人が座った後の温もり

こんにちは。

 

この夏はしっかり熱中症みたいなのになって

まだ少し体がダルい桃亀です。

 

あなたは、電車やバスなどで

他の人が座っていた後に残る温もりを

気にした事はありますか?

 

まぁあれが好きって人は

逆にあんまりいないかもしれませんが、

気にしてない人が多いかと思います。

 

私は昔から、

人が座った後に残る温もりが

とても苦手です。

 

今は少しマシになりましたが、

少し前までは本当に無理で、

席を譲ってもらっても

遠慮するなどしてました。

 

人が座っていた後に残る温もり…そもそも

これの名称がないので

検索のしようもないのですが、

これが極端に苦手な人って

私以外にいるのだろうかと

少し調べてみたら、

いない事もないけど

人によるって方が多かったんですよね。

 

私は誰だろうと関係なく無理です。

全く知らない人はもちろん、

仲が良い友人でも、親でも無理でした。

 

けど周りには全く理解してもらえないので

は??って顔されるし、

そんなんじゃ公共交通機関乗れんぞと

怒られるし。

 

中学2年の頃、

ちょっと気になっていた男子が

いたのですが、

授業で席を移動するとなった際に

その男子が私の席に座った事がありました。

当然、戻った際には

私の席にその男子の温もりが

残っている訳です。

 

普通なら

たぶんここは喜ぶべき場面なんでしょうが、

私はこの温もりが苦手なので、

 

うあぁ~~~~~!!!!!!

無理~~~~~~!!!!!!

けどあの子の温もり………っ

 

と複雑な心境だったりしました。

 

現在通っている

専門学校へはバスを利用しているので

この温もりに遭遇する事も多く、

正直無理には無理ですが、

昔よりは妥協する事が

出来るようになってきました。

それでもやっぱり苦手なものは苦手です。

 

昔はマジでゾワゾワして

吐き気するほど苦手でした。

今でもゾワゾワはしますが。

 

けど周りでこれが極端に苦手という人に

出会った事がないので

おそらく私だけだと思うんですが、

これって克服できるものなのでしょうか。

 

…と今朝バスに乗っていて

何となく思ったので

特にオチも考えずに

とりあえず書き出してしまいましたが。

 

潔癖性でも繊細でもないんですが、

変なところでこだわりがちな

私の悩みでした。

 

克服方法あったらご一報ください。

 

以上、残暑厳しくまだまだ体がダルい

桃亀でした。

 

猫ちぐら

こんにちは。

 

先週放送の

SPITZ草野マサムネのロック大陸漫遊記」にて

突如予告なしで新曲流されて

食べてた夕飯を吐きそうになった

桃亀改めandです。

 

今世界で猛威を奮っている新型コロナ。

その影響で4~5月には

緊急事態宣言が発令され、

世の中大変な事になった事については

前回のブログでも書きましたが。

 

→[2020年、春] - peachdraw18’s diary / https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2020/06/01/141439

 

その影響は、

私が推してるバンド、スピッツにも

大きく出ていました。

 

昨年11月から、

最新アルバム「見っけ」を引っ提げた

ライブツアーを行っていたスピッツ

今年の1月まではアリーナ公演を開催し、

3月からはホール公演を行う予定でした。

 

が、

春頃からライブやイベントの相次ぐ

中止、延期が決定し、

ホール公演も予定していたもの全てが

延期となってしまいました。

 

ちなみに私も5月に

名古屋のセンチュリーホール公演に

参戦予定でした。ちくしょう。

 

そんな中、今年から

スピッツのオンラインメンバーズ

(有料のサイト)に入会した私は、

本格的に推しに貢ぐと共に

リアルタイムな情報を入手し始めて

いました。

 

オンラインでは、

メンバーが書き込むブログのようなものや

動画や音声などが定期的に更新されて

幸せになれるので、

ファンになったら

とりあえず入ってほしいんですけど(勧誘)

(月額800円なので

実質スイーツ買うみたいな感覚←?)

 

そこで

この時期にメンバーが

どのように過ごしていたのかは

なんとなくリアルタイムで

追っていた訳でしたが。

 

そこによると、

3月末、延期になったものの、

一応ホール公演のゲネプロ

(本番さながらに行うリハーサル)

を行った後、

つまり4月から現在(6月)に至るまでは

基本自宅待機となったそうで。

 

そんな中、

スピッツのほぼ全ての楽曲を

作詞作曲する

ボーカルの草野マサムネさんは、

4月上旬、ブログ(以下ス箱)にて

「ずっと家にいると

自分が何者か分からなくなってくるので、

与えられた時間と解釈して

曲作りでもしようかな」

(だいぶはしょった)と発言し、

その後、

一人ずつとなった動画(以下オンテレ)でも

同様の事を言及していました。

 

その後、

5月中旬に横浜サンセットの映像

 

https://youtu.be/W4Lkp42a-10

 

が全編YouTubeにて公開されると、

それを皮切りに

ほぼ毎週何かしら供給があるという

ヲタク混乱事案が起きまして。

 

そして冒頭の話に戻りますが、

6/14放送の

SPITZ草野マサムネのロック大陸漫遊記」

にて、

突如、この自粛期間中に

メンバー顔を合わせずに

データのやりとりのみで制作したという新曲

猫ちぐらを初OA

という流れでした。

 

前置きが長くなりましたが、

この曲が出来るまでの経緯を

リアルタイムで追ってみると、

新曲として発表された

この「猫ちぐら」に対して

思うところがあり、

聞き慣れていろんな解釈が自分の中で

広まる前に、

第一印象で思った事を

書き留めておこうと思いつき、

今回のブログを書いています。

 

このブログでは、

不定期でスピッツのアルバムを聞いて

個人的な解釈を

つらつら書くシリーズを

やっていたりしますが

(最近更新少なくて申し訳ないです)、

今回はその特別編という感じで

見ていただけたらと思います。

 

あくまで、

初めて聞いた直後に個人的に思った事

ですので、

本当に適当な感じになってしまうかも

しれない事を先にお詫びしておきます。

 

 

そもそも猫ちぐらとは。


f:id:peachdraw18:20200622134058j:image

(写真元:https://wazakkasui.com/?pid=140798622

 

ワラで編まれた猫用の

伝統工芸品の事らしいです。

有名なものだと数年待ちのものもあるとか。

 

猫飼った事ないんでよく分からないですが、

伝統工芸品の猫ハウスみたいなものですかね。

 

スピッツの歌詞にはよく猫が登場します。

スピッツ、犬なのに。

 

とりあえず、

新曲「猫ちぐら」を

ラジオやオンライン先行の視聴で聞いて

耳コピで歌詞をメモしました。

(間違っているところもあるかもです)

 

これを見ながら、ざっくりとした

歌詞解釈を行っていきたいと思います。


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まず、最初に聞いた時の印象は、

リアルタイムで近況を追っていたからか、

今の状況と、そんな中でも

前を向いていこうといった

優しくて暖かなメッセージが

込められていると感じられました。

 

まず冒頭は、

今の状況、新型コロナが流行する前、

これまでの世界を

表現したものだと感じられます。

 

白いシャツ=綺麗な衣装 を着て、

いじわるも少し含んだような、

それでも幸せな笑顔を多めに現した顔で

何気ない日常、

スピッツでいうところの

リリース、ライブのルーティン)

を過ごしていた。

 

無意識に、

時の流れに任せて

似たような日常を繰り返している

世界だったのです。

 

ところが、

新型コロナという、誰にもどうにも出来ない

障害が立ちはだかった事で、

これまでのルーティンのような日常が

奪われてしまいます。

 

そこで、

改めて今まで築き上げてきたものは

猫ちぐらのように、

丁寧にひとつひとつ編み出されているもの

であると感じるのでした。

 

ここで登場する、

タイトルにもなっている「猫ちぐら」は、

自分(演者)と君(ファン)で築き上げる

ライブそのものの事だと解釈しました。

 

まさかずっと続けていたものが

こんな形で奪われてしまった事に

動揺するものの、

きっとこれで終わりではないと信じ、

「さよならじゃない」と言い聞かせます。

 

次にまた会う時にはきっと、

皆の望みが叶うような

パラレルな世界へ連れていこうと決心し、

これまでは似たような景色のように

感じられていたルーティンな日常も、

再開した時には

また一から、

これまでとは少し違うような景色へと

書き加えていこうとするような、

前向きな気持ちを歌っているように

感じられました。

 

間奏からドラムが入ってきて

崎山さんのヲタクこと私は

盛り上がってきますが。

 

リモート

(それぞれ個別に録音し、

音を重ね合わせる収録方法)で録ったとは

思えないほど、

ある意味いつも通りの

スピッツのグルーヴ感というか、

スピッツサウンドが完成されてる事に

感動できます。

 

そして2番です。

「弱いのか強いのかどうだろう

寝る前にまとめて泣いてる」と

少し弱音を吐きました。

 

一人になったオンテレを

最初に見た際、

以前東日本大震災の時に

精神的ストレスを抱え、倒れてしまった

事もあることから、

この時期にもまた心痛めてないかと

心配していましたが、

先述の通り、前向きに捉えて

新曲でも作ろうか、と発言していた事から、

なんだか強くなったな、

と思っていました。

 

が、

オンラインで配信される音声

(以下オンラジ)では、

緊急事態宣言下で一人ずつ収録した際に

草野さんが担当した回で、

自宅に籠る時に聞きたい音楽という質問に

対しての回答で、

リメンバーミーと同時上映された、

アナと雪の女王の短編(クリスマスの話)で

使用された楽曲、「お祝いの鐘」を挙げ、

「泣きたくなる時もあるけれど

聞くと活力を貰える曲」と

紹介していた事も思い出しました。

 

悲しい気持ちや動揺を隠し、

気丈に振る舞えている事に対しては

強くなったと感じる一方で、

夜寝る前にはひっそりと泣いているから

まだ弱いままだと

言っているように感じられました。

 

けれどその気持ちも今は大事で、

そういう事も含めて、

リスナーが「心弾ませるいいメロディー」を

生み出すために必要だと、

強いようで弱い自分を肯定し、

いつかまたライブで再会したら

皆でそれを共有したいという望みも

込められているように感じられます。

 

止まない雨はない、は

前向きな言葉として使われますが、

この状況もずっとは続かない、

いつか雨も小降りになって、

やがてお日様の位置も

なんとなく分かるようになると

希望を抱いています。

 

そして事態が終息し、

再会の時は、

これまでとは少し違う景色、

願わくば、

「思いやりを持って」

(オンテレ等で度々使用していた言葉)、

優しい気持ちになった景色である事を

夢見てこの曲を掲げ、

その時を待ち望んでいる様子が

感じられるところで

曲が締まっていきます。

 

 

歌詞をメモした画像では、

あえて4分割してみましたが

お気づきでしょうか。

 

これは、私なりに

ここで一纏まりの話なのではないか、

というところで区切ってみたものです。

 

最初の部分は、

言わば物語の始まりの部分で、

1番のサビに当たる2つ目の部分では、

物語の起承転結の「転」のようなもので、

最初の部分に繋がりつつ、

そことは世界が変わってしまった

現状にある事を意味する部分だと

解釈しました。

 

そして3つ目の部分は、

2つ目の部分(変わってしまった世界)で

今自分が感じている事を表し、

最後の部分では、

いつか来る終息の時を表した

前向きな表現になっています。

 

私がこの曲を最初に聞いた時に、

「今の状況と、それでも前を向いている

気持ちが込められた

優しくて暖かなメッセージの曲」と

感じたのは、

おそらく通して聞いても

だんだん明るい方向へ

歌詞が向かっているのが

感じられたからだと思います。

 

またそれに乗せられたメロディーも、

昨年リリースされた、「優しいあの子」

NHK朝の連続ドラマ小説「なつぞら

主題歌)にも通ずるところがありますが、

いつかまた会えると

希望を持って暖かい気持ちで待ち続ける

心情が表現されているような優しいもの、

特にギターのメロディーが

とても繊細で優しく感じられるものに

なっています。

 

「優しいあの子」や、

アルバム見っけの表題曲扱いの曲、

「ありがとさん」など、

近年はそうしたゆったりした優しい曲が

多い事から、

コアなファンはそろそろロックな曲も

ほしい…と思ったかもしれません。

というか私も、正直若干思いました。

 

けれど、今回の「猫ちぐら」という曲は、

この時期だからこそ出来た曲で、

この時期だからこそファンに届けたい

曲なのではないかと感じられます。

 

この曲を聞いたリスナーにも、

ピリピリした今の状況の中で、

少しでも思いやりを持った

優しくて暖かな気持ちになって

再会の時を前向きな気持ちを持ち続けて

待っていてほしいという願いが

込められていると思うのです。

 

というか単純に、

ロックでアップテンポな曲は

やはり直接合わせないと

なかなか難しいと思うんで、

それは早く

直接レコーディング出来るようになる事を

祈るしかないですね。。

 

 

という訳で、

まだ3~4回しか聞いてない

新鮮な解釈を書き殴ってきましたが。

 

なんとこの新曲「猫ちぐら」は

6/26より各音楽配信サービスで

配信される事が決定しました!!

 

皆、聴こうな!!

 

聴いてまたライブで再会できる日を

待とうぜ!!

 

私もそれを期待して

延期分のチケット払い戻してませんよ。

延期公演来年なのに。

来年の予定とか分からんのに。。

 

 

という訳で今回はここまで。

 

以上、

最近通常時よりも

推しからの供給が多くて

メンタルがエグいくらいに元気な

桃亀改めandでした。

 

 

 

SPITZ草野マサムネのロック大陸漫遊記

番組サイト↓

https://www.tfm.co.jp/manyuki/

 

2020年、春

こんにちは。

 

新型コロナの流行でなんやかんやあって

気付いたら春を失っていた桃亀です。

 

6/1現在、

4月~5月にかけて発令された

緊急事態宣言は解除され、

徐々に日常生活を取り戻そう

という動きにはなっているものの、

まだまだ油断を許さない状況です。

 

お陰さまで私は元気です。

 

元々2月頃から長めの春休みだった

私ですが、

4月の中旬あたりから

緊急事態宣言が発令され、

結果5月まで学校が始まらない状態でした。

 

さらに、緊急事態宣言中は

アルバイト先のスポーツジム(プール)の

営業もストップしてバイトも休みになり、

課題はあるものの、

暇を持て余し、終わりの見えない

長いようで短い日々を過ごしていました。

 

GWももちろんどこにも出掛けられない。

 

桜も咲いた、春の穏やかな陽気も

虚しいと感じていた頃。

 

とあるフォロワーさんが

Twitterでこんな企画を提案していました。

 

「コロナで暇だから

しゅごキャラのファンの皆で

オンラインオフ会をしよう、

GW中暇なのでSkype

5日間ぶっ続けで通話を繋いで」

 

前半はまだわかる、いい提案だと思います。

ただ後半よ。

 

でもまぁ私も、

この春参加予定だった

しゅごキャラの同人イベント

「姫君たちの宴in名古屋」や

創作漫画の同人イベント

「名古屋コミティア」、

さらにはスピッツのライブが

全部中止、延期となってしまい、

頭がイカれてたので

つい楽しそうだと思い、

その会

しゅごキャラオンラインパーティ

(略してしゅごオンパ)」に

参加させてもらう事に。

 

私と同じように、

イベントも何もかもなくなって

ヤケになったイカれたメンバーが、

総勢50人も参加するような

イカれたオフ会がGWに行われました。

(誉め言葉)

 

マジで5日間ほぼぶっ続けで通話を繋ぎ、

それはそれは楽しい会でした。

 

時にはしゅごキャラという作品を通じて

知り合った者同士で

楽しくダラダラ喋ったり、

時には真面目にしゅごキャラについての

考察をしたり、

アニメやドラマCDの鑑賞会をしたり、

また時には人生相談やBL展開も…??

