こります。
当時の担任は、大学院を卒業したばかりの男性の新任教師でした。
背が高く爽やかな雰囲気はあったのですがちょっと堅めだったためか、お世辞にもあまり好かれてる感じはありませんでした、知らんけど。
そんな真面目さ故の出来事です。
ある時の放課後の掃除の時間。
私含め七人くらいのグループが教室掃除の担当になりました。
その際、ちょっと派手めな子(いわゆるパリピ系)数人が、私に用事があるからと掃除を任せて先に教室を出ました。
まぁそういうのはよくある事なんで私もそこまで気にせず「いいよ〜」と軽い気持ちで流し、残った三人ほどで教室掃除を済ませ、その日は終わりました。
翌日登校すると、教室の前の廊下に、先に登校していた人が困惑した表情で立っていました。
何があったのかと訊ねると、教室の様子を見るよう促され、私が教室の中に目をやると...
並べられた机の間を縫うように、ゴミやホコリが散漫と敷き詰められていたのです。
ゴミ箱の中身をそのままひっくり返したような教室は、ゴミのせいだけではない、澱んだ異常な空気感を醸していたのが特に印象的だったのか、今でも嫌な記憶として頭の片隅にこびりついています。
とはいえこのままでは仕方がないので、先に登校していた人たちと私の数人で朝からまた教室掃除をし、その後続々と登校してくるクラスメートも嫌な空気を察したのか、騒ぎになり始めてきたので、掃除しながらなぜか私たちが状況説明をするハメになるというわけわからん状況になりかけたところで、担任が静かに教室に入ってきました。
目に見えて怒っているでもなくどこか落ち着いた静かな目をしているところがまた、無言の圧をかけられているようで、一気にピリッと空気が固まったようにも思えました。
どこからかき集めてきたのか、と思うほどの途方もないほどの量のゴミが撒き散らされていたため、朝の数十分で数人での掃除では到底追いつかず、半端な状態の教室でしたが、一度全員席に着かされ、担任が話を始めました。
そこで、その惨状にしたのが担任であることを明かされ、曰く、前日含め数日、私たちに掃除を任せたパリピクラスメートたちがあまりにも掃除に参加しないため、掃除しないとこんな風になるんだぞ、というのを見せて伝えたかったそうです。
いや、そうはならんやろ...
あとその人たちに任された私は普通に掃除をしたのだが?
そんな心のツッコミをしながら、授業の1時間目がたまたまその担任が担当する科目だったこともあり、丸々残りの掃除をすることになりました。
その掃除をするのは、その週教室掃除をする担当になっていた私たちのグループ。つまり私も含め。
つまり何だ?
前日に掃除したところを故意に汚され、その後始末も私がやってるという状況??
なんか冷静に考えれば考えるほど、パリピたちの当てつけというより、それを止めなかった私たちへの当てつけなような気がしてきてだんだんムカついてきたのを覚えています。
掃除をしている最中、それを見ていた他のクラスメート数人がホコリなどのアレルギー反応を起こしたり精神的ショックなどで保健室へ行ったりもしていました。
それでは聞いてください、私もハウスダスト(ホコリ)アレルギー。
でもその時は換気もしてたからかなぜか大丈夫だったんですよね。
むしろその後の方が酷くなったんで、今考えたら私のアレルギーを引き起こしたのはこの出来事なんじゃないかな、と疑ってしまいます。
あとなんで見てるだけのあんたらの方がショック受けてんねん、直接掃除したところを汚されてまた掃除させられてるこっちの方がよっぽど泣きたい。
そんな理不尽の盛り合わせをなんとか抑えながら掃除を終えました。
そんなこともあり、クラスの雰囲気全体が、掃除をした後もなおなんか嫌な空気感だけを残して残りの数ヶ月を過ごすことになりました。
そんな中、第二の出来事が起こります。
先述していた同じ委員の友達は、結局クラス内で唯一の友達くらいの関係になり、申し訳ないなと思いつつ行動はだいたい共にするようになりました。
高校生の女子に孤立は許されないあの感じ何なんですかね。
私はむしろ群れるのがあまり好きではなく一人でいるのも苦ではないんですが、
この「孤立は悪」みたいな空気感には圧倒されて、ちょっと心苦しさも感じながらなんとか過ごしていました。
こんな私に合わせてくれる彼女も(私から見たら)ちょっと独特な雰囲気の子で、数回ほど休日に遊びに行こうと誘われ行ったのですが、パステルカラーのセットアップ(ショート丈のパンツスタイル)という彼女の私服に度肝抜かれたりなんかしてました。
デートしに来たんか?同性のクラスメートと遊ぶのに?