 

私は最高級に頭がイカれてたので、

5日間ぶっ続けで繋いだSkype通話の、

ほぼ全時間居座り、

時にはチャットで茶々を入れたり、

叫んだり(笑)、

また、朝の人が少なくなり

夜勤の方(深夜に通話を繋いだ人)にも

休憩時間を、という事で

急遽私も通話に参加したり。

 

この会は、ただの暇つぶしに終わらず、

ガチ考察会を通じたいろんな考え方、解釈や

通話する事で感じた、

人に向けて喋る事の楽しさ、重要さを

改めて考えられた

とてもいい企画でした。

 

毎日お題を作って

絵師さんに描いてもらう

しゅごオンパお絵描き大会も、

自分も描いてて楽しかったし

同じお題でいろんなイラストが

投稿されるのも見てて楽しかったです。

 

個人的には、

最終日の「しゅごオンパでの思い出」

というお題で描いたレポート漫画が

好評で嬉しかったです。

ありがとうございます。

 

ちなみに緊急事態宣言明け、

学校が再開した際に出された課題の

エッセイ漫画は、

これを少し改編したものを提出しました。

 

案の定、

「いや何やってんのwww」

という反応をいただきました(笑)。

 

そして、学校やバイトがなくなり、

家族以外の人と

しばらく会話をしてこなかった私にとって、

通話を通じて

人に向けて喋る事の楽しさ、重要さを

発見した事は

それはそれは大きく感じ、

GW明けからツイキャスを始めました。

 

こちらは週末の深夜に

気まぐれに、ゆるゆるとやっておりますので

タイミングがあえば

是非遊びに来てください。

 

一応履歴も残してありますので

気になった方はよかったら。

https://twitcasting.tv/peach18kame/movie/613493475

 

そんな訳で、長い長い不安な時間は

案外楽しく、なんならこれを期に

新しい事にも挑戦できたりと

それなりに充実して過ごす事が出来ました。

 

とはいえ、

私が住む静岡の田舎の方は

そんなに感染者がたくさん出ている

という訳ではなかったので

まだこれくらいで済んだのかも

しれませんが、

東京や関東、北海道や大阪、福岡など、

感染拡大地域にお住まいの方は

大変だったと聞きます。

 

今年からスピッツの有料サイト、

スピッツオンライン、モバイルに

入会した事で

(ファンクラブ、スピッツベルゲンには

元々入会済)、

推しの生存確認も兼ねて

ブログ等をチェック出来るように

なったのですが、

やはり東京の方は大変だったようです。

 

東京やその他感染拡大地域ではないものの、

緊急事態宣言は全国に発令された事で、

解除されるまでの5月中旬くらいまで、

学校も週1登校、

週4回はオンライン会議のアプリを使った

在宅でのオンライン授業となりました。

 

元々出不精な私にとっては、

朝早く起きなくていい、

終わってからもすぐ休める、

授業は推しを眺めながら出来る、と

パラダイスな感じで受けてました(笑)。

 

一度このパラダイスを味わってしまうと、

解除され通常登校となった時の

絶望感が凄いです…

 

けれど本来GW明けから夏頃までの、

精神的に疲れて落ち込む時期が

今のところまだそんなには現れていない

ので、精神的にはまだ良い方です(笑)

 

私が今通っている専門学校は絵を描く系で、

授業も少し説明を聞いて課題を出され、

あとは黙々と作業、といったものが

多いので、

ぶっちゃけオンラインでも

何とかなるじゃん、となってます。

 

これからもね、なんか体調が悪くて

登校は出来ないとなったら

オンラインで対応とか

してくれたら良かったのに、

そこはあっさり終了してしまい

ちょっと残念でした。。

 

まぁやりづらい事とかもあったし、

応急処置でしかないから仕方ないのか。

 

でも、皆で集まってオフ会や飲み会などが

出来なくなってもオンラインで出来たり、

授業やお仕事も出来たりと

良い時代だなとは本当に感じました。

 

便利な良い時代ではあるけれど、

便利すぎてSNSでの暴言や誹謗中傷なども

目立っていたので

それもどうなのか…とも思いますが。

 

オンライン上なら

なかなか直接会えない距離でも

繋がれるというのはとても良いです。

 

新型コロナという未知の恐怖の中でも、

小さな光を紡いでいっているように

感じられた今年の春でした。

 

春はいつの間にか終わっていて、

もうすぐ梅雨入りするかと思われる

初夏を迎えておりますが。

 

感染者は徐々に減少傾向にありますが、

第2波が心配だし、

まだまだ人が密集するようなイベントも

夏~秋のものまで続々と中止になっていたり、

外出時にはいろんな事を気にして、

という生活は続いています。

 

新しい生活様式というものも

提案されていますが、

それもまだよく分からないような…

 

それでも、

いつかまた平和になって

イベントやオフ会を楽しんだり

何も気にせず好きなところに行けるような

日々が戻る事を信じて、

今はもう少し頑張っていきましょう。

 

私も今年就活生というタイミングで、

なかなか思うようにいっていませんが、

なんとか頑張っていきます。

 

 

最後に。

 

新型コロナの影響で

開催中だったスピッツのツアーが

軒並み延期となったため、

急遽

7年前の野外ライブ映像、

 

「横浜サンセット(劇場版)」

 

(映画公開は5年前)が、

なんとノーカット、

広告も期限もなしで

YouTubeで見られるようになったので

全人類見てください。

 

https://youtu.be/W4Lkp42a-10

 

ありがとうありがとう……

ありがたいけど……

金を落とさせてくれ。。

 

 

以上、桃亀でした。

 

ももたね漫画研究「ZOMBIE-LOAN」(後編)

こんにちは。桃亀です。

 

前回(https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2020/04/09/103002)に引き続き、

PEACH-PIT先生の漫画作品

ZOMBIE-LOAN」を

読んでいきたいと思います。

 

ここまでで、

「生と死」、「死と再生」を巡り、

仲間意識も芽生えて成長し、

強く生きるみちるやチカ、シト。

 

後編では、

その強さを持って

「ゾンビローン」とは何なのか、

そしてみちるの正体に迫っていきながら、

迎える未来を見ていきます。

 

 

9巻


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8巻までの、

ARRCとの闘いの最中に浮上した、

渡守、鼈甲への疑念を持って、

突如Zローンを抜ける決意をする

チカとシト。

 

そして、

記憶の底を辿って救ってくれたあとに

消えてしまったヨミを探すため、

コヨミの実家に向かうみちる。

 

それぞれ遠くに旅に出て、

新たな出会いと

それぞれの秘密に迫っていきます。

 

Zローンを抜けた

チカとシトが向かったのは、

シトの実家、徐福のある国、香港。

 

そこで元徐福の構成員で

現在は情報屋をしている男の元へと向かう。

 

シトが生きている理由、

そして香港へ戻った理由は、

唯一愛情を抱いた、

自分の母親を探すためであった。

 

シトの母親となった女性は、

千鶴という、日本の裕福な外商の娘で、

18世紀上海にて

徐福のトップ、老爺によって

拉致され、自害していた。

 

しかし、

老爺は死者を蘇らせる術を使い

千鶴を呼び起こし、

さらに千鶴から新たな屍を産ませようと

計画する。

そこで生まれたのがシト、

生まれた時からゾンビという存在であった。

 

マッマ………めっちゃ美人……

 

死者を蘇らせ、時を止める術

「尸解の法」を施し、

存在する老爺、千鶴、そしてシト。

 

永遠に続く生き地獄の中で、

唯一愛情を抱き、生きる糧としていたのが

母親の千鶴の存在であったが、

次第に法が解けて元の死体の姿となり

目覚めなくなってしまった千鶴を想い、

今度は取り戻す事を糧として

生きる決意をし、

渡守、鼈甲を訪ね、

Zローンと契約をして、現在に至る。

 

そんな過去を持つシトの話を聞いた

チカや、現地で合流したAローンの修司は、

シトに協力し、

徐福を壊すという目的を持ち、

「ゾンビ」という存在の

核心に迫っていくのです。

 

一方で、

コヨミの実家を訪ね、

ヨミを探しに来たみちる。

 

コヨミの実家は、

代々続く、死者を卸して祀る

「神降ろし」を行う

「四位ツ原」。

 

ヨミの正体は、

元々男児としてこの地に産まれたものの、

男児は許されないと死者にされた存在で、

巫女として育てられたコヨミによって

呼び起こされたものでした。

 

男児として産まれた者は

すぐさま死者とされ、

「ヤトノハコ」と呼ばれるものに

封印されてきましたが、

それが一体化したものが現在のヨミ。

 

封印された者が集う

黄泉の道へと続く大きな岩、

「境界岩」へ案内されたみちるは、

ヨミを取り戻すため、

岩の亀裂へと進んでいきます。

 

探し物のために進んでいく中で、

封印された男児たちの声を聞き、

本当は本来あるべき姿で、

元の場所へ帰りたがっていた魂を悟り、

あえて逃げずに向き合う姿は、

これまでのみちるでは想像できなかった、

それだけ生に対して強くなったと

垣間見えるシーンでもありました。

 

その一方で。

コヨミは家の遣いによって眠りにつき、

徐福の構成員、紅棍に

引き渡されてしまう。

 

それぞれ目的が異なり、

違う場所へと旅立ったはずなのに、

結局全てが繋がっていく。

 

それは、

真の目的「ゾンビ、屍として生きる者」の

正体に迫ったからだと感じられます。

 

それぞれの想いを辿りながら、

ゾンビとしての存在、

そして今の自分の立場を再確認する

巻となっています。

 

 

10巻


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実は

PEACH-PIT先生の作品の中では

これが初の二桁巻。

ひとつの漫画作品のシリーズで

単行本が二桁いったのは

これと「しゅごキャラ!」くらい

なんですね、実は。

 

ほら、「ローゼンメイデン」はさ、

トータルだと長いけど

それぞれのシリーズとしては10巻前後で

終わってるから…

 

それはさておき。

 

シトの過去の話を聞き、

愛する者のために

生に異様に執着する自分と比較するチカ。

 

そこに、

シトを奪おうとする徐福の構成員、紅棍が

襲撃してして、

3人は徐福に捕らわれてしまいます。

捕らわれる際にとどめを刺したのは、

かつてAローンに所属していた

兎子だった。

 

一方で、ヤトノハコに封印された魂に

向き合い、

かつてシトから預かっていた櫛を

投げつけた事で

櫛の狭間からシトの過去を見ていたみちる。

 

その狭間でみちるはヨミと再会しますが、

狭間の中でさらに綻びを見つけ、触れると、

みちる自身が心の底に沈めていた

幼い頃の記憶が流れてきます。

 

自分は父親と母親から

たくさんの愛情を受けて育ってきた、と

思っていたけれど、

自分は「普通の子」ではないと

知ってしまった時、

自分の両親の首に死の予兆である

黒い輪を見つけてしまうのでした。

 

そうした記憶を呼び起こしてしまい、

自我を失ったみちるは、

無意識のまま暴走し、

時空を歪ませ始めてしまいます。

 

ヨミがみちるの中に憑依し、

捻れを止めた事でなんとか抑えますが、

流され辿り着いたのは、

ARRCや渡守ら「彼岸人」が集う

生と死の狭間の世界、彼岸だった。

 

そこで出会った彼岸人、純露によって、

運命が刻まれた輪廻、

アカシックレコードを通り、

ARRCの本部へと乗り込んでしまうみちる。

そこにいたのは、

ARRCの千才だけでなく、

死神となった芝、

そして実はARRCのボスである薄荷だった。

 

薄荷はみちるに、

植え付けるように

みちるの正体を

伝え始めるのでした。

 

みちるは「普通の子」ではなく、

この世の全ての運命を司る

アカシックレコードに刻まれていない存在、

「シンギュラリティ」だと

薄荷から伝えられ、

みちるは自分を失いかける。

 

けれど、コヨミの危機を知らされると、

仲間を助けるためと自分を取り戻し、

元の世界へ戻る決意が出来たのは、

これまでで培ってきた、

誰かを想う強い「生命力」が

備わっていたからだと改めて感じられます。

 

トラウマを乗り越えて、

今の自分を見失わない強い気持ちが、

しっかり備わっている描写でした。

 

一方、徐福に捕らわれたチカ、修司は

シトとは別室に隔離され、

修司がゾンビローン、Aローンに加入した

経緯を話していた。

そして別の場所では、

兎子が紅棍に、全との過去、

そして自分が徐福に戻った訳を

話しています。

 

チカたちが隔離から脱出する際に、

シトの身柄が上海に送られた事を知り、

チカと修司は兎子に連れられ、

シトの元へと急ぐ。

 

シトの身は、

体が老いた老爺の新たな器として使用され、

さらにコヨミの持つ

「死者の舌」を以て

完全な姿になる計画のために

上海に送られていた。

 

シトが身を奪われる最後に見たのは、

自分が長年探していた、

自分の母親が、確実に死んでいるという

事実だった。

 

そのひとつの確実な絶望に涙するシトが、

あまりにも美しく映ります。

 

紅棍によって上海に送られたコヨミから

舌だけを奪い、

ついに完全な姿で存在する老爺に

迫ったチカたちは、

徐福の董奉によって

絶体絶命のピンチに迫られてしまいます。

 

自分と、

美しい姿を保つ千鶴が

完全な形になるために

全てを犠牲にする事を容易く思う徐福の

その残酷さは、

逆に「完全」を

美しく現しているとも思えてしまうほどに

絶大な存在感を放っているのです。

 

「死」の残酷さと「再生」の強さを

美しい形で心の奥底を

傷つけるように刻まれていくような

感覚になる巻です。

 

 

11巻


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上海で合流した、チカたちとみちる。

 

みちるによって

董奉の陣を突破したチカたちは、

それぞれの敵へと立ち向かっていく。

 

兎子は、全と育ての親を殺した董奉へ、

チカと修司は、シトの身体を奪った老爺へ。

 

修司は、彼岸人に捕らわれ、

操られている全を見つけ、

全を取り戻すために自分を犠牲にする。

 

チカは、

老爺も知らないシトの本当の姿、

右手を自分と共有している事から

老爺に、お前は不完全だと言いながら

反撃を開始。

 

そこに、

彼岸から立ち去る際にみちるに付けた矢を

頼りに追いかけた千才が合流。

仲間をみちるに倒された恨みから、

みちるの仲間たち、

チカや兎子、修司たちを

殺していくと宣言。

 

しかし、みちるも黙ってはいない。

自らまた時空を歪ませ、

チカにシトの身体を持つ老爺を倒させ、

また無駄に運が強い修司は懸けに勝ち、

自分も生き残りながら

全を取り戻す事に成功する。

 

自我を取り戻したシトの前に現れたのは、

かつて愛した女性、自分の母親である千鶴。

 

けれど、

やはり元々存在していないはずの千鶴は

簡単に消えてしまいます。

そこで、コヨミの死体に憑依したヨミは、

シトに本当の事を教えていきます。

 

冥府の川、

生死を分ける流れの中で見つけた

2つの魂。

ヨミに運べるのはひとつだけ。

 

そこに漂っていたのは、

身体を奪われたシトの魂、

そして舌を奪われたコヨミの魂だった。

 

コヨミの魂は、シトを愛していて、

シトを救うために

自分を犠牲にしたのだった。

 

コヨミはシトを守るため、

自ら死に向かい、

そしてシトや皆を救っていたのです。

 

戦いが終わった後、

Zローンの鼈甲や由詩が駆けつけ、

全員がZローンと契約する事で

生き返るのでした。

 

そして、

己の欲望のためだけに

代々の一族を巻き込んだ張本人、老爺を

董奉自らが潰した事で

徐福を追放され、

董奉自らもまた一人、

死を迎えるのであった。

 

ずっと側近として近い存在であった董奉に、

シトは、

チカらから刺激された

「自分の命、存在意義」を持って、

最後に、全ての関係を無視した、

最初で最後の心からのやりとりをします。

 

「生死のサイクルから外れた俺でも、

せめて憶えていることで

命を繋げるのならば」

 

と、

なくなる命をひとつの形として残す事で、

生命を繋げていくシトもまた、

Zローンのメンバーたちと共に、

生を諦めたゾンビから

自分の意思を持つ強い存在となっていた事が

分かります。

 

そして上海から全員が帰国、

Aローンのメンバーも加わった

新生Zローンとして、

日常を取り戻していきます。

 

ついでに核心を抜いた状態になった

ミニ千才さんも

ちゃっかりお持ち帰りするところも。。

 

しかし、平和な日常は、

やはり長くは続きません。

 

ゾンビという世界の矛盾が増えすぎた事で、

彼岸人が問題視し、

強制的に削除する計画を企て、

実行しだしていたのです。

 

その、最優先消去対象となったのが、

運命に刻まれていない、

存在するはずのない「シンギュラリティ」、

みちるだった。

 

同時に消されるはずだった

チカとシトは葬儀屋に助けられ、

さらに霜月さんの理事長室に招かれ、

消去を回避するが、

ARRCやZローン内部から

情報が漏れてしまっているのではないか

という疑惑が生まれて…

 

ゾンビローンの核心、

そしてみちるを救うための

最終章が始まりました。

 

チカもシトも、そしてみちるも

まがい者ながらにも信念を持って

生きていくと決意した最中に起きた、

消去。

 

消えた者を追いながら、

再び自分達に、そしてみちるに

「生きる」事を問い掛けながら

探しにいくのです。

 

 

12巻


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「運命の矛盾」と見なされ、

「消去」されてしまった

Zローンの仲間たち。

 

実際に指摘されて、

「生きる」と決意したものの、

やはり現実では

自分は矛盾した存在なのである

という自覚と葛藤しながら、

それでも、

 

「自分がこの世にいなくてもいいと

自分勝手に決めるな」

 

これまでに培った

「生」に対する強い信念を思い出し、

Zローンメンバーはじめ、

みちるを救うために

彼岸人の集団「七人委員会」に

立ち向かっていきます。

 

しかしすぐに

死神の芝、

さらに七人委員会の彼岸人に追われ、

消去された空間に流されていく。

 

一方で、先に消去されたみちると

巻き添えになったARRCの千才は

彼岸の廃棄データが

一時的に置かれる場所に、

データとして配置されていた。

 

そして同じく彼岸人によって消された

チカやシト、

そして巻き添えになった芝は、

なぜかゲームのバグとして

小梅がプレイするゲームの中に

入り込んでしまう。

 

ゲームのバグとしてではあるものの、

まだ自分の意思や行動ができる状態である

チカやシトは、

同じくデータ化されたZローンの仲間たちを

救うため、

ゲームクリアに向けて

(ゲーム内の)ゾンビ狩りを行う事に。

 

そうして無事、

みちるたちが配置された

廃棄データの一時置き場に辿り着いた

チカとシト。

自動清掃ツールによって

消されかけてたみちるを

間一髪で救いだします。

 

思わずトラックに乗り込んで、

そのまま焼却炉へと飛び込んでいく

一同、そして後に合流したヨミとざらめ。

 

その先では、

チカとシトを鼈甲が拾い、

芝とみちるは海の底に漂いながら

七人委員会に追われていた。

 

チカやシトはそこで、

みちるの違和感、正体を知り、

みちるが「核心」であると

悟っていくのです。

 

みちるの正体、

そしてデータ化されたままの

Zローンの仲間たちを追って、

物語は終わりへと向かっていきます。

 

 

13巻


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最終巻です。

 

なんか分厚い単行本。

カラーページ多めの大ボリューム。

 

それぞれ七人委員会の甘露に追われ、

合流するも

みちるは再びデータとなり消えてしまう。

 

そこに、ずっと行方をくらましていた

由詩が、検閲官として現れる。

 

由詩は、ゾンビでもあるものの、

「シンギュラリティ」である

みちるのみを監視する

検閲官としての顔も持っていたのです。

 

「シンギュラリティ」とは、

世界全てを飲み込んでしまう

ブラックホールのようなもので、

みちるはその「発生源」として

彼岸人、七人委員会からは

恐れられている対象だった。

 

それも、偶然そうなった訳ではなく、

人為的に作られた

「エリザ計画」の生き残り、

「エリザベトの仔」である事から

想定外の積み重ねとして

選出された存在だったのです。

 

その、人工的に作られた存在は

何らかのバグが生じて、

15歳までに突発的な自殺で

なくなるべきはずのものだったのに、

偶然3人のみ

生き残ってしまっていました。

 

それがみちると芝、

そしてAローンの修司でした。

 

そんな修司は、

彼岸人によってAローン組

まとめて消されかけてたところで、

ARRCのネリに助けられて

現在、ヨミとざらめ、そして霜月さんと

合流していました。

 

「エリザ計画」によって

作られた存在である みちるたちは、

アカシックレコード」を壊して

世界の生死を滅茶苦茶にするために

生まれた者、いわば実験体であった。

 

それでもみちるを救うのかと

問われたチカとシトは、

1巻で確めた、

みちるの「生きたい」という想いを

思い出し、

みちるのいない世界など

考えられないと悟り、

改めてみちるを救出すると誓うのでした。

 

そしてみちるもまた、

作られた存在である以上、

何の欲も持たない、

ただ存在しているだけの

無色透明な存在なのだと諭されるものの、

これまでを振り返り、

本当にそうだったのかと

疑念を抱きながら眠りにつきます。

 

しかし、

実はチカやシトと過ごす内に芽生えた

感情を叫んでいた事を思い出し、

またも「予想外」の反応を起こすのが

「シンギュラリティ」。

 

異常発生させたみちるを想い、

上へ駆け上がっていくチカ、シト。

 

その最中には

「エリザベトの仔」である芝を

優先的に狩られたりなどして、

仲間が徐々に減っていく。

 

残酷な現実は芝を襲い、

何者にもなれなかったが

チカとつるんでいる時だけが輝いていたと

悟る芝。

 

最後に死神から抜いた核心を

自ら外し、命尽きるまで、

自分の存在を発揮し、

そしてチカの元へは

もういけないと消えていくシーンは、

これまでの芝との別れの中で

一番切ないものだと感じました。

 

そしてついに親玉、薄荷の元へ辿り着く。

 

薄荷からこの世の仕組みを聞かされて

攻撃されるチカやシトは、

みちるを操り破滅するために扱う薄荷に、

「生きてやる」とその強さを以て

立ち向かっていきます。

 

そしてネリの能力で生命の糸を繋ぎ、

世界を動かすシステムの中枢にある

歯車を止めるために辿り着いた

修司とヨミ。

 

消えるかもしれないという覚悟をもって

運命の歯車を止めるため、

自分の命の糸を犠牲にして…

 

「運命は変えられない」

 

思い込みをぶち壊すほどの、

それ以上の強い生命力や絶対的な信頼が

運命を変えていく、という

大きな振動を起こしながら

物語は最終回を迎えます。

 

歯車が止まり、

アカシックレコード、運命の輪廻 が

止まった事で、

扉が開く=世界の終了、

そして同時に始まる「再生」が

危惧される状況に。

 

彼岸人の意義に逆らい続けて

壮大な自殺劇を繰り広げる薄荷に、

死者の世界へと誘われもなお、

「死が救済ではない」事を知った

シトはそれを拒む。

 

それと同時に、

チカたちはみちるに

本当の気持ちを問いかける。

 

「そこが嫌なら飛び出して来い」

 

かつて言われた言葉で目覚めた時、

運命の歯車は逆回転を始めるのでした。

 

そしてついに薄荷を捕らえたチカは、

死を望んだ薄荷に対して、

あえて殺しはせず、けれど

自分の罪を抱えながら、

運命に抗って生きろと伝えます。

 

そして世界は逆再生、

つまり今までの記憶が全てリセットされ、

物語の始まりへと戻っていくのでした。

 

 

「逆回転」の最中で

死後の世界に漂うみちるに対し、

死神のざらめは

みちるが存在しているその意義を

説きながら、

2つの選択肢を与える。

 

このまま運命の輪廻に紛れ込み

そのまま死を迎えるか。

 

みちるのみ記憶をそのままに

何もかもがリセットされた世界で生きるか。

 

後者はチカやシトなど、

これまで関わった全ての人が

みちるを知らない状態に

戻ってしまうため、

そのままの人間関係を保ちたいと願うなら、

それはある意味

生き地獄となってしまうと忠告するも、

やはりみちるが選ぶのは…

 

一度死んだ時に選んだ「生」を

またひとり全うし、

自分だけが忘れないでいたら

また繋がる事が出来るかもしれない

という僅かな希望を持って、

千才の核心を借りながら

生きる決意をしたみちる。

 

記憶の消去は完全でなく、

つじつまの合わない記憶は

彼らの中で小さな違和感として残るものの、

みちるを知らない状態で、

関わる事のない、

ある意味元通りの世界で

今日も生きていくのです。

 

唯一誰にも曲げる事の出来ない記憶として、

死の間際に蘇る「走馬灯」。

 

もしかしたら、

死の間際にはみちるの事を

思い出してくれるかもしれないからと

千才が慰める頃、

とある通学バスが

事故を起こしたという

臨時ニュースが目に飛び込んでくる。

その事故での死亡者は…

 

もしかしたらまた、

運命を共にするかもしれない、という

予感を感じさせつつも、

希望に満ち溢れすぎず、

でも絶望的にもなりすぎず、

最後まで「生と死」が

近くに感じられる締めとなり、

物語は終わり、また始まっていくのでした。

 

 

【まとめ】

 

以上で「ZOMBIE-LOAN」全13巻を

読み終わりました。

 

後半は自分の感想というよりも

ほぼ物語を追ってるだけになってしまって

申し訳ないです。

 

けれどこの物語は、

変に解釈するよりも

ありのままに受け止めることで、

自分の世界を振り返った時に

自分が選ぶのは「生と死」のどちらなのか、

それを考えられると思いました。

 

簡単に

「生きてればいい事ある」だとか

「死ぬのは良くない」なんて

言えない時代だからこそ、

自らの意思で「生きたい」と

思えるような、

そんな魂の物語が

この作品だと感じられます。

 

愛する人を守るため、

自分が生まれてきた意味を示すため。

 

目的や動機は

人それぞれでもいいけれど、

ただひとつ、確実なものを定めて

それのために自分は生きるんだ、という

強い気持ちを持ち続ける事が

大切であると、

この物語から読み取れると思います。

 

けれど、

やっぱりずっと強い気持ちを

持ち続けて生きている人というのは

現実的には少なくて、

目的を見失った時には

死を思う人もいるかもしれません。

私はしょっちゅうです。

 

これは私の持論なんですけど、

生きる目的を見失ってしまった時は、

そのハードルを少し下げてみて、

「これさえ達成したら

もういつ死んでもそんなに後悔しないかな」

というレベルにしてみて、

あとはそんなに気負わず生きていたら

いいんじゃないでしょうか。

 

テキトーに生きてたらシトに怒られそう

だけど。。

 

また、そんな感じで

死がよぎった時に

この物語を振り返ってみると、

もしかしたら自分の中の

生きる目的が見つかるかもしれません。

 

今、世界では大変な状況になっていて、

この現状も人々の生死も、

存在が始まった頃から

運命によって決まっているもの

なのかもしれないと思いつつも、

運命だからと諦めず、

運命に抗っていくつもりで、

今を全力で生きていこうという

現代社会へのメッセージにもなるかも

しれないこの物語。

 

外出自粛となった今こそ

読んでみてはいかがでしょうか。

 

 

以上、桃亀でした。

 

ももたね漫画研究「ZOMBIE-LOAN」(前編)

 

こんにちは。

 

PEACH-PIT先生から名前を拝借している

桃亀です。

 

1年ほど前にPEACH-PIT先生の漫画作品

しゅごキャラ!」について

ざっくりとしたストーリーを

振り返りながら

個人的な感想を含めたものを書きましたが、

 

→(前編)https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/05/05/093004

(後編)https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/05/05/110006

 

これが意外と反響があり、

いつかは他の作品でもやりたいな~と

ずっと思ってましたが。

 

最近、新型コロナウイルス

世の中大変な事になり、

首都圏などでは緊急事態宣言なんかも

出されて

なかなか外出が出来なくなってしまった今、

長編の漫画を読むのには

ピッタリなのではないか、

また、改めて命の大切さを感じる時期

だからこそいいのではないか

という事で、

今回はPEACH-PIT先生の漫画作品

ZOMBIE-LOAN

読んでいきたいと思います。

 

全13巻という大ボリューム!

という事で今回も長くなりそうなので

前編と後編、分けていきます。

 

その前に、

私とこの作品の出会いを振り返ってみます。

 

しゅごキャラ!」で

すっかりPEACH-PIT先生の漫画にハマった、

当時小5~6の私は、

すぐさま他の作品はないのかと調べ、

まず代表作「ローゼンメイデン」を読み、

ますますハマっていきました。

 

そして中学1年で、

あと残っているのは(当時)

オリジナル作品初連載の「DearS」と、

この「ZOMBIE-LOAN」でした。

 

手を付け出したのは

ZOMBIE-LOAN」が先でしたが、

何だかんだ「DearS」と

同時進行で読み進めてた気がします。

 

前回、

入院についてのブログを書きましたが、

最初の入院時(中1夏休み)に

この2作を持ち込んで読んでました。

 

病院に「DearS」と「ZOMBIE-LOAN」を

持ち込む私、

今見るとなかなか頭狂ってますね。

内容が内容だけに。。

 

DearS」は、純粋無垢( )な

中1女子には少し刺激が強くて

ちょっとずつしか読み進められなかった

のに対し、

ZOMBIE-LOAN」は読み始めから

どんどんのめり込んでいき、

最初にハマった「しゅごキャラ!」よりも

ハマり具合が凄かった記憶があります。

 

キャラクターの掛け合いが

テンポ良いのに、

テーマがしっかりしている、

軽いノリもあるのに

ズシンとくるメッセージ性もある、

というのが大きかったんだと

今では思っています。

 

…とまぁ、振り返りは

この辺りにしておいて。

 

さっそく読んでいきたいと思います。

 

1巻


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記念すべき第1巻。

 

漫画の本編では、

しゅごキャラ!」や「ローゼンメイデン

のような、

トーンを多用した華やかな画面

というよりは、

モノクロを貴重とした

シンプルな画面が続くというのもあり、

表紙から作品の雰囲気を強調させていると

思わせています。

 

1巻は、

主人公みちるとメインの“ゾンビ”、

チカとシトとの出会い、

「ゾンビローン」の仕組みと

仲間になっていく行程が描かれた、

いわば序章のような感じです。

 

クラスメートからパシリにされても

文句を言えない気弱な高校生の少女、

紀多みちるは、ある日、

半年前の事故で奇跡の生還者と言われる

二人の少年、赤月チカと橘シトの首元に

「奇妙な輪」を発見する。

 

それは、「死を予兆する不吉な輪」だった。

 

その輪を見る事が出来る特殊な目を持つ

みちるは、

二人に死の危険を教えようと

近づこうとすると、

二人は既に死んで「ゾンビ」と化していて、

命と引き換えに

莫大な借金を背負いながら

「ゾンビ」を退治する事で

借金返済をしていた事を知ります。

 

みちるとチカ、シトの3人による、

死と再生、魂の物語。

 

1巻では、みちるとチカ、シトの出会い、

それぞれの正体(能力)を紐解きながら

仲間になっていく様子が描かれています。

 

ゾンビ=腐ってる という発想からか、

仲間であるチカとシトが

「手首を交換する」事で

能力を発揮できる、という設定は

斬新だと感じました。

 

ゾンビである彼らは人一倍

「生きている事」「命」の重さを

知っていて、軽々しく生きている人を

軽蔑している、というのもあり、

命や生に対する軽い意見には容赦なく

「そんな気持ちなら生きるな」と吐きます。

 

それがみちると同様に、

私たち読者にもグサグサと

刺さっていくのです。

 

学校の保健室にも滞在するシスターが

実は女子生徒を誘拐して補食する

「ゾンビ」だと知った時には、

みちるにも「死を予兆する黒い輪」が

現れている状態で、

両親を亡くして居候している親戚の家から

飛び出すためにチカシトに付いてきた

夜の学校探索で、

それまでは自分から行動できずに

悶々とするだけだったみちるが

仲間を助けようと身を乗り出すシーンは、

まさにこの作品のテーマである

「死を思う事で生を考える」

突き動かされた行動だったと思います。

 

結果的にみちるは致命傷を負いますが、

その姿に感化されたチカとシトが

借金を肩代わりした事で

みちるも「ゾンビローン」の返済者となり、

生還します。

 

これをきっかけにいろいろ吹っ切れて、

居候先を自ら出ていき

長かった髪もバッサリ切り、

前を向いて「生きていく」決意を

していきます。

 

全巻通しても、ですが、

1巻だけでも

すぐ「死にたい」と嘆く人に

突きつけたい漫画となっています。

 

そんな私はすぐ「死にてぇ~~~!!!」と

叫ぶので本当にまたちゃんと

読んでいきます。。

 

 

2巻


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1巻ラストで生還し、

居候先を出ていった事で

ホームレスとなったみちる。

 

そこで、

とある共通点を持つ者が集まる学生寮

「黒羽寮」に招待される。

 

理事長の久世霜月さんや

先輩の宵町コヨミと出会うが、

歓迎会でファンタン(炭酸飲料)に酔った

コヨミにいきなりキスされて…

 

天然可愛い感じのコヨミと

エロ怪しいヨミのギャップや、

どう見てもロリなのに理事長な霜月さん。

キャラクターの良さが

存分に発揮されてます。

個人的には由詩くんも好きです。

 

コヨミから突如現れた

もうひとつの人格、ヨミは、

みちるの特殊能力「死神の目」に対して、

死者の記憶を音源化する「死者の舌」を

持っていたため、

みちるとのキスで再び呼び寄せ、

チカシトはじめ「ゾンビローン」が追う

ある「事件」の手掛りとして協力を仰ぐ。

 

その最中に再会した

チカの中学時代の友人、芝怜一朗の

秀才ぶりも加わり、

謎の「ゾンビがらみの事件」に迫っていく。

 

一気に登場人物や設定の説明などが

加わりましたが、

ところどころに挟まれる日常のシーンで

重くなりすぎず、

情報量も小出しにしていく事で

すっと頭に入りやすくなっていると

思います。

 

個人的には、みちるとコヨミのロリータ回は

とても良き。。

可愛い子にはロリータ着せよ…

 

 

3巻


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前巻からZローン一味が追っている

「ゾンビ」関連の事件。

その犯人が主催するオフ会

に強制的に参加させられてしまう

みちるとコヨミ。

殺人サークルだと気づき、

つい本音を漏らしてしまったみちるが

襲われかけると、ヨミが覚醒。

そこにチカシトも加わり、

何とかその場を凌ぎ、犯人の元へと急ぐ。

 

犯人の、ゾンビ=不気味で無敵、

けれど致命傷で

あっさりと消えてしまう存在という、

狂気さや気持ち悪さが

容赦なく表現されていて、

飾りのゾンビ設定でなく

追求しているところは

本当に凄いと思います。

 

犯人を倒し、人質となった女性も助け出した

ところで一件落着…かと思いきや。

 

報酬額が足りない事で浮上した「真犯人」。

その正体は…

 

数ページ前まで味方のフリしてたのがまた、

より衝撃を与える展開でした。

 

親友が敵となっても、

やっぱり裏切れないチカの

熱い男気というか、

友人想いなところも垣間見る事が出来ます。

 

が、そこを「弱み」と知っていて、

襲ってくる敵となった親友。

いい具合に軽くていい人ぶってた人が

狂気を纏う以上に気味の悪い事ないです。

 

最終的には、

「自由」を履き違えた親友に、

もう一度、自分と同じように、

「生きる」事で得るよう説得するも、

それを拒み、「死神」によって狩られ、

消えてしまいます。

 

親友を失った喪失感の中、

悪口言い合うけれど確実な「仲間」である

シトの肩を借りるチカの姿もまた、

男同士の友情を静かに語っていて

いいシーンです。

 

けれど、そうとうなショックを受けて

甘えん坊になっちゃうチカもまた可愛い。

文句言いつつ見守ってくれたり、

慰めの慰安旅行まで計画してくれる

黒羽寮の仲間たちも、

皆仲間想いでいい人たち…。

 

ところどころで浮き彫りになる、

「生への執着」、「死への恐怖」も、

日常と、そこから反れた心理の中で

確実に描いていく。

それがこの作品のテーマであると

改めて感じさせていきます。

 

3巻はオマケ漫画がたくさん収録されてて

可愛いです。

 

 

4巻


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1巻が序章、2~3巻が第1章とすると

4巻からは第2章。

 

主にシトの過去を追っていきます。

 

チカの家族(父、妹)も登場し、

早くに両親を亡くしたみちる、

諸事情で寮に暮らすコヨミは

「家族」に想いを馳せる。

 

徐々にゾンビローンのメンバーに

「仲間」の意識が湧いていく、

ほんわかした日常が続きます。

 

一方で、何者かに操られているような

描写をされるシト。

みちるがふいに部屋で拾った

シトの「櫛」に触れると、

シトの逆鱗に触れ、

3人は仲間割れしてしまう。

別れた道中、シトは何者かに襲われ、

監禁されてしまう。

 

シトについて情報を知る人間、

董奉(トウホウ)によると、

シトはマフィアの御曹司として、

不慮の事故によるゾンビ化ではなく

「元々ゾンビとして作られた存在」である

と知らされます。

 

チカとみちるは、

誘拐されたシトを探しに出ますが、

董奉によって阻害され、

シトと手首を共有しているチカは、

距離によって使用できなくなってしまい

危機的状況に陥ってしまう。

 

そこに、

助っ人としてソテツが加わり、

さらに情報屋兼死神通訳の少女、小梅などの

情報により、

シトに迫っていきます。

 

「仲間」の意識は生まれつつあるものの、

お互いにまだ完全な信頼を寄せてはいない、

あくまで仮の仲間である事を

董奉に指摘され、

改めて「仲間」とは何なのか、

自分が存在している意味や、

相手にどう思われているのかという事を

考えるようなストーリーになっています。

 

一方で。

監禁されたシトの元には、

監禁を計画した研究者によって作られた、

シトの記憶にいる人とよく似たゴーレム

(作られたバケモノ)の少女がやってきて、

妙になつかれてしまう。

 

研究者、吉住は

個人的に顔が好み。

敵キャラで終わってしまうのが

もったいないくらい。

 

あとシトの監禁されている姿がエロいと

ヲタクの中では評判です。

…確かに。

 

シト奪還に際して、

自分は自分が思うほど

相手に信頼されていないのではないか、と

考え、なかなか行動に移せないチカに対し、

ソテツからは

 

「どこから来たかに拘らず、

どこに行くかを大事にしろ」

 

と諭され、

みちるにも後押しされ、

さらに鼈甲さんからは

奪還に際したボーナスを提示された事で

チカの心に一気に火がつき、

シト奪還へ向かいます。

 

悶々とした気持ちで動けなかったのに

金をチラつかせるとあっさり動くチカ、

ある意味簡単(笑)。

 