しかも東京とかでもない田舎で...
そんな私はファッションに特に関心があった訳でもなかったので、
無難なシャツワンピースかなんかを着ていったような気がします。
私ももうちょい頑張れば良かったんですかね...
その時はお互いの私服に一瞬「え」とはなった気はしますが特に言及はせず、そのまま流れていきました。
それで終わればよかったのですが...
彼女はちょっと独特でもありましたが性格は明るく、しかもアニメ好き(特に声優の蒼井翔太さん推し)なこともあってか友達は結構いました。それ経由で私も別のクラスに友達ができてありがたかったです。
ちなみに私は彼女の推しと誕生日が同じらしく、最初めちゃくちゃ驚かれたし羨ましがられました。今ならわかるけど推しと誕生日近いっていいよね。
彼女も私も、他のクラスには友達はいたのですが自身のクラスにはあまりいない、みたいな感じだったんですかね。
けれどそんな彼女をよく言うと気に掛けている人もクラスにはいて。
仮にAさんとしましょう。
お昼もはじめのうちは私と彼女の二人で食べていたのですが、いつの間にか彼女を気に掛けるAさんも合流し、三人で取る事が増えてきました。
Aさんはちょっとボーイッシュな感じの子で、ふわふわガーリーな感じの彼女とある意味バランスがいいな〜なんて客観視していたのですが、どうやらその二人の間に入っている私のことは気に食わない様子。
そんな三角関係みたいなことあるんか?と思うかもですが、友達間でもこういうことってあるんだなと私自身もびっくりです。
女子の世界は思ったよりも怖い。。
そんなある時なぜか服の話になって、その際に休日に遊びに行った時にお互いの私服に驚いたみたいな話題が上がりました。
Aさんははっきり物を言うタイプだったので、彼女から私の私服についての話を聞くと
「それはない、ダサい」とバッサリ切り捨てていきました。
まぁ私もオシャレな自覚はないんでそれはいいんですけど、そこまではっきり言う?っていう若干のショックを受けました。
その後、私の私服を考えようという、余計なお世話of余計なお世話な話に発展し、Aさんはプリントの裏になにやらスケッチを描き始めました。
その当時から趣味で絵を描いていた私から見たら、お世辞にもうまいとは言えないAさんの理想の私服が描かれていきました。
それは、いかにもAさんに似合いそうなボーイッシュなテイストが前面に出たコーディネート。
いやそれあんたの好みやろがい!
と思わずツッコんでしまうのをまた抑えながら、
服自体はかわいいと思ったので、苦笑して誤魔化すしかありませんでした。
彼女たちに話していたかは定かではないんですが、
私は中学生の頃、膝を頻繁に怪我して手術跡が残っていたし、今でもサポーターを着けていないと歩行に不安があるので、そもそも膝上のボトムスは無理という事情がありました。
正直なところを言うと、本当に服に関しては言及してほしくなかったんですが、まぁ軽いネタくらいになればいいかと放置した結果、ただ私がダサいやつで自称オシャレ上級者のAさんのイケてるファッション紹介のダシにされた感じのこの虚無感、誰かわかってくれ...
その辺りからでしょうか。
だんだんAさんの私への当たりが強くなっていったような気がします。
私は天然パーマの父の遺伝をしっかり引き継いでしまったからか、結構なクセ毛に悩んでいたのですが、ある時お弁当に入っていたブロッコリーを食べていたら
「共食いじゃん笑」と私にしか聞こえない声量で囁いてきたり、
二人きりになった時、なんとか場を繋ごうと話しかけるも無視されたり。。
私もAさんのことをちょっと怖いというか、仲良くなれそうにないなぁと思っていたので、それらの言動についてはoh...とはなりつつそこまで気にしないようにはしていました。
そんなある日の席替えで、私とAさんは同じ列の前方と後方という並びになりました。
後方側の私は、Aさん含め、前方にはクラスの中でもカースト上位なヤンキー系の男子が固まっていて、ちょっと嫌な気分になっていました。
その時、普段滅多に会話もしないAさんから話しかけられ、今まで見たこともないような弱々しい表情をして、周りが怖いから席を交換してくれと頼まれました。
私もそれは感じていたので全力で断ればよかったものを、変に同情してしまい、私はAさんと席を交換し、前方の席へ移動することになりました。
隣と後ろでカースト最上位ヤンキーが囲う最悪席に当たってしまった私は、友達から憐れられたりしたものです。
私だって嫌だけど仕方ないじゃない。。
その後数日は普通に過ごしていたのですが、