協力を仰ぐために尋ねた死神が、

イメージしていたものとは違い、

かなりミニサイズに。

 

普通は小梅を通さないと

会話が出来ないはずなのに、

なぜかみちるとは会話が普通に

出来てしまう事から

みちるを通訳とし、

シト奪還へ連れていきます。

 

ミニサイズの死神さんかわええ。

可愛いって言ったら

死神さんに怒られてしまう。。

 

この巻では

「仲間意識」や「お互いの信頼関係」などを

考えさせられる物語が

続いていきます。

 

 

5巻


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誘拐されたシトを救出すべく

チカたちは捕らわれて監禁されているという

研究者、吉住の研究所へ向かう。

 

研究者、吉住は、

死体からバケモノを作るため、

シトの家系に伝わる「尸解の法」を

入手するため、シトを誘拐していた。

さらに吉住は、

完璧なバケモノを作るため、

運命の輪廻を管理する組織、ARRCと

ゾンビ契約をしていたのだ。

 

一方で、

捕らわれたシトを発見したチカ。

すぐにほどく事はせず、

煽りながら自分の考えを一方的に話した後、

武器を出せる手首を勝手に交換し、

さっさと退散してしまう。

 

いたずらっ子みたいなチカが

チカらしくて良いですね。

芝を失ってから前巻までは

あまりチカらしくなかったので、

吹っ切れた姿をまた見れたのは

なんだか嬉しいです。

 

助けに来たみちるに

初めて「みちる」と名前で呼んだシト。

そして、

敵に阻まれ苦戦するチカに

助太刀しようとすると…

 

これまで壁を作って

仲間に対しても苗字呼びで、

どこかよそよそしかったシトが、

下の名前で呼ぶ事で

共通の「仲間意識」を強めていく

という描写も、

男子同士の友情や青春さなんかも

感じられます。

相変わらず仲良くはないですが。

 

それすらも

トムとジェリー的な関係で

微笑ましく感じてしまいます。

 

そして吉住自身がバケモノと化し、

全員を襲いかけた時、

妙にシトになついて

シトも愛着の湧いてしまったゴーレムの少女

も巻き添えに遭い、

どちらかというと少女を救うため、

目的をひとつに定めて皆で吉住を倒します。

 

そして、

無事救い出した少女を、

今度は人間としてちゃんと生かしてあげたい

と願う最中、

吉住の仲間によって射殺されてしまう。

 

少女は元々バケモノとして作られた、

「存在してはいけない者」。

それは、全く同じ状況のシトにも

響いてしまう。

 

元々ない命とはいえ、

確実に「生きていた」と感じるのは、

少女とシトの間に共通の記憶があるから。

これまで死に残酷で、

特に何の感情も浮かばなかったシトの中で、

「死による喪失」を経験する事に

なったのです。

 

「仲間の一員」としても、

「生と死の意識」をするようになり、

成長したシト。

 

無事帰還し、

寮ではお祝いのパーティーが開かれます。

 

この日常パートで、

キャラクターの感情的な部分が

垣間見えるのが、

シリアスな戦闘の後とのギャップもあり、

よりキャラへの愛着も沸きます。

 

ゲームをして勝利した

コヨミのリクエストで、

コヨミリサイタル付きカラオケ大会が

開催され、

カラオケボックスの隣室と

ちょっとした揉め事を起こしている間に。

 

ゾンビローンの「渡守」こと鼈甲さんは

普段の冴えない格好から

何やら近未来な格好に変わり、

本業である

「WFO

(三途の川的なところを管理する組織)」

の定例会議に参加していた。

 

新議長は、

やたらテンションの高いオネェキャラ、

「薄荷」。

 

薄荷によると、

吉住とゾンビ契約をしていた

運命の輪廻を管理する組織「ARRC」に

よって

その輪廻、

アカシックレコード」の一部が

盗まれてしまったため、

運命が少しずつ狂い始めてしまい、

町に放たれた有害なゾンビを

ゾンビたちに狩りをさせる事で

(とりあえず)正当化させる仕組み、

つまりゾンビローン的な事を

薄荷自身もパクってやり出した、と

宣言する。

その名も「A-LOAN」

 

その「A-LOAN」のメンバーこそが、

カラオケボックス

チカたちと張り合っていた

高校生たちだった、とは

この時点ではつゆ知らず…。

 

新キャラも続々と登場しつつも、

全体的にはゾンビローンの仲間たちの

絆が強まったと感じられる

巻になっています。

 

 

6巻


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ここからはまた新章が始まります。

 

今度は、主にチカの過去を追っていきます。

 

前巻のラスト、

渡守の仲間である薄荷が、

チカらが所属する「Zローン」を模倣して、

新たな命のローンシステム

「Aローン」を設立。

 

そのメンバーは、

前日にチカらとカラオケボックス

張り合った高校生たちだった。

チカっぽい能力の全、

シトっぽい能力の修司、

そしてみちるっぽい能力を持つ兎子。

 

しかし、

ゾンビによるゾンビローンのシステムは

2つもいらないという事から、

1ヶ月以内に一千万円稼いだ方を

生き残りとする事が決定してしまい、

A対Zの生き残り

ゾンビ駆除対決が始まっていきます。

 

基本的に、

後から登場するキャラを

あんまり好きになれないタイプの私ですが、

Aローンの皆は何か可愛いので好きです。

能力はZローンのメンツと似てはいますが

全体的にスキルが上で、

なおかつAローンのメンバーは

全体的に人間味がまだ残っている、

というのも違いがあって

いいのかもしれません。

 

駆除対決の最中、

怪我を負った全に絆創膏を貸すみちるに

一目惚れした全と、

実は全を秘かに想う兎子、

そしてみちるの、

前日のコヨミの告白から意識し出した

ソテツに対する想い。

そんな話を聞いてしまって

ヤキモチを焼くチカシト、など

それぞれの恋心も動き出します。

 

こういう、

本編とはちょっと外れて

ドキドキバタバタするシーンが

割と好きです。

6巻はまだちょっと平和なシーンが多めで

読みやすいかも。

 

兎子に倣い、

みちるもZローンの一員として

力になりたいと思う気持ちが強くなり、

自分の能力である「死神の目」を鍛える

特訓をしていると、

強く引き付けられる場所を見つける。

そこは、みちるたちが通う学園だった。

 

死んだはずの芝が死神となって

再びシトの前に現れたり、

みちるに頼まれた狼男のライカ

チカたちを呼んだりし、

さらになぜか寮で料理をしていたコヨミを

巻き込んで

Aローン、Zローンのメンバーを乗せて

学校ごと別世界へと消えてしまう。

 

それを企てたのは、

Aローン、Zローン、両方とも消そうとする

ARRCの千才(ちとせ)だった。

 

千才の企てによる、

閉じ込められた空間での

生き残り対決が始まっていきます。

 

千才もまた、

絶妙にいい感じのビジュしてるのがさぁ……

良いよね……

 

個人的に、この巻前後の絵柄が好きです。

 

また、これまでだったら

別に死んだら死んだでそれでいっか、

何の役にも立たないしと

諦めが早かったみちるが、

チカとシトと過ごしていく内に、

自分がここに生きている理由、

どうしたら役に立てるかを

自分でしっかり考えるようになった

みちるの姿が、

初期と比べると

だいぶ強くなっていると

成長を感じられる巻となっています。

 

 

7巻


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千才による学園封鎖内で

生き残り対決をするAローンとZローン。

 

サバイバル状態で

それぞれストレスが溜まっていく中、

心が不安定になり、

チカは自我の鎖が切れた、野生のゾンビと

化してしまいます。

 

チカの自我の鎖を直すため、

チカの心に入り、穴を塞ぐ事になった

みちる。

ヨミの力を借りて、

みちるはチカの過去のトラウマに

迫っていきます。

 

チカのゾンビになった経緯や、

流されてもっと過去の、

幼少期、育児放棄された子供のチカと

直接会話する事に。

ここでの会話が未来のチカに

直結すると知り、

死神となった芝は

さらにトラウマを植え付けるため、

絶望的な現実をチカに突き付ける。

 

世の中の残酷さと、

それでも生きていく事の強さを、

生と死のどちらも経験したみちる

だからこそ、

強く生きてほしいと願う訴えが

響くシーンになっています。

 

一方で、ヨミと繋がれたリボンを、

千才によって操られた全が切ってしまい、

絶体絶命になってしまう

AローンとZローンのメンバー。

 

そこに、

外からの救出として

理事長の霜月が

緊急脱出ゲートの「扉」を作った事で、

全以外のメンバーは一命を取り止める。

 

みちるによって

自我を取り戻したチカが

芝と直接対決する最中、

意識の底に流されて漂うみちるを

救ったのは、

白蛇の姿になったヨミだった。

 

さらに、

「扉」から脱出し、

辿り着いた列車に乗るシトたちは、

別ルートでチカの意識へ向かっていきます。

 

チカの過去を追う事で、

より「生きていく事の意義」を問い、

全員でひとつの目的「生き延びる」事を

目指して協力していく様子が

ジェットコースターのように急展開で

描かれていきます。

 

困難を乗り越えて

強く「生きる」事を意識できる

巻となっています。

 

 

8巻


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絶望というトラウマを与えたくて、

死神になってまで執着する親友の芝と

直接対決をするチカ。

 

自我を取り戻したチカは、

そんなトラウマを乗り越えて、

仲間を想い、

愛する気持ちを持っているために

自分は生きて戦っていると宣言する姿は、

この物語のひとつの答えのようにも

感じられます。

 

そうした意識を取り戻した事で

シトたちとも合流したチカ。

進路を無理矢理変更した事で

列車が脱線し、

霜月が新たな脱出ゲートの「扉」を作り、

みちるが漂う無意識の底、

ARRCの「ポケット」に繋がっていく。

 

千才に迫るシトや、

そこへ向かおうとするチカに襲う

操られた全など、

ARRC対ゾンビの最終対決をする裏側で、

ある話し合いをする渡守の鼈甲と薄荷。

 

ここで鼈甲による

「ローン」に込められた思いを

垣間見る事ができます。

 

世の中金が全てではないとはいえ、

とりあえず金があれば

大抵の事が解決できるのは

実は分かっていて、

そこを突いた鼈甲は

一千万円稼いだ方を生き残りとする

対決の終了間際に、

あっさりと全員分のお金を用意する事で

生き残り対決の決着をつけていました。

 

生き残り対決を

ARRCに操られていたと知ったみちるは

ブチ切れて、本能を発揮。

ARRCのカルメラにしか出来ないと

されていた「時空を捻る」を

意図も簡単にこなし、

空間を壊していきます。

 

さらに、千才による言葉で、

自分達が上の存在に操られていたと知る

チカらを巻き込み、

切り取られた学園の枠を壊す事で

元の世界へと戻っていきます。

 

この描写が後に問題となり、

次の章へ繋がるものともなるので

結構重要なシーンだったりするのですが、

全てを断ち切って

皆で元の世界へ戻っていく、

今の自分として生きていく決意をした事で

戦いは終息へ向かっていくのです。

 

全てが終わり、

また日常へと戻った日々は

やっぱりわちゃわちゃして、

でもちょっとドキドキするような

可愛い描写が多いのも、

これまでの緊迫したシーンとの

対比となっていて良いですね。

 

みちるとチカが

手を握るシーンにはキュンとしました。。

みちるとソテツ(+赤月兄妹)による

デート回も個人的には好きです。

皆がそれぞれのキャラらしいし

あっさり終わる恋も

さっぱりしていて面白い。

 

「今のままの自分で、

ありのままの自分を信じて生きていく」事

を考えられる巻として纏まり、

第3章が終幕していきます。

 

 

【まとめ】

 

前編は以上になります。

第9巻~最後までは後編で。

 

ここまでで感じる事は、

まず作品のテーマでもある

「生と死」について、

正解がない中で

それぞれの過去を追う事で

それぞれの「生きる意味」やその強さを

描いている、という事でした。

 

そして、チームとなって

「生と死」、「死と再生」に

立ち向かっていく事で

仲間意識だったり、

誰かを想って、誰かのために生きていく

という強い気持ちも

垣間見る事ができました。

 

それぞれのキャラクターに

愛らしい部分や

共感するエピソードが盛り込まれつつも、

物語を追う事で

キャラがしっかりと成長していく姿を見て、

読者である私たちもまた、

心のどこかで軽視していた

「命」について考える事が

できるようになっていると思います。

 

そんな、

強い「生」を描いた作品を、

後編でも読んでいきたいと思います。

 

 

以上、桃亀でした。

 

入院した時の話

こんにちは。

 

新年度も始まり、就活も始まっているのに

コロナに阻まれ、

それ以前にエントリーや書類審査の時点で

落ちまくって

早くもやる気をなくしている桃亀です。

 

 

今世の中は大変な事になってますね。

 

都心では多くの方が感染し、

入院なんて事もあって

このままでは医療崩壊してしまうかも

しれない、なんて言われていますが。

 

なんとかそうなる前に

収束してほしいものです。

 

それとは関係なく、

本当に関係ないのですが、

まさに今、父親が一週間ほど

胆石の切除のため入院しているんですが。

 

私自身も実は2回ほど

入院の経験があります。

 

私の場合も、

大きな病気という訳ではなく、

元々膝が弱くて脱臼しやすい骨

という事もあり

人工の靭帯を入れたりなんていう手術と、

それによる傷痕を目立たなくするための

手術、という事なんですが。

 

1回目の入院は中学1年の夏休み、

2回目の入院は中学3年の夏休みでした。

 

どちらも1週間ほどの短い入院生活でしたが

その時の思い出?というか

なんとなく記憶している事を

書いてみようと思いました。

 

1回目の入院、中学1年の頃。

 

5~6人の相部屋だったのですが、

はじめの2~3日はなんかずっと泣いてました。

 

家族がいない事の寂しさ、というよりも

ただでさえ削られてるメンタルで

「なんで私だけがこんな状態に

なってしまうんだろう」という

ネガティブ思考が

グルグルしていたという感じと

記憶しています。

 

後から調べたら、

若い女性やスポーツをしている人なんかは

結構なりがちな怪我だったのですが。

 

この怪我自体が、

最初になったのが小学6年の頃で、

完治したと思っていた矢先の中学1年の春に

再びなってしまい、

小学校からの友人には

割とすぐの2回目で

もはや心配もされなくて、

 

「また?(呆れ)」

 

みたいな反応なのもあって、

別にこっちだって好きでなってる

訳じゃねぇしみたいな

モヤモヤを抱えたままの入院だったので、

入院手術、しかも中学生の夏休み期間に、

などいろいろ考えて

ぶわっと来ていたんだと思います。

 

 

入院初日、

足の手術をした後は

自力で動けなくなるので、

必然的に看護師さんの援助が

必要になるという事で

私の生活リズム?みたいなものの

聞き取りがあったのですが、

トイレに行く頻度を聞かれて

私が「1日に2~3回くらいですかね」と

答えるとなんか凄い驚かれたのは

鮮明に覚えています。

 

1日2~3回って少ないんですかね?

未だにそんな感じですけど。。

 

 

そして翌日の手術日。

 

結構時間がかかる(4~5時間?くらい)の

手術という事もあり

全身麻酔で行われました。

 

でも麻酔するのって

一人で手術室入ってって

じゃあよろしくお願いしますっつって

自分で手術台に横になる

という感じだったので、

いやこれ寝てれるかな…って

不安はありました。

たぶん秒で寝たけど。

 

けれど思ったより目覚めが早くて、

さすがに目覚めたのは

術後ではあったものの、

まだ病室に運ばれていない、

手術室から出た最初の待機場所

みたいな所の天井を見ていた

記憶があります。

 

目覚めて直感で、

「あ、これまだ目覚めちゃいかんヤツだわ」

と察して

病室に運ばれるまで寝たフリしてました。

術後の奴に気使わすな。

 

 

手術前と当日の術後は

食事なしだったのですが、

翌朝からは普通に

病院食をいただきました。

 

病院食ってなぜかマイナス

(量が少ないとか

健康に気使いすぎて味は良くないとか)

なイメージがあったんですが、

私は普通に量あるし

普通に美味しいしって感じでした。

 

病院食って凄いんですよ。

 

私入院中ほとんどベッドから動いていないし

普通に出された量食べてたのに、

退院する頃にめっちゃ痩せてました。

病院食だからもちろん健康的に。

 

マジでダイエットするんだったら

病院食のメニュー真似したら

いいと思います。

意識してダイエットした事ないけど。

 

入院してた期間は、

最初の2~3日は泣いてた私も

次第に慣れてきて、

持参したスケッチブックに

ひたすら絵を描いていたり、

TVでEテレばっかり見てました。

 

なんでか知らないけど1日中Eテレ

 

未だに

たまにEテレ見ると

入院してた事を思い出します。

 

当時はたぶんまだ

まいんちゃんとかやってた頃。

 

おかあさんといっしょ」とかって、

朝やってるのと夕方にやってるのが

内容一緒なので、

夕方のは先の展開が分かってて

ちょっと面白かったです。

 

どうやら私はメンタルが死ぬと

脳内が3歳児になるタイプの

人間なようです。

はじめて知りました。

 

夏休みの宿題?…知りませんね…

(退院後にやりました)。

 

そんな感じで、

最初の入院をなんだかんだ楽しんだので

2回目もそんな感じでいっか、という

ある意味1回目よりも気持ちが軽い状態で

入院してました。

 

2回目の記憶はほとんどないんですよね。。

たぶん同じように過ごしていたんでは

ないでしょうか。

 

1回目は

家族や親戚がお見舞いに来たんですけど、

1時間ほど滞在され

一方的に喋ってくのを聞いてるだけで

こっちが疲れたので、

2回目の時は母以外の人には

来なくていい、と言っておいたので

訪問者が少なかった事だけは

記憶してます。

 

ちなみに今回、父親が入院していますが

病院側から、現在

院内感染の恐れもあるという事で断られ、

面会はしていません。

 

入院してる人への面会って

周りの迷惑もあるし

何を話していいか分からないから

行くのも来られるのもなんか苦手です。

なので今回は正直助かった…とか

思ってます。ごめん。

 

話は戻りますが、

足の怪我を何回かやって、

必然的に車椅子や松葉杖を使う事が

多かったのですが、

松葉杖に慣れすぎて

松葉杖で走るとかいう無駄な術を

身に付けた入院生活でもありました。

 

私のは病気ではなく怪我での入院だったので

そこまで大変な記憶はないのですが、

今コロナや

その他大きな病気で入院されてる方は

こんなんとは比べものにならないくらい

とても大変な思いをされていると思います。

皆様が健康に、

元気になりますよう

お祈り申し上げて

今回の締めとさせていただきます。

 

また医療関係者の方も

連日大変だとは思いますが、

どうかお身体お気を付けて

頑張ってください。

 

私の入院生活でも、

私の担当をして下さった担当医さんや

看護師さんには

感謝してもしきれません。

ありがとうございます。

 

そんな訳で、

皆さん健康に気を付けて

元気に過ごしましょう。

 

以上、

自分も就活とかでいろいろヤバいのに

他人の心配ばっかしてしまうような

桃亀でした。

 

スピッツアルバム研究11「花鳥風月」

こんにちは。

桃亀改めandです。

 

スピッツのアルバムを聞いて

個人的な解釈も含めた感想文を

ダラダラ書いています。

 

また随分間が開いてしまいました。

なんと今日、3/25は

スピッツのデビュー記念日です。

29周年。おめでとうございます。

 

つまり最初のアルバム研究から

1年が経過してしまいました。

1年かけてもまだ半分もいっていない…

頑張ります。

 

初回、デビューアルバム「スピッツ」を

聞いて書いたものはこちらから。

https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/03/25/100001

 

そして前回、

99ep」を聞いて書いた感想文は

こちらから。

https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/11/19/083004

 

 

今回は、

これまでのシングルのカップリング(B面)

と新曲、

さらにインディーズ時代の曲を収録した

スペシャルアルバム、

「花鳥風月」を聞いていこうと思います。

 

タイトル通り、

全体的に和風テイストのデザインの

ジャケットやブックレットが

個人的にはツボですが、

この「花鳥風月」というタイトルは、

スピッツの曲には花も鳥も風も月も

よく登場するという由来がある

というのも納得して

とても良いです。

ちなみに仮タイトルは「裏街道」。

 

リリースされた1999年前後は、

人気アーティストの

ベスト盤ブームだった事から、

天邪鬼スピッツ

だったらこっちは日の目を見ない

B面曲や未発表の曲たちに光を当てよう

と考え、

このアルバムを発表しました。

 

このアルバムがリリースされた

当時のインタビューでは、

メンバーは

スピッツのベスト盤は

解散するまで出さない」 とまで

宣言してしまいます。

 

このあと、

この発言がスピッツ最大の事件に

繋がる事になるとはまだ誰も知らず…

 

その話は一旦置いといて、

さっそく聞いていきたいと思います。

 

1999年3月25日release

花鳥風月


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収録曲

  1. 流れ星
  2. 愛のしるし
  3. スピカ
  4. 旅人
  5. 俺のすべて
  6. 猫になりたい
  7. 心の底から
  8. マーメイド
  9. コスモス
  10. 野生のチューリップ
  11. 鳥になって
  12. おっぱい
  13. トゲトゲの木

 

 

1.流れ星

https://youtu.be/ES_nVKx9ZIk

 

原曲は、

作詞作曲を担当する

ボーカルの草野さんが

高校生の頃に作った曲で、

インディーズ時代から

ライブでは披露されてきましたが、

そのままスピッツがリリース

するのではなく、

辺見えみりさんへの楽曲提供として

リリースされました。

 

なので今回収録されたものは、

セルフカバーという名目になるようです。

 

後に20thシングルとして

スピッツもリリースする事になります。

ちなみに、

スピッツにとってはこれが最後の

8㎝ CDとしてのリリースになります。

 

さっそく聞いていきます。

 

ゆったりとしたメロディが、

暗くて広い宇宙を浮かんでいるような

イメージを抱きます。

 

MVでは、

実際に草野さんが宇宙服を着てて

なかなかシュール…()な

映像になってます。

 

それでは歌詞を見ていきます。

 

僕にしか見えない

地図を拡げて独りで見てた

目を上げた時にはもう

太陽は沈んでいた

造りかけの大きな街は

七色のケムリの中

解らない君の言葉

包み紙から取り出している

流れ星流れ星 すぐに消えちゃう君が好きで

流れ星流れ星 本当の神様が

同じ顔で僕の窓辺に現れても

 

ストレートな愛を抱いた歌かと思いきや、

どこか孤独で、毒のある世界観が

広がる歌のように感じます。

 

「僕にしか見えない地図を

拡げて独りで見てた」、は

自分の中で浮かべていた妄想、

子供の頃から抱いていた夢や理想

のようなものを

イメージしました。

 

改めてそれを独りで見て、

ふと目線を上げた先の空は、

太陽が沈んで夜を迎えていました。

 

自分だけの気持ちで記した地図の

造りかけの大きな街は、

美しくも不思議で、

はっきりとは浮かばないように

七色のケムリに包まれています。

 

“君”から託された、

包み紙にくるまれた「解らない言葉」を

思い出して、

ケムリに包まれた造りかけの街の夜を

迎えています。

 

つまり、抱いていた自分の理想が

君、相手に伝わらず、

相手から放たれた言葉もまた

自分には理解が出来ない、

お互いに気持ちがすれ違っている状況である

事が読み取れます。

 

それでも曇った心で見上げた夜空は

美しくて、

すぐに自分の元から離れて

消えてしまいそうな儚い君と

流れ星を重ね合わせて、

改めて相手への気持ちを想う、

という描写に繋がっていきます。

 

「本当の神様」は

どこかでは理解している、理性のようなもの

をイメージしました。

 

離れていく君にまだ想いを抱く

夢見がちな自分に、

自分のもうひとつの心理、理性が

傍に現れて諭したとしても、

流れ星のような儚い君への想いは

変わらないだろう、と思うのです。

 

 

君の心の中に棲む

ムカデにかみつかれた日

ひからびかけていた僕の

明日が見えた気がした

誰かを憎んでたことも

何かに怯えてたことも

全部かすんじゃうくらいの

静かな夜に浮かんでいたい

流れ星流れ星 すぐに消えちゃう君が好きで

流れ星流れ星 本当の神様が

同じ顔で僕の窓辺に現れても

 

1番よりも半音上がり、

それだけでも前半より前向きというか

世界観がガラッと変わった印象です。

 

包み紙にくるまれた君の言葉を

取り出してみると、

その言葉はまるで

毒を持つムカデのような

威力を持っていました。

 

噛み付かれた瞬間、

抱いていた夢の世界、

実は干からびそうな世界に

明日が見えたような気を感じます。

 

取り出す前は「解らない」言葉だった

それは、

実は自分にとって革命的な、

思い込んでいた固定概念や夢の世界を

一新させるものだったのです。

 

自分の世界に閉じ籠っていた頃は

正体の分からない、

ただ漠然とした存在を

憎んだり怯えていた事もあり、

君に対しても

素直になれなかったりしたのでしょう。

 

そんな君が、

自分の概念を変えてくれる言葉を

贈ってくれた事で、

これまで持っていたもの全てが

霞んでしまうような

気がしたのです。

 

そんな霞んだ世界で、

流れ星のように儚くて美しい君と

また共に浮かんでいたいと思っています。

 

離れて消えてしまってもまだ、

僕にとっては君は

大切な存在であることは

変わらないようです。

 

理性である「本当の神様」がまた現れても、

君への想いは変わらず、

ある意味前向きに

君と向き合えるはずだと、

今度は確信を持っているようです。

 

ファンタジーの世界観に毒を盛る

曲の作り方は、

初期から現在まで変わらない

スタイルですね。

 

 

2.愛のしるし

https://youtu.be/7awhzclrBMc

 

こちらは、

1998年にPUFFに提供された楽曲の

セルフカバーになります。

 

PUFF版が割とヒットしたので、

そっちの方が知ってるという方も

いるかもしれません。

 

PUFF「愛のしるし

https://youtu.be/i0wWgX9Xg8I

 

スピッツ版ではバンドアレンジで

スピッツらしさを出しますが、

MVではメンバーたちが

サラリーマン、医者、警察官、学生など

様々なコスプレをするなど

遊び心もあるカバーになっています。

 

そんなスピッツによってカバーされた

この曲も

さっそく聞いていきます。

 

ベースのイントロから始まり、

リズムは原曲とさほど変わらないものの、

ポップで弾むようなリズムが続きます。

 

軽快さはあるけれどそこまで激しくなく、

丁寧にベース、ドラム、ギターと

入ってくるところに、

バンドアレンジだからこその

こだわりを感じられます。

 

歌詞は、

元々女性が歌う事を想定され、

後に自分達(男性)が歌うという事もあり、

男性目線でも女性目線でも

解釈可能になっています。

 

しかし、

歌う人が違うとこうも感じ方が違うのか…

と驚愕します。

 

なんとなく、

PUFFが歌うと

毒もあるけどキュートな雰囲気、

スピッツが歌うと

色気も感じる妖しい雰囲気に。。

 

そんな歌詞を見ていきます。

 

ヤワなハートがしびれる

ここちよい針のシゲキ

理由もないのに輝く

それだけが愛のしるし

いつかあなたにはすべて打ち明けよう

少し強くなるために壊れたボートで一人

漕いで行く

夢の中でもわかる

めくるめく夜の不思議

 

「ヤワなハートがしびれる

心地よい針のシゲキ」は、

第一印象としては、

弱った人の心に漬け込む、

麻薬の注射針のイメージでした。

 

もしくは、純粋に

恋する相手に出会った瞬間、

といった感じでしょうか。

ビビビッと来た、みたいな。

 

純粋に恋の歌とすれば、

相手に対してビビビッと来たという

直感的な感情がある、

それだけでも愛のしるしとして

認定される、となります。

 

今まで他人には

あまり見せてこなかった秘密も

いつかはちゃんと相手に伝えるから、

その勇気を持つ強さを身につけるため、

今は片想いの最中で

一人で進んでみようと思っている、

といった感じでしょうか。

 

一方で、

違法なクスリ的な意味でのシゲキだと

解釈すると、

おそらく恋人に勧められて試したクスリは

自分にとっては刺激的で、

微かに残る注射の後は、

勧めてきた恋人とお揃いで、

形として愛のしるしが生まれた

という感じになります。

 

いつかちゃんと本当の気持ち、

本当は止めたいという思いを

打ち明けたいと思いつつ、

でもまだ言い出せる勇気がないから、

その強さを身につけるために

一人でもがき続けます。

 

恋人に愛という言葉で口封じされて

言われるがまま、

ひっそりとした夜に

夢を見るような世界、

クスリで見る幻想に連れていかれている

ような描写になります。

 

個人的な考えとしては、

前者が男性目線、つまりスピッツ版、

後者が女性目線、つまりPUFF版、

というイメージです。

 

 

ただの思い出と風が囁いても

嬉し泣きの宝物

何でもありそうな国でただひとつ

ヤワなハートがしびれる

ここちよい針のシゲキ

理由もなく輝く

それだけが愛のしるし

それだけが愛のしるし

それだけで愛のしるし

 

こちらでも二通りの解釈を

してみたいと思います。

 

純粋な男性目線の恋の歌、とすると。

 

直感的に恋に落ちた相手と

触れあっていく中で、

相手から贈られた

ちょっとしたアクションでも、

自分にとっては

嬉し泣きするほどの宝物のような輝きを

しています。

 

吹く風、つまり周りの声は

そんなのはただの思い出の一つで、

いつかは忘れてしまうものだと指摘しても、

恋する自分からしたら

永遠に忘れられない大切なものとして

ずっと大切に心に留めていたいと思います。

 

形としての美しいものなんか

ありふれている、

なんでもありそうなこの国で、

自分にとってはただひとつ、

君に贈られた言葉や仕種が

一番美しく輝く存在で、

気弱な自分の心をつき動かす刺激であり、

それこそが愛のしるしだと

思っているのです。

 

一方で、恋人に流されてクスリに手をつけた

女性目線で解釈すると。

 

一度きりだよ、ただの思い出づくりだよと

甘い言葉で囁かれ試したクスリは、

今では自分にとって

欠かせない存在となってしまい、

嬉し泣きするような狂った思考で

それを求めてしまう自分がいる、

という描写になります。

 

他に救いになりそうなものなんて、

なんでもあるこの国には

たくさんありそうなのに、

その中でわざわざただこれひとつを

選択してしまったのには、

やはり救いになるだけではなく、

恋人と自分を繋ぐものという意識が

強いからではないかと

錯覚するのです。

 

ただこれだけが

今、恋人と自分を繋ぐ

愛のしるし」だと

思い込んでしまうことで、

なかなか抜け出せずに狂っていく

様を感じられました。

 

男性目線だと、奥手な男性の

純粋な片想いの歌、

女性目線だと、ヤベェ恋人関係の歌

という風に解釈できる、

歌い手による印象付けも

曲の意味を左右するのだと感じられる、

不思議で魅力的な曲になっています。

 

 

3.スピカ

https://youtu.be/skTm1_kwR8w

 

19thシングルとして、「楓」

(アルバム、フェイクファー収録

https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/11/15/130731

との両A面でリリースされていました。

 

その前に両A面シングルとして

リリースされていた「謝々!」

(アルバム、フェイクファー収録)同様、

「ですます」の丁寧語が使われている歌詞が

特徴的です。

 

楓同様ファンの間では人気曲となっている

この曲も、

さっそく聞いていきます。

 

ギターの歪んだ音から始まるイントロは、

激しくはないものの

しっかりとバンドの音が鳴り響き、

何かが始まりそうなワクワク感も

感じられます。

 

続く歌詞を見ていきます。

 

この坂道もそろそろピークで

バカらしい嘘も消え去りそうです

やがて来る大好きな季節を思い描いてたら

ちょうどいい頃に素敵なコードで

物凄い高さに届きそうです

言葉より触れ合い求めて

突き進む君へ

粉のように飛び出す

せつないときめきです

今だけは逃げないで

君を見つめてよう

やたらマジメな夜

なぜだか泣きそうになる

幸せは途切れながらも続くのです

 

この曲は、フェイクファーの収録時、

1997年に作られたという事を考慮すると、

1997年は、

ちょうどスピッツというバンドが

結成されて10年目を迎えています。

 

なので、

パッと見は素敵な恋の歌のようにも

感じられますが、

実はスピッツというバンドに対しての

気持ちも

込められているのではないかとも

考えられます。

 

そう考えると、最初の一文

「この坂道もそろそろピークで

バカらしい嘘も消え去りそうです」は、

当時大ヒットを起こして

その後続く状態もそろそろピークかな、と

客観的に自分達を捉えているようにも

感じられます。

 

そして、

「やがて来る大好きな季節」は、

本人たちが望んでいた、

そこそこ売れて

でもヒットしずきない、騒がれない

時期が近づいている、という意味に

なります。

 

そんな、

そろそろやってくるであろう

「ちょうどいい頃」、

また生み出される「素敵なコード」で、

ピークに差し掛かっている坂道の

「ものすごい高さ」に届きそうになります。

おそらくもう落ち着いただろって頃に

また話題になった、

♪楓 とかの事だと思います

(楓はシングルとしては

この曲と同時リリースなので別の曲かも)。

 

「言葉より触れ合い求めて突き進む君」は、

触れ合い=ライブ というイメージで、

ライブに足を運んでくれるファンの事を

指しているのでは、と解釈しました。

 

言葉=シングルやアルバムとして出す曲 も

大事で、

CDを買って聞いてくれるだけでも

いいけれど、

やっぱりライブ活動をメインに

行なってきたバンドなので、

ライブに足を運んでくれるファンが

一番大事で、

そんなファンの一人である君、

つまり聞いている私たち一人一人に対して

送る、決意の曲である

という意思を感じました。

 

「粉のように飛び出すせつないときめき」は

ライブでステージ側から見た観客、

わっと盛り上がる様を

「粉のようにぶわっと飛び出す」様子と

重ね合わせて、

嬉しいような、でも

あくまでバンドとしての自分を

求めているのであって…

そう考えるとちょっと切なくなるような

複雑な“ときめき”、

ライブ中の心境を表現していると

解釈しました。

 

現実を振り返ると何者でもない自分が

ステージに立って、

多くのお客さんに見てもらってる、

自分の曲で盛り上がってくれている。

 

そのギャップから、

今は逃げないで、観客一人一人を

見つめてようと決心します。

 

いつまでもこの状態が続くとは限らない、と

どこか客観的に、冷静に、

やたらマジメになってしまう考えに

泣きたくなる日々を過ごしながらも、

けれどこの「幸せは」、

「途切れながらも続くのです」。

 

それは、

バンドを結成して10年で見てきた景色や

過ごしてきた日々を振り返り、

良くない事や辛い事もあったけど、

こうして多くの人に喜んでもらえる

景色を見る度に

幸せを感じる事が出来ると

確信に変わった事。

 

だからこそ、

こうしてはっきりと、

「幸せは途切れながらも続くのです」と

聞いてくれてる一人一人にも

共有できるように、

触れ合いを求めて突き進む君にも、

あえて「言葉」で伝えるのです。

 

 

はぐれ猿でも調子がいいなら

変わらず明日も笑えそうです

ふり向けば優しさに飢えた

優しげな時代で

夢のはじまりまだ少し甘い味です

割れものは手に持って運べばいいでしょう

古い星の光 僕たちを照らします

世界中何も無かった

それ以外は

 

「はぐれ猿」はまさに

自分たちの事を指していると解釈しました。

 

どこにもないバンドを目指して、

実際、他にはない独自のスタイルで立つ

スピッツというバンドになり、

そうした自分達を自虐的に はぐれ者だと

した上で、

そんな自分達でも「調子がいい」

=多くの人に受け入れてもらえている 時は

嬉しくて、

「変わらず明日も笑えそう」だと

実感します。

 

今までの道のりを振り返ると、

生きている時代は、

災害や事件など様々な事が起きて

人々は「優しさに飢えた」状態にあるけれど

実は自分達を受け入れてくれるような

「優しげな時代」であったと

思い出すのです。

 

新曲を聞いてくれてライブを見てくれる、

そんな「夢の始まり」はまだ、

「少し甘い味」がするような

そんな幸せを噛み締めながら、

「割れもの」=時代の流れによって

離れていくかもしれないファン

を、大切に守りながら、丁寧に

「手に持って運べばいいでしょう」。

 