次第にプリントを後ろから回して回収する時に、後ろの席の男子がわざと私の視界に入らないところや手の届かないところにプリントを掲げたり、後ろから悪口を囁かれるなどの言動が見られるようになりました。
それらは徐々にエスカレートし、
カースト上位層の女子も加わって、休み時間に私のノートに無断で表紙や中身の数ページにラクガキをする、とある男子のペンケースをわざと私の席の近くに落とし、取りに行けよと茶化すヤンキー男子とあからさまに嫌がる様子を目の前で見せてくるなど、これは鈍い私でもさすがに察しざるを得ない状況にまで発展していってしまいました。
挙句は、ある意味元凶?になったAさんから、いつものように三人で昼食を食べていると、その際にも私をめがけて何かしらが飛び交う中、なんかの拍子にボソッと「学校来なきゃいいのに」と囁かれてしまう始末。
目に見えて嫌がらせをされるようになってしまい、おそらくクラス全員が私をターゲットにいじめが起こっていると察してしまう状況で、友達からも二人になった時に、具体的な話はしないまでも、「私は大丈夫だから」と励まされて、逆に申し訳なくなってしまいました。
いじめターゲットの私なんかと一緒にいたら、いつ矛先が自分に向くかもわからないという不安もあっただろうに。。
私もなんとか気丈に振る舞おうと気にしないように無視を貫いていたのですが、それも逆効果で日に日にエスカレートするし、私も精神的なストレスからか胃酸が逆流し常に吐き気に襲われたりフケが大量に出てくるなど、クラスの現状や私の様子はたぶん明らかに異常な光景だっただろうに、教師たちは特に助け舟を出してくれない、という状況が結局3学期の最後まで続くことになります。
この時期が人生で最悪な時期だったわけですが、
皮肉にもこの時が一番「生きよう」「生きてやる」っていう野心に燃えていた時期でもあったように思えます。
人より秀でた才能や特技があるわけでもない、平々凡々な私は、何においても認められたり讃えられる機会よりも否定され受け入れられないことの方が圧倒的に多いので、その事自体にはもうすっかり慣れっこだったんですが、
完全否定というか、そういった事になると私の中の反骨精神というものが噴き出して、拒否宣言に対してなんであんたらに従って私がホイホイと負けを認めなアカンねん、絶対逆らってやる、という気持ちになっていたんですよね。
ちょうどそんな時期に、今でも最推しのスピッツに出会いドハマりしていくんですが、教室内でのクラスメートからの理不尽な言動には、脳内で♪8823を永遠ループして乗り切っていました。
後からスピッツの事情を知ることになるんですが、
この曲が表題曲になっているアルバム「隼(ハヤブサ)」は、当時レコード会社から意図しない形でベスト盤を出されたスピッツが、これまでの代表曲のような優しくて綺麗なスピッツのイメージから脱却しようと、本来の理想の形の反骨精神の象徴でもあるゴリゴリのロックを目指したっていう作品なんですよね。
事情は知らなかったにしても、当時の私の心情とリンクしていたんでしょうか。
その時既にリリースから10年以上経っていましたが。
この時期は特に♪8823と♪春の歌という、私的後押し応援ソングが私を精神的に支えていました。
良くない記憶を辿っていったら、書いてくうちにどんどん当時のことを思い出してしまって、ただでさえ今体調が良くないのにさらに悪化しそうになっていますが、最後にちょっとだけ私とスピッツの思い出を差し込んだんでギリ調和したんじゃないでしょうか...してない?
ちなみに後日談として、その後のクラス替えでは、主犯格のカースト上位男子と私はクラスが離れ、当時友達経由で仲良くなった別のクラスの子と同じクラスに配属されたため、その後は孤立することなくなんとか無事卒業までいきました。
まぁその男子とは廊下や集会でのすれ違いざまに大袈裟に避けられたり後ろから床を踏みつけ音を出して圧を与えられる、聞こえるように悪口言われる、なんていうのはしばらく続きましたが、それも次第になくなっていきました。
誰しも憧れを抱くような、高校での甘酸っぱい青春っていうのは早々に諦めざるを得なくなりましたが...笑
ちょうど受験のシーズンですが、勉強をサボって妥協して高校を選び大失敗した私から言えるのは、マジで進学先は妥協するなということですね。
そんな訳で、思ったより随分長文になってしまいましたが、ここまで読んでくださっている方に最大限の感謝と、嫌な昔話を垂れ流してしまった事にお詫び申し上げますと共に、今後も時間があったらなんか適当にブログ書いていこうと思うので、引き続きお付き合いいただけると幸いです。
とりあえず私は早く体調を回復させます。
皆さんも体調にはくれぐれもお気をつけください。
以上、桃亀(and)でした。