タイトルである“スピカ”は

新星として存在しているようですが、

ここでは「古い星の光」が

「僕たちを照らします」。

 

照らす「古い星の光」は、

古くから歴史のあるロックという音楽、

自分たちがこうして見てもらえる媒体

そのものを指していると解釈します。

 

ロックという表現方法でしか

自分を見てもらえる媒体はないと

控えめに思いつつも、

それが確実であるという確信も含めて、

そこに頼ってこれからもやっていこうという

決意を感じました。

 

 

南へ向かう風流れる雲に

心の切れはしを託したならば

彼方へ…

 

「南へ向かう風」は、

時代の流れ、流行を指していると

解釈します。

 

雲はここに留まってくれない人々を指し、

流行に流されて離れていく人々にも、

自分たちの「心の切れはし」

=自分たちの気持ち、想いなどを

託して、彼方へ旅立つ人々を送ります。

 

 

粉のように飛び出す

せつないときめきです

今だけは逃げないで

君を見つめてよう

やたらマジメな夜

なぜだか泣きそうになる

幸せは途切れながらも続くのです

続くのです

 

そうして、

離れていく人々を惜しみながらも

今残ってくれて変わらず応援してくれる

ファンから今は逃げないで、

振り返るとやたらマジメになって

泣けてくる夜にも、

それでも確信を持って

「幸せは途切れながらも続くのです」

というメッセージを伝えるために、

歌い続けるのです。

 

結成から10年で、

自分たちの役割を見つけたスピッツは、

新しい星、スピカを見つめて

自分たちが感じてきた想いを

ファン一人一人と共有できるように

これからも活動を続けていくよと

宣言している曲であると

感じました。

 

 

4.旅人

 

14枚目シングル「渚」のカップリング曲。

 

イントロからワクワクするような

ドラムのリズムに、

ロディアスで丁寧な

ギターの音が合わさり、

うねるような低音のベースが

アクセントとなり、

そして象徴的な、伸びやかな高音の歌声。

 

その全てが詰まった、

この時期(1996年)らしく、そして

スピッツらしい一曲だと思います。

 

旅好きを公言する草野さんらしい

「旅立つ人」のイメージの

少し寂しげだけどワクワク感も持って

前に進んで行くという雰囲気を感じられる

歌詞を見ていきます。

 

 

旅人になるなら今なんだ

冷たい夕陽に照らされてのびる影

 

 

いきなり「冷たい夕陽」、「影」という

少し後向きな言葉が並びます。

 

この後に出てくる経緯を辿っていくための

状況説明にもなりながら、

後向きな言葉で表現される心情から

脱するために、

「旅人になるなら今なんだ」という

決心をした、

という現在に辿り着きます。

 

 

やっぱりダメだよ 目を覚ましても

あの瞳

まっ赤なクレパス 塗りつぶしてく

無理矢理に

君を抱きしめて 鼻スリ合わせた

稲妻の季節 甘いランデブー

バッサリ切られて なんでそーなの俺だけが

頭ハジけて雲のベッドでフテ寝して

意地悪に賭けたありあまる魂

飛び過ぎた後の若いカンガルー

旅人になるなら今なんだ

いかつい勇気が粉々になる前に

ありがちな覚悟は嘘だった

冷たい夕陽に照らされてのびる影

 

 

サビ前までは片仮名を使用しながら

言葉遊び、韻を踏み、

決意までの経緯を辿っているように

感じられます。

 

忘れたはずの記憶、「あの瞳」は

目を覚ましてもやっぱり残っていて、

より寂しさを感じてしまう日々が

続いているようです。

 

その忘れたはずの記憶、というのは

君を抱き締めて、鼻をスリ合わせたような

刺激的な「稲妻の季節」、

「甘いランデブー(デート)」。

 

「あの瞳」は君のものであって、

見つめてきた瞳が脳裏に残って

消えない状態である、

つまり君は現在近くにいない、

別れてしまってる状態にあります。

 

寝起きの悪い頭で

無理矢理記憶を消すために

「真っ赤なクレパス」で「塗りつぶしてく」。

 

グシャグシャと力任せに塗っている

イメージで、その行動もまた、

孤独感を漂わせている気がします。

 

そんな事をしながら

「なんでそーなの、俺だけが」

「バッサリ切られて」、と

後悔というよりも理不尽だと怒るような、

自分に対してなのか、

はたまた過去を振り返って、

自分をすぐに捨てるような人たちに対して

なのか、イライラを募らせていきます。

 

そんなイライラで「頭ハジけて」、

「雲のベッド」=現実逃避の場所 で

フテ寝しながら振り返った時に、

そういう人を選んできたのは自分で、

あえて「意地悪に賭けた」のも

自分であると思い出します。

 

ありあまる魂で飛びすぎた、

若気の至り的なものは

「若いカンガルー」と例えて、

そんな自分を客観的に捉える事で

少し落ち着いたのか、

そこでようやく、

この状況から脱するために、

今、旅人になる事を決心していくのです。

 

「いかつい勇気が粉々になる前に」。

 

旅人になる、変わるんだという気持ち、

その勇気は確実なものではなく、

少しの事で揺らいで粉々になって

なくしてしまうかもしれない

ものであるため、

だからこそ、決意した、その今すぐに

旅立つ事にしたのです。

 

「ありがちな覚悟は嘘だった」と、

これまで意地悪に賭けてきた、

自分で責任を持って選んできたその覚悟は

嘘であって、

本当はもういちいち傷付きたくないし、

捨てられたくない、

そんな気持ちに気付いた頃、

旅立つ旅人を冷たい夕陽が照らし、

影を伸ばしていきます。

 

「冷たい夕陽」や「のびる影」は、

まだ脆い勇気を持って

旅立つ旅人、自分に対する皮肉のようなもの

でもあると感じられました。

 

 

ぐったり疲れた

だからどうしたこのままじゃ

ひっそり死ぬまで空を食ってくだけの道

ハリボテの中を のぞき見た時に

いらだちのテコが全てを変える

旅人になるなら今なんだ

いかつい勇気が粉々になる前に

ありがちな覚悟は嘘だった

冷たい夕陽に照らされてのびる影

 

 

いざ少しの勇気を持って旅に出た旅人は、

すぐには変わる事が出来なくて、

いろんな冒険を繰り返して、結局

「ぐったり疲れた」状態になります。

 

でも、「だからどーした」、

「このままじゃ、

ひっそり死ぬまで空を食ってくだけの日々」

だぞ、と

若干冷静に、自分を奮い立たせます。

 

「空を食ってく」=妄想 という

イメージから、

この旅の中で安定したものを求めないと、

もう死ぬまで妄想だけで

終わってしまうのではないか、という

焦りも含めた奮い立たせ方であると

感じられます。

 

そんないらだちを持って

「ハリボテの中をのぞき見た時に」、

その持っている苛立ちのパワーがテコとなり

「全てを変える」事になります。

 

ハリボテ、期待していないものを

あえて手にしてみたら、

自分の今の状況や性格とうまくマッチして

歯車が動き出し、

今が全て変わるような感覚を覚えます。

 

つまり、

ここで運命の人に出会えた、

その瞬間を切り取った表現がされている

という事になります。

 

そういう事もあると

証明できた事によって、

持ってたありがちな覚悟は

嘘だったとしても、今度は大きな声で、

「旅人になるなら今なんだ」と

言えるのです。

 

夕陽はまだ冷ややかに

影を伸ばしてきますが、

最後のは後向きなイメージよりも、

そのマイナスな感情が

後ろから迫ってきていても

今は振り返らず、

見つけた運命の人と共に

新たな旅立ちをする、という

前向きな意味で捉える事ができます。

 

そう解釈すると、

ロディアスに美しく流れるような

ギターの音は、

歌詞に含まれる後ろ向きな感情、

うねるベースの音は旅立つ力強さ、

ドラムは前向きに旅に進めるような、

旅のイメージ、と

音でも歌詞の世界観を広げていると

感じられ、

メンバーが草野さんの作る曲に対して

リスペクトしながら

世界観を一緒に作り上げているんだと

改めて感じられ、

そういった意味でも

とても「スピッツらしい」が詰まった

一曲だと思います。

 

 

5.俺のすべて

 

11枚目シングル「ロビンソン」の

カップリング曲。

単純に考えると

一番売れた曲のカップリング曲なので

一番有名なはず。

そうでもないのか…?

 

レコーディング当時は、

メンバーは「ロビンソン」は地味だから

売れない、

こちらをA面(メイン)に出そうと

考えていたそうです。

 

これまでの曲では、

主語が「僕」が多かったスピッツ

「俺」と言った事が斬新で

盛り上がったようです。

 

もしこの曲がA面だったら、

現在のスピッツとは違った運命を

辿っていたかもしれません。

 

そんな、ある意味運命的なこの曲も

さっそく聞いていきたいと思います。

 

 

燃えるようなアバンチュール

うすい胸を焦がす

これが俺のすべて

 

 

アバンチュールとは、

冒険的な恋、火遊びといった

意味があります。

 

つまり、燃えるような、熱い火遊び的な

恋をして、

薄い自分の胸を焦がすようにしている、

それが「俺のすべて」であると

言い切って歌い出します。

 

薄い胸=熱い恋をするのには

似合わないような、

軟弱そうな見た目でだけど、

強がってを出している、

他人から見たらちょっとダサいと

思えてしまうようなその姿を

あえてさらけ出して、

これが「俺のすべて」だ、と

言っているように感じられます。

 

 

歩き疲れて

へたりこんだら崖っぷち

微笑むように白い野菊が咲いていた

心のひだに はさんだものは

隠さなくてもいいと

河のまん中 光る魚が

おどけるようにはじけてる

燃えるようなアバンチュール

うすい胸を焦がす

そして今日も沈む

夕日を背にうけて

 

 

ライブではギターを弾きながら歌う

ボーカルの草野さんが、

珍しくギターを置いて

タンバリンを鳴らしながら歌うのが

この曲の特徴です。

 

アクション的な意味でも楽しいし

こちらも熱くなるほど盛り上がります。

 

歌詞に戻ります。

 

軟弱そうな見た目で、

今でいう陰キャ的な男性を想定します。

 

人づきあいや諸々の、

普段の生活に疲れて、そこで

へたりこんでしまったら

また周りにバカにされるのではないか、

また崖っぷちに立たされて

蹴落とされるのではないかといった

漠然とした不安を抱いていると、

そこに微笑むように白い野菊が

咲いていたのを見つけます。

 

「白い野菊」は

後に熱い恋に落ちる人、

恋人であると思います。

 

その恋人の前では、

気負いすぎて疲れてしまうほどに、

普段の生活では隠してきた

「心のひだにはさんだもの」を

「隠さなくてもいい」と、

全てを晒け出せるという

信頼を寄せます。

 

全てを曝け出したら、

「河のまん中」

= 自分の中で中心となるもの、

今現在でいうところでは、

恋をする事に重きを置いた脳内を

表現したとイメージ、で

「光る魚」

= 自分の中でただひとつ光り輝くもの、

脳内で発信されるひとつの感情、が

「おどけるようにはじけてる」状態に

なります。

 

信頼する恋人に対し、

自分の全てを曝け出して、

自分の守ってきた理性なども

想像しなかったほどに、

その人に向ける恋心が

自分の中心となって、

その感情に逆らわずに

まっすぐと突き進んでいく、という

勢いがある状態です。

 

そしてそんな

「燃えるようなアバンチュール」で

「うすい胸を焦がす」自分は、

「今日も沈む夕陽を背にうけて」

誇らしくこの場に立っています。

 

普段は情けない姿をしているが、

恋人に絶対的な信頼を寄せて

抱いた恋心に従って

熱い恋をしている自分、それが

「俺のすべて」だと、

今胸を張ってここに宣言しているのです。

 

 

俺の前世はたぶん詐欺師かまじない師

たぐりよせれば

どいつも似たような顔ばかり

でかいパズルのあちらこちらに

描きこまれたルール

消えかけたキズ かきむしるほど

おろかな恋に溺れたら

燃えるようなアバンチュール

足の指もさわぐ

真夏よりも暑く淡い夢の中で

 

情けない姿をしながら

燃えるような熱い恋をしている自分は、

いわゆるギャップ的なものの

降り幅が凄くあり、

それを客観的に見て

自虐的に、「俺の前世は

たぶん詐欺師かまじない師」だ と

苦笑いしながら振り返っています。

 

熱い恋をして強気になっている状態で、

漠然とした不安を抱いていた頃に

恐れていた、周りの人たちは

実は「たぐりよせれば

どいつも似たような顔ばかり」だと

気づきます。

 

似たような顔ばかりの人たちは、

でかいパズルのピースのようなもの、とまで

思えるようになったものの、

そのパズルのあちらこちらに

描き込まれたルールに

また翻弄されていきます。

 

ここでいう「パズル」とは、

世間一般の常識や仲間内でのやり方、

自分が属している世界を表現していて、

人々はそのでかいパズルのピースだと

思えても、

重なったひとつのパズル

= 属する世界 には、

こうしなければいけない、といった

暗黙のルールが描き込まれている、

という解釈をしました。

 

それを再び目にすると、

強気になれた気がしていても

やはり怖気づいて、

消えかけていたキズをかきむしるような

感覚になっていきます。

 

そこで、

信頼を置く恋人の存在を思い出し、

自分はあえて、

属する世界の暗黙のルールを無視した、

「愚かな恋に溺れ」ていくのです。

 

そして今日も、

「足の指もさわぐ」ような、

「真夏よりも暑い」、愚かな恋で

淡い夢の中へ落ちていきます。

 

自分の全てを捧げるように

熱い恋に溺れるのには、

暗黙のルールが存在する世界から

逃げるためでもあるのかもしれません。

 

 

何も知らないおまえと

ふれてるだけのキスをする

それだけで話は終わる

溶けて流れてく

 

 

そんな「俺」の現実逃避のため、だとかは

何も知らない「おまえ」。

恋人は、自分と恋に落ちている人が

自分以外の人の前では

とても弱い存在である事など知らないで、

純粋に好きでいてくれている。

 

だからこそ、「俺」は

ふれてるだけのキスをして、

それだけで充分熱い恋に

「おまえ」と落ちていき、

心を溶かして

二人で恋に流されていくのです。

 

いやー、えっちだ!←

 

このあと

しばらく間奏が続き、

盛り上がりが最高潮になる頃

一旦全ての演奏が止まり、

数秒の静寂が訪れます。

 

こうした音による焦らしテクで

こちらの気持ちもウズウズします。

 

そしてまた歌が始まり、

抑えられた興奮が爆発するように

盛り上がるのがたまんないですね。

 

 

燃えるようなアバンチュール

うすい胸を焦がす

そして今日も沈む

夕日を背にうけて

山のようなジャンクフーズ

石の部屋で眠る

残りものさぐる

これが俺のすべて

 

立場の弱い現実から逃避するように

似合わない姿で

燃えるような熱い恋をして、

それを誇らしく胸を張って宣言しています。

 

また、自分が逃避している世界の者が好む、「山のようなジャンクフーズ」に

すぐに飛び付くことなく

一旦冷たくて硬い「石の部屋」で眠り、

皆が去った後に

その山のようなジャンクフーズの中から

「残りものさぐる」ような、

控え目と貪欲の間のような

複雑な心を持ち続けている自分も

そこにはいます。

 

そんな心を持ちながら

「おまえ」と「淡い夢」を見続けている、

それが「俺のすべて」だと、

はっきり言い切るのです。

 

普段 歌詞では「俺」を使わない

スピッツの楽曲で、

あえて一人称が「俺」の曲は、

実は限りなく草野さんそのものに近いの

ではないのかな、と感じられます。

 

 

6.猫になりたい

 

9枚目シングル「青い車」の

カップリング曲。

 

こちらも直前まで

A面で出そうとしていたらしく、

シングルのジャケットも

それを想定して

猫がモチーフのオブジェが

デザインされています。

 

切ないメロディに

「猫になりたい」という

大胆なタイトルなどが人気で、

ファンの間でも

不動の人気を誇っています。

 

さっそく聞いていきます。

 

どこか寂しげで、

でも暗い夜にポッとひとつ

小さな光を灯しているようにも

感じられるバンドサウンドが続き、

それが歌詞にもリンクしています。

 

そんな歌詞を見ていきます。

 

 

灯りを消したまま話を続けたら

ガラスの向こう側で星がひとつ消えた

からまわりしながら通りを駆け抜けて

砕けるその時は君の名前だけ呼ぶよ

広すぎる霊園のそばの

このアパートは薄ぐもり

暖かい幻を見てた

猫になりたい 君の腕の中

寂しい夜が終わるまでここにいたいよ

猫になりたい 言葉ははかない

消えないようにキズつけてあげるよ

 

暗くて寂しい夜の情景が、

音からも歌詞からも伝わってきます。

 

部屋の灯りも消したまま、

寂しくて電話とかしながら

ふと窓の外を見ると、

さっきまでは見えていた

ひとつの小さな星さえも消えてしまい。

 

寂しさを紛らせようとした結果、

より寂しくなってしまった

という心情が、

情景描写で見事に描かれています。

 

そんな「からまわり」=電話の先の君 と

すれ違い、

心にスキマが出来た状態で

それでも「通りを駆け抜けて」いきます。

 

どうもすれ違ってばかりだけど、

まだ別れとまではいっていない、

限りなくそれに近い状態でもがいている、

というイメージです。

 

「広すぎる霊園の側のこのアパート」も

妙に寂しさを感じられる場所です。

 

実際に本当にアパートの近くに

霊園があるのか、

それとも何かを「広すぎる霊園」と

例えているのかは

定かではありません。

が、個人的には後者だと解釈しています。

 

一人で灯りもつけないでいる時に、

どうもこの空間だけが

世界から切り取られているような

感覚になる事があります。

 

おそらくそういった、

日常から切り離されていて

自分だけが浮いているような、

周りは死者を祀る「広すぎる霊園」の

ようなものに囲まれていて、

生きているのか死んでいるのかも

分からなくなるほど、

孤独で寂しい状態である、と

解釈しました。

 

そんな切り取られた空間の頭上は、

微かに見えていた星も消えてしまった

「薄ぐもり」。

光のない夜の中で、

寂しさを紛らせるためにした電話

(話を続ける行為)。

そこでひとつ、「暖かい幻」を見ます。

 

それは「猫になりたい」。

 

猫になって、

この寂しい夜が終わるまで

「君の腕の中」にいたい、という

妄想でした。

 

素直に甘えられて、

ずっと君のそばにいられる存在になれば、

自分も相手も

寂しさを感じる事なく

幸せに過ごせるのにな、と

寂しい夜に一人で考えます。

 

理想と現実が真逆なのが、

より寂しさに拍車をかけている

気もします。

 

「猫になりたい」と口に出してみても、

灯りも灯さないで一人でいる部屋で

こだまして、

一人寂しい自分に返ってくるだけ。

叶わない気持ちを口にしても

「言葉ははかない」と感じるのみ。

 

だから、別々になっても

それぞれを感じられるように、

寂しくならないように、

「消えないようにキズつけてあげるよ」と

言ってみるのです。

 

 

目を閉じて浮かべた

密やかな逃げ場所は

シチリアの浜辺の絵ハガキとよく似てた

砂ぼこりにまみれて歩く

街は季節を嫌ってる

つくられた安らぎを捨てて

猫になりたい 君の腕の中

寂しい夜が終わるまでここにいたいよ

猫になりたい 言葉ははかない

消えないようにキズつけてあげるよ

 

「目を閉じて浮かべた密やかな逃げ場所」は

まさに、うまくいかない、

すれ違ったままの状態から

逃避するために浮かべる

妄想の世界です。

 

そこは、「シチリアの浜辺の絵ハガキ

よく似ていた」世界。

静かで落ち着いた楽園、

安定して幸せな世界を

表現したものだと思われます。

 

そんな妄想の世界に対して、

現実では、

「砂ぼこりにまみれて歩く」自分を、

「街は嫌っている」。

 

うまくいかず空回りしている自分の

今の状態、「季節」を、

街 = 周りの人々や現実世界の皆が

指を指してバカにするような

惨めな気持ちを背負い続けています。

 

そんな中で

愛しているはずの君からも逃げ続けて、

一人でいる事が「作られた安らぎ」

だとしたら、

さすがに癒えるどころか

潰れてしまいそうになります。

 

だけど妙なプライドが邪魔をして、

今更君にいきなり甘える事も出来ない。

 

だから、

プライドも含まれたこの「作られた安らぎ」

を全部捨てて、

猫になってずっと君のそばにいたい、と

妄想の中だけで言ってみるのです。

 

だけどそれは

あくまで妄想の中だけで

完結してしまっていて、

実際に寂しさを取り除けた訳ではないので、

猫にはなれないけれど

猫がひっかくように、

痛みの中に愛しさも感じるような、

消えないキズをつけていきます。

 

 

猫になりたい 君の腕の中

寂しい夜が終わるまでここにいたいよ

猫になりたい 言葉ははかない

消えないようにキズつけてあげるよ

 

皮肉なもので、

自分を傷付けてきた人というのは

憎しみの対象として

記憶からなかなか消えないものです。

 

ここでの消えないようなキズは、

視覚的な傷あとだけではなく、

憎しみの対象として

君の記憶から自分が消えないように

君自身の心を傷つける、という意味合いも

込められているのかもしれません。

 

寂しさから空回って、

あえて残酷な方法で

君の側にいたいと考えつつも、

実行する勇気が持てないままの

弱い自分を例えて、

「猫」という一見可愛らしいもので

誤魔化しているようにも感じられます。

 

歌っているバンドはスピッツ(犬)なのに

曲名は「猫になりたい」というのも

皮肉が効いてていいですね。

 

 

7.心の底から

 

6枚目シングル「裸のままで」の

カップリング曲。

 

この当時はとにかく売れたい一心で、

ヒットしていた曲を参考に

売れ線な曲を作る事を

目標としていた時期に作られました。

なので歌詞もストレート。

 

ただ、「裸のままで」同様、

いきなりこれまでの方向性とは違う

曲が来た事でメンバーも困惑し、

ライブでは1回しか披露していない上に

ファンの反応もそんなに良くなかった、

という

何とも可哀想な曲になってしまいました。

 

そんな曲たちに光を当てるための

このアルバムです。

少しでも救われてたらいいですね。

さっそく聞いていきましょう。

 

口笛と共にポップなリズムとメロディが、

なんか陽気で、

「裸のままで」や、

アルバム「Crispy!」の雰囲気を

彷彿とさせます。

 

トランペットや

チャリチャリした賑やかな音の中にも

地に足をつけて進むような

ベースの音がしっかりあることで、

J-POPになりすぎない、

ロックバンドの音楽である事が

感じられます。

 

それでも歌詞や

全体的な曲の雰囲気としては、

迷走してる(?)、

ある意味スピッツらしくない言葉が

並んでいます。

さっそく見ていきましょう。

 

いつもより無邪気に腕ふり風を切り

ひと握りくらいの疲れをバネにして

すすめ!まだまだ

明日をあきらめないで

きっとどこかで窓を開けて待ってる

心の底から愛してる

今でも奇跡を信じてる

天使のパワーで悪魔のパワーで

取り戻せありふれたストーリー

 

売れ線狙った

明るい感じを目指しつつも、

どこか後向きというか

ネガティブな要素を感じられるのが

スピッツスタイル。

 

基本的にはあまり深く読まなくても、

歌詞の通りだと思うのですが、

「いつもより無邪気に腕ふり風を切り」、「ひと握りくらいの疲れをバネにして

すすめ!」など、

どこか本当は疲れや不安などを感じながら、

それを糧にするというよりも

そんなものは今は存在してないと

無理やり思い込んで

前向きに進んでいるように

見せかけているのではないか?と

感じてしまう要素が

散りばめられています。

 

「明日をあきらめないで」

「きっとどこかで窓を開けて待ってる」

と、

疲れや不安を抱えている自分に、

他人が投げ掛けた、

ある意味無責任な言葉たち。

 

それらを今は

自分の中で響かせながら、

「心の底から愛してる」、

「今でも奇跡を信じてる」、と

絶望の世界

無責任に投げ掛けてみてるように

感じてしまいます。

 

「天使のパワー」や

「悪魔のパワー」といった、

現実には存在していないけれど

そんな現実離れした力は、

無責任に投げ掛けられた言葉たちと

同じようなもので、

そんな力もなさそうなものを

今は信じてみて、

せめて「ありふれたストーリー」を

「取り戻す」ために

前に進んでいこうとしています。

 

どうしても無理してる背景を知ってしまうと

特に深い意味がないとしても

深読みしてしまいますね。

たぶんもっと純粋に聞いていい曲のはず。。

 

 

陽の光まぶたに受けて真赤な海で

金縛りみたいにごろごろもがいてる

とばせ!魂を高い柵の向こうまで

白い小さな花になるいつかは

心の底から愛してる

世界の終わりがもう見える

銀河のシャワーをバベルのタワーで

吸い込め涙のグローリー」

 

 

後半からなんというか、

本性表してきたな、という感じが

するんですが。

 

「真赤な海」=血の海 的なものを

真っ先に思い浮かべました。

 

前半で向けられた、

ある意味無責任な、一見したら前向きな

言葉たちに背中を押されて

進んだ方向が、

一般的に想像していたところに

行ってくれないのが

初期のスピッツあるあるです。

 

「陽の光をまぶたに受けて」、

清々しい気持ちを迎えながら

「金縛りみたいにごろごろもがいてる」。

抗えない硬直に

少し抗ってみているようなイメージです。

 

ここから、

何となく死の雰囲気を漂わせている予感と、

それは自分自身に向けられている

のではないかと考えられます。

 

背中を押されて向かった先は

死の世界だったのです。

 

「とばせ!魂を高い柵の向こうまで」と

高い柵=生死の境目、

今いる生の向こう側、つまり死の世界に

自分の魂を勢いよく飛ばしています。

 

「白い小さな花」=死者 の

全てから解放されて

美しい姿を現したもの、

に「いつかはなる」と

そこを目指して

生死の高い柵を越えようとします。

 

自分自身が

「心の底から愛してる」ものは、

死の世界や死者として

美しい姿になる事

だったのかもしれません。

 

そうした「世界の終わり」が

もう目の前に現れて、

それは自分にとっては救いになるような、

「銀河のシャワー」を浴びているような

感覚なのです。

 

「バベルのタワー」=バベルの塔

旧約聖書の「創世記」中に登場する

巨大な塔)は、

実現不可能な、天に届く塔を

建設しようとして、

崩れてしまったといわれる事にちなんで、

空想的で実現不可能な計画を

比喩的に表現する際に使われる

言葉ともされています。

 

そんな、死に向かうような

ある意味空想的な世界で

「銀河のシャワー」を浴びて

吸い込むのは「涙のグローリー」。

 

グローリーとは、

英語で「栄光」を意味します。

 

悲しいような、情けないような、

けれどこれが自分自身であると、

その称号を勝ち取ったかのように

むしろ誇らしくいられて、

前向きに死の世界に向かっていっている

ようです。

 

そして、

ギターソロのパートが間奏に存在して、

歌詞や曲はどうしてもJ-POPというか、

ポップな曲を目指しつつも少し主張しようとしてる感があります。

 

 

「すすめ!まだまだ

明日をあきらめないで

きっとどこかで窓を開けて待ってる

心の底から愛してる

今でも奇跡を信じてる

天使のパワーで悪魔のパワーで

取り戻せありふれたストーリー

 

そして、

前半では他人から無責任に投げ掛けられた

前向きな言葉たちを

あえて響かせて自分も無理やり

前を向かせられている、と

解釈したフレーズを、

死の世界へ向かうための糧とした

経緯を辿ってから再び聞くと、

より皮肉的に響いてしまいます。

 

純粋な明るいものを求めても、

やっぱり毒を効かせてくるあたりが

スピッツだなぁと感じられる一曲です。

 

 

8.マーメイド

 

4枚目シングル「惑星のかけら」の

カップリング曲。

 

アルバム「惑星のかけら」

https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/08/06/142203)に収録するのを、

これか「波のり」かで迷っていて、

結局収録されないという事で

カップリング曲となりました。

 

「惑星のかけら」というアルバムは、

どこか重めのロックを前面に出していて

素直ではない感じのテーマだったので、

この曲の素直な感じが

合わなかったといいます。

 

そんなこの曲もさっそく聞いていきます。

 

イントロからポップで爽やかな印象を

与えます。

言われると「波のり」の雰囲気に

ちょっと似てるかも?

 

ところどころに歪んだギターや

着実なベースが

刻むように響くのが

アクセントとなっています。

 

歌詞を見ていきます。

 

 

どうもありがとうミス・マーメイド

甘い日々を

カラカラだった魂に水かけて

不死身のパワーを僕に注ぎ込んだ

はぐれたボートの上

優しくなった世界の真ん中で

君の胸に耳あてて聴いた音

生まれた意味を見つけたよひとつだけ

潮風に吹かれて

サマービーチ・お魚・白い雲

素敵な想い出ずっと忘れないよ

いつまでも

 

ひと夏の思い出を歌ったような歌詞です。

 

アルバム「惑星のかけら」では

死による生命の巡りや神秘などが

語られる曲が多いという印象でしたが、

こちらも、ひと夏の恋の中で

生命力を感じる事ができます。

 

この頃のスピッツの歌詞には

「母性」がテーマになっているものが

結構ある気がします。

 

「僕」とひと夏の恋をした

「ミス・マーメイド」は、

僕自身にも生きる勇気を与え、

そして次に生まれる命にも

力を与えたように感じられます。

 

 

どうもありがとうミス・マーメイド

愛の日々を

短く暑い夏の蜃気楼

すくすく育てばいつかは食べられる

ぼやけたフルーツの夢

サマービーチ・お魚・白い雲

素敵な想い出ずっと忘れないよ

いつまでも

 

 

「すくすく育てばいつかは食べられる

ぼやけたフルーツの夢」、

この「フルーツ」こそが、

僕とミス・マーメイドの間に出来た

新たな命であると考えられます。

 

今はまだ

ぼやけた夢のような存在だけど、

ひと夏の恋の間で育んだ

「愛の日々」のように

この命も愛していき、

すくすく育てば

いつかは食べられる立派な実となるだろう

という意味が込められてると

思います。

 

エロというより

その先の生命力を強く感じる、

「タイムトラベラー」

(アルバム「Crispy!」収録)的な曲だ

という解釈をしました。

 

 

サマービーチ・お魚・白い雲

素敵な想い出ずっと忘れないよ

いつまでも

ずっとずっといつまでも

 

 

ひと夏の恋で生まれた愛情、

そして生命力をずっと忘れずに、

次に繋げていくという曲だと

感じられました。

 

これはあんまりひねくれずに

捉えていい曲なのではないでしょうか。

 

草野さんの甘いけれど儚い感じの若い声が

真夏の倦怠感を漂わせていて

より南国の雰囲気を醸しています。

 

 

9.コスモス

 

5枚目シングル「日なたの窓に憧れて」の

カップリング曲。

 

この曲は何と1回もライブで

披露されていないという

もっと可哀想な曲。

 

確かに、どこか暗めで

ライブ映えもあまりしなさそうですが…

 

オーケストラアレンジのミニアルバム

「オーロラになれなかった人のために」

https://peachdraw18.hatenablog.com/entry/2019/03/28/113001)の

延長のような雰囲気ではあるものの、

楽器での表現の方法や

歌詞に悩んでいた時期で、

その苦悩が垣間見える曲となっています。

 

さっそく聞いていきましょう。

 

寂しげでボワンと静かに響くイントロで、

ところどころにシンバルの

カーンとした音が挟まれている事で

より静けさ(シンバルを大きく感じられる)

を表現していると思います。

 

そして語るように歌い出す

歌詞を見ていきます。

 

 

「鮮やかなさよなら 永遠のさよなら

追い求めたモチーフはどこ

幻にも会えず それでも探していた

今日までの砂漠

約束の海までボロボロのスポーツカー

ひとりで行くクロールの午後

君の冷たい手を暖めたあの日から

手に入れた浮力

ささやく光浴びて立つ

君を見た秋の日

さびしげな真昼の月と西風に

揺れて咲くコスモス

二度と帰れない

 

世界観には関係ないですが、

当時レコーディング時に

歌詞をホワイトボードに書いていたら、

エンジニアの方が

「モチーフ」の「フ」を

平仮名の「つ」と読み間違えた

というエピソードがあり、

それ以降「モチーつ」が

脳裏に浮かぶようになってしまって

純粋に聞けなくなりました。

草野さん丸字だからね。

 

それは置いといて、

秋の別れの季節感を感じられる

歌詞となっています。

 

別れ、というのは

「永遠のさよなら」とあるように、

単純な関係性の解消というよりも

死別をイメージしました。

 

「追い求めたモチーフ」や、

会えなかった「幻」は

死の世界へ行ってしまい、

離れ離れになった魂を指していると

思われます。

 

「約束の海」は

そこが最後の場所であり、

別れを迎えている現在、秋から

遡ると、

海という場所が最後だとすると

死別したのは夏の終わりであると

イメージできます。

 

死別した魂を想い、

自分もその「約束の海」を目指し、

生前は輝かしいものであったが

亡くした今はボロボロになってしまった

「スポーツカー」で辿り着き、

ひとりその海を「クロール」で

泳いで向かいます。

 

海や川など、

水が別れの曲に登場すると

どうしても三途の川的な、

死の世界へ渡っていくためのもの

というイメージが強くなります。

この曲でもおそらくそういう事でしょう。

 

先に行ってしまった魂の

生前最後の記憶として、

「冷たい手を暖めたあの日」があり、

そこから既にその時点で

生きている感覚ではなかったと、

失った現在思い出し、

あの頃から自分も

どこか生きてる感覚を失って、

逆に手に入れたのは、

軽々と死の世界へ向かえるような

「浮力」でした。

 

残された世界で再び辿り着いた

別れた海では、

まだ夏の名残を残した陽の光が

キラキラと水面に反射して

輝く午後を迎えていた。

 

そんな「ささやかな光」を浴びながら

今まっすぐと立って見つめ、

その海に「君を見た」と

亡くなった魂を想います。

 

陽の光に対して、

空に浮かぶのは真っ白な「真昼の月」。

秋を感じる西風に吹かれ、

微かに揺れるのは

儚げな「コスモス」の花。

 

秋の日に

亡き君の魂を純粋に思い、

自分も向かっていった先で残されたのが

秋を感じる寂しげな風と

静かに揺れるコスモスの花であった

という、

静寂の中で

波の音だけがこだましているような、

そんな余韻を感じられます。

 

 

鮮やかなさよなら 永遠のさよなら

追い求めたモチーフはどこ

幻にも会えず それでも探していた

今日までの砂漠

あの日のままの秋の空

君が生きていたなら

かすかな真昼の月と西風に

揺れて咲くコスモス

二度と帰れない

 

 

「君が生きていたなら」、

鮮やかに咲くコスモスや

少し寂しげな秋の風を

共に感じられたのに、と

少し残念がりながらも、

君を求めて探し続けて、

自分もそちらへ向かう決心をした

という結論を迎えている描写のように

感じられます。

 

 

鮮やかなさよなら 永遠のさよなら

追い求めたモチーフはどこ

幻にも会えず それでも探していた

今日までの砂漠

 

 

君を失って、

自分の心からは潤いがなくなって

砂漠状態になってしまい、

心の潤いを満たすためにも

たくさんの水分がある海を

君と再び再会するための場所として

選んだ。

 

もしかしたら、

先に行ってしまった「君」も、

あなたといても心が潤わない

というメッセージを伝えるために

海を死の場所として

選んだのかもしれません。

 

二人が消えてしまった世界で

寂しげな秋を迎えた、という

後味の悪い余韻が残されたような感じを

ボワンとした演奏で

表現しているようにも

思えてしまいます。

 

 

10.野生のチューリップ

 

こちらは、「流れ星」同様に

元々インディーズ時代から

ライブで披露されていたものの、

アルバムには収録されず、

一度 歌手の遊佐未森さんに

楽曲提供という形で世に出されました。

(20枚目のシングルとして

1995年にリリース)

 

ただし、この時に

歌詞に出てくる「サカリ」が

女性が歌うのにどうなんだ、

という事で

そこの部分だけ変更されたといいます。

 

今回は、

アルバム「名前をつけてやる」の頃に

レコーディングされた

スピッツバージョンを

8年越しにリミックスしたものを

収録しました。

 

さっそく聞いていきましょう。

 

イントロからアップテンポで、

アコギの早弾きのリズムと

それに合わせてメロディーのギター、

うねる存在感を放つベース、

そしてしっかりとリズムを刻むドラムが

それぞれしっかりと奏でられていて

楽しいです。

 

歌詞を見ていきます。

 

 

「夜空にいつもの星が見えない

ポケットに破れた地図をつめ込んで

僕の目はどこへ行く

君のにおいがする

真夜中の風に乗って

野生のチューリップ探しに」

 

「夜空にいつもの星が見えない」、

そんな些細なきっかけで、

「ポケットに破れた地図をつめ込んで」、

旅に出る決意をします。

 

違和感や不満を抱え、

そこから脱するため、

またそれらを抱えた自分を

救ってくれる何かを求めて

夜な夜な旅立つ姿を描いています。

 

「破れた地図」は

正確な道しるべとはならないため、

「僕の目」はキョロキョロと迷い、

自分自身でもどこへ向かっているのか

分からない状態で、

ただ「君のにおいがする」方向へ

釣られてフラフラと、

「真夜中の風に乗って」、

救ってくれるものである

「野生のチューリップ」を

探しに行っています。

 

「君のにおいがする」、

「野生のチューリップ」は、

「真夜中の風に乗って」香りを放ち、

迷える僕を誘っているようにも

感じられます。

 

僕が探していたのは、

僕自身を誘惑しようとする、

「僕」を求めてくれる存在

なのかもしれません。

 

 

「スズメのざわめきかためた木々も

野良猫サカリの頃の歌声も

粉々に砕かれてここには何もない

真夜中の風に乗って

野生のチューリップ探しに」

 

「スズメのざわめき」や

「野良猫サカリの頃」は、

どうも動物の本能的な、

性欲に駆られている状態を連想します。

 

これまで守ってきた理性とかが

「粉々に砕かれて」、

これまでの自分はこの旅に出た時点で

「何もない」状態になっています。

 

その動物的な本能に従って、

「真夜中の風に乗って」香る

「野生のチューリップ」を求めて

歩き続けていくのです。

 

 

「いますぐ行くよまわっているよ

いますぐ行くよ壊れた時計の力で」

 

 

誘惑する「野生のチューリップ」の元へ、

「壊れた時計の力」、

時を刻まない、つまり永遠に、

今すぐ行きたい、行くから待っていてと

本能のままに、

後先考えずに進んでいく様子が、

少しボワンとした音で

表現されています。

 

 

「夜空にいつもの星が見えない

ポケットに破れた地図をつめ込んで

さよならさよなら…」

 

 

違和感を持った今の場所から旅立ち、

本能に従って

僕を求めてくれる存在の元へ行くから、

と、

元の世界へはもう戻らないという

意思を突きつけて

皮肉的に「さよなら」と

言い残しているようにも

感じられました。

 

動物的な本能を感じられる、

自分自身も「野生」となり

獣のように性欲に従順な姿は、

確かに女性が歌うには

ちょっと抵抗あるかもしれませんね。

スピッツが歌えば違和感を感じない

という不思議…

 

 

11.鳥になって

 

インディーズ時代の代表曲。

 

結成してすぐに作られ、

当時ライブでは

必ず披露されていたといいます。

 

そしてスピッツが初めて

ソノシート

(薄いレコードのようなもの。

比較的安価のため

当時アマチュアのアーティストが

よく出していた)で

リリースした曲になります。

 

「鳥になる」というキーワードは

インディーズ時代に

よく使われていたもので、

「鳥になっちゃう日」など

当時の自身のライブイベントなどでも

登場してきます。

 

今回は、3枚目シングル

魔女旅に出る」の

カップリング曲として

レコーディングしたものが

収録されています。

 

さっそく聞いていきましょう。

 

まだパンクの名残があるような

荒削り感もある

ギターのイントロメロディに、

当時武器のように掲げていた

アコギのリズムが軽快で、

若さ故の自由さをも感じさせます。

 

歌詞を見ていきます。

 

 

今鳥になって鳥になって

君は鳥になって

鳥になって鳥になって

僕を連れて行って

僕を連れて行って

あぁいつまで君の身体にしがみついたまま

きっと明日は僕らは空になる

こんなこともあるだろう

このまま僕は喋りつづけてる

 

 

ここでの「鳥」は

理性とか感情とか、そういった制止力から

全て開放されたもの、というイメージです。

 

「僕」がなるのではなく

あくまで相手にそういう状態に

なってもらって、

「僕を連れていって」ほしいと

願っています。

 

「いつまで君の身体にしがみついたまま」、

と今のところ君任せにして

甘えている状態の「僕」は、

情けないなと感じつつも開放的になり、

「きっと明日は僕らは空になる」と

全てから解き放たれた

絶頂の気持ち良さを感じています。

 

状況的にいうと、

性行為で、本当は男である自分が

優位に立たなければいけないはずなのに、

結局相手に甘えてばかりで、

情けないと思いつつも

気持ち良くなってしまってる

といった感じでしょうか。

 

「こんなこともあるだろう」と

自分から攻められない事に対しての

言い訳のような呟きをしながら、

「このまま僕は喋り続けてる」と

その状況のままこの行為を続けていると

振り返っています。

 

 

こんな僕にだって僕にだって

誇れるものがある

モグラになってモグラになって

ここにしのびこんで

あぁ覚悟ができないままで

僕は生きている

黒いヘドロの団子の上に棲む

笑い話じゃないね

このまま僕は喋りつづけてる

 

相手に甘えてばかりで

情けないと感じている

「僕にだって誇れるものがある」と

豪語してみます。

 

相手にいつもリードされてばかりだけど、

本当は自分だって優位に立てるほどの

テクやモノは持っていると主張してみて、

モグラになって僕にしのびこんで」

来てほしいと願ってみます。

 

モグラ」=奥の方まで

深く深く入ってくるもの、

つまり「誇れるもの」を持つ「僕」の

「ここにしのびこんで」くれれば

きっと自分が優位に立って

君を気持ち良くさせられるだろうと

思っています。

 

だけどやっぱり、

直接言い出せるような

「覚悟が出来ないままで」、

今夜も「僕は生きている」。

 

自分からリードして

相手を気持ち良くさせたいのに

どうしてもうまくいかない、

そんな悶々とした思いで

「黒いヘドロの団子の上に棲む」。

 

「ヘドロ」とは、

河川や沼や池、海などの底に沈殿した

泥の事で、

「ヘドロの団子」=泥団子という事に

なりますが、

こんな悶々とした思いを抱きながらも

それを主張できない、

野生の獣のようだと自虐した

例えだと思います。

 

真剣に悩んでいていて

「笑い話じゃない」のに、

やっぱり覆せなくて、

今夜も相手に甘えて行為を続けるのです。

 

パンクで尖ったバンドを目指して、

荒削りの演奏に合わせながら歌う内容は

どこか陰キャ側というか

情けない男の性事情である、

というスタイルは

昔も今も

そんなに変わらないのかもしれません。

 

以前、とある動画サイトで、

この曲が作られた1989年頃の

インディーズ時代のライブ映像と

近年(2012年頃)の

この曲をライブで披露した際の映像を

比較したものを見つけて

見てみたのですが、

全員絶妙にダサイ格好で、

特に草野さんは髪をかきむしりながらも

必死に歌っていた

インディーズ時代から

近年のものを見ると、

本当に同じバンド!?と驚くほど

演奏も歌も、そしてスタイルも

洗練されたものになっていて、

そのギャップが凄かった記憶があります。

 

そうした現在と比較しても、

若さや荒削り感、そして全力さも

感じられる、

インディーズ時代のスピッツ

象徴する一曲です。

 

 

12.おっぱい

 

デビュー直前のインディーズ時代、

スピッツは6曲入りのミニアルバム

ヒバリのこころ」を出します。

そこに収録されたもの。

 

そのアルバムが中古市場で

高騰した事により

今回収録する事となりました。

 

「おっぱい」というタイトルから

スピッツの珍曲として

今でもたまに取り上げられたり

ネタにされたり(?)していますが、

曲自体はふざけたものではないんです。

 

スピッツはむしろ

本当にエロをイメージするものは

あえて遠回しに表現する事が多いため、

いっそはっきり言った方が

いやらしくなく健康的なイメージになる

という謎の現象が起きがち。

 

そんな不思議なこの曲も

さっそく聞いていきましょう。

 

イントロは、

ギターの綺麗なフレーズを

丁寧にドラムが追いかけ、

続くアコギやベースが奏でる、

ゆったりした

甘くて優しい雰囲気があります。

 

音からは大きな安心感のようなものを

感じられます。

 

そして問題の歌詞を見ていきましょう。

 

 

やっとひとつわかりあえた

そんな気がしていた

急ぎ過ぎても仕方ないし

ずっと続けたいな

痛みのない時間が来て

涙をなめあった

僕は君の身体じゅうに

泥をぬりたくった

泥をぬりたくった

君のおっぱいは世界一

君のおっぱいは世界一

もうこれ以上の生きることの

喜びなんか要らない

あしたもここで君と会えたらいいな

 

 

まぁタイトルからも

想像ついたと思いますが、

やはり性をテーマにしているようです。

 

けれど「鳥になって」のような

野性的で荒々しい性欲、いうよりは

落ち着いて母性を求めているような、

安心感を求めた性を

表現していると感じられます。

 

「やっとひとつわかりあえた

そんな気がしていた」、と

愛が結ばれた幸福感に満たされながら、

「急ぎすぎても仕方ないし

ずっと続けたいな」と

ゆっくりお互いの気持ちを確かめ合いながら

愛し合っている様子です。

 

愛が確実でない時は痛みも感じた

この行為の中で、

お互いの気持ちが通じあった今は

「痛みのない時間」を迎え、

お互い「涙をなめあった」りして

癒しを与えあったりしています。

 

そして

「僕は君の身体じゅうに

泥をぬりたくった」。

 

性行為=相手の身体を汚すもの、

という捉え方をし、

そうした行為をしていると

あえて生々しく表現しています。

 

そうした絶対的な安心感と愛を

感じられるものとして、

男の自分には存在しなくて、

でも生まれた時から人間が

母性として求めるもの、

それが「おっぱい」。

 

おっぱいなら誰のでもいい、

という訳でもなくて、

「僕」自身に

今、安心感と愛情を感じさせてくれる

「君のおっぱい」だからこそ

「世界一」だと讃えているのです。

 

君と感じる安心感と愛情、

それだけが今現在の

「生きることの喜び」で、

これ以上はいらないと、

最高潮の幸福感を感じています。

 

「明日もここで君と会えたらいいな」と

手放せない幸せを求めて願います。

 

 

甘い匂いでフワフワで

かすかに光っていた

誰の言葉も聞こえなくて

ひとり悩んでいた

ひとり悩んでいた

君のおっぱいは世界一

君のおっぱいは世界一

もうこれ以上の生きることの

喜びなんか要らない

あしたもここで君と会えたらいいな

 

「甘い匂いでフワフワで

かすかに光ってた」は

まさに幸福感や安心感、愛情を感じている「君のおっぱい」を

表現したものだと思われます。

 

そんな、自分の中で

絶対的な大きな存在となったもの

を前にして、

あまりに無我夢中になっている自分を

客観視した時に、

「誰の言葉も聞こえなくて」、

求めることを止められない自分に

「ひとり悩んでいた」日々を送ります。

 

だけど、

そんな悩みも吹っ飛ぶような存在もまた

「君のおっぱい」であって、

いろいろな悩みは置いといて、

今は目の前の「生きることの喜び」に

従って幸せを感じるのです。

 

この曲において「おっぱい」とは、

これ以上ない「生きることの喜び」で、

安心感や愛情の象徴として、

「僕」にとっては

絶対的に必要なものであるという

大きな存在感を放っています。

 

それだけ、自分にとって

愛する「君」自身が尊いもので

絶対的に必要なものとして

より大事にしている様子が窺えます。

 

「おっぱい」という

タイトルはインパクトのあるものですが、

曲自体は、それによる

安心感や幸福感を

全面に感じられるものとなっています。

 

 

13.トゲトゲの木

 

こちらも「おっぱい」同様、

インディーズアルバム「ヒバリのこころ」に

収録された曲。

 

こちらはライブでの演奏、というよりも

このインディーズアルバムのために

初めてちゃんと

レコーディングするための曲として

制作されました。

 

レコーディングをするにあたって

メンバー4人で

河口湖で合宿もしたという(笑)。

いや青春かよ。

 

そんなこの曲も聞いていきます。

 

イントロやメロディは、

少し音頭感もあるような

独特のリズムに、

カチャカチャといろんな楽器が

合わさりながらもどこか寂しげな雰囲気を

醸し出しています。

 

歌詞を見ていきます。

 

 

トゲトゲの木の上で

ほらプーリラピーリラ朝寝してる

ちょっとだけ目を開けて

つじつまあわせて

ハナムグリ僕はまだ

白い花びらにくるまってる

歩き出した心

くねくねでいいな

探していたものはもうここにあるよ

僕のこと嫌いだって言った君にも

すぐに分けてあげたいな

とどめのプレゼント

箱あけてみなよ

恐くなんかないよ

元気でね いつまでも

 

 

「トゲ」や尖ったもの は、

このあともスピッツの楽曲には

多く登場する

重要なモチーフのひとつとなっています。

 

その登場する「トゲ」は、

性的な意味合いでも

死の意味合いでも、

「傷つけるもの」としての

存在感を放っている場合が

多いと感じています。

 

「トゲトゲの木」は

周りを傷つける力のある

自分の武装のようなものを

イメージしました。

 

丸裸の状態の自分は

とても弱い存在だと知った上で、

周りを傷つける武装を身に付ければ

誰も近づかないし傷つけてこないだろう

という思い込みのものだと仮定します。

 

そんな最強の武器、「トゲトゲの木」の上で

呑気に「朝寝してる」ほど

余裕かましています。

 

だけどその下の世界には

やっぱり不安要素があって、

でも自分には最強の武器があるから、と

言い聞かせ、

「ちょっとだけ目を開けて

つじつまあわせて」いきます。

 

ハナムグリ」という

薔薇の花に潜り込み

栄養を吸う昆虫がいますが、

まさに今の「僕」がその状態で、

美しいトゲを持つものに甘えて、

自分自身が最強なのだと錯覚しながら

「白い花びらにくるまってる」日々を

過ごしています。

 

そうした中で「歩き出した心」は

安心と不安の間を「くねくね」していて、

でも今はそれで「いいな」と

思えてしまうのです。

 

それはやはり、

敵とみなした者を

簡単に傷つける事が出来るものを

持っているから。

 

「探していたものはもうここにあるよ」と

余裕の表情を見せながら、

まずは敵とみなした

「僕のこと嫌いだって言った君」に

それを振りかざします。

 

「すぐに分けてあげたいな

とどめのプレゼント」と

傷つけられた腹いせに、

残酷な形で、でも

敵に勝てている感覚に喜びを感じながら、

とどめを刺すために

あえて情けを掛けるように優しく

「箱あけてみなよ、恐くなんかないよ」と

促します。

 

その言葉自体も狂気じみてて

「恐くなんかないよ」に

嘘つけとツッコミたくなりますが。

 

箱を開けて贈られた

「トゲ」、「とどめのプレゼント」によって

敵である「君」に、

永遠の気持ちを込めて皮肉で

「元気でね、いつまでも」と

声を掛けます。

 

ここまで見ると、

弱小の「僕」が

傷つけてくる存在に反撃できるものを

見つけて振りかざしている、

そんな、なかなか狂気じみてる奴を

イメージできます。

 

 

トゲトゲの木トゲトゲの木

トゲトゲトゲトゲトゲの木

入道雲のタメ息がとどく前の

お日様苦笑いで

ちょうどいいね

洗濯物も乾きそうだね

だけど僕がまばたきを

したその瞬間に

もう目の前から

君は消えていた

元気でね いつまでも

元気でね いつまでも

 

全てを知る空の上の「入道雲」は「

タメ息」をし、

「お日様」は「苦笑い」を送るも、

それは自分には届かず、

むしろ前向きに捉え、

反撃を続けています。

 

「だけど僕がまばたきをしたその瞬間に

もう目の前から君は消えていた」と、

その無敵状態は

いつまでも続かなかったという描写が

出てきます。

 

もしかしたら、

始めから自分の妄想の中だけのもので

あって、夢から覚めたら

元の何もない弱い自分だけが

取り残されている、いう事だったのかも

しれません。

 

そして、

敵とみなして反撃で傷つけてきた事実だけが

残り、真偽が分からないまま、

自分の思い込みだけで

残酷な形で永遠を奪った「君」の姿を

目にし、

今度は後悔が押し寄せて、苦しい中で

哀悼の意を込めた

「元気でね、いつまでも」を

送ります。

 

目を覚ました場所でも

やっぱりヤバイ奴として

周りから恐れられ、

結局弱いままで

ひとりぼっちになってしまったといった

寂しさも漂わせています。

 

そうした、自虐的な毒を

楽曲内に放り込んでくるスタイルも、

昔から今現在まで変わらないようです。

 

この曲では、

若さ故の間違いを含んだ、

これ以上ない独特の狂気を

感じる事ができます。

 

 

【まとめ】

 

以上で

スペシャルアルバム「花鳥風月」を

聞き終わりました。

 

最新の曲から遡り形式で

最後にインディーズの曲を持ってくる、

という構成でしたが、

スピッツの変化がより

垣間見えたように感じます。

 

結成から10年が経過し、

改めてどんな10年だったかを振り返ると、

だいぶ音の方向性は

変化しているようですが、

歌詞の世界観など

根本的な考え方は

あまり変わらない事が分かります。

 

ある意味スピッツらしい、

変わらないスピッツが詰め込まれた

アルバムになっています。

 

99年当時よくリリースされていた

ベストアルバムへのアンチテーゼとして

このアルバムをリリースしましたが、

結局この年の12月、

レコード会社からの一方的な判断で

スピッツもベストアルバムを

リリースする事になります。

 

なので、

このアルバムとベストアルバムを以て

90年代のスピッツが終了。

 

その背景を見ると

なんとなく、

これで一区切りと感じられる

アルバムにもなっている気がします。

 

そんな、

ひとつの季節の終わりも感じられる、

けれどしっかりスピッツの全てが

詰め込まれたこのアルバムも

是非聞いてみてください。

 

以上、

桃亀改めandでした